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【映画】違国日記

映画「違国日記」を鑑賞したので、感想を書こうと思います。
※ネタバレあります。

両親を交通事故で亡くした15歳の少女・朝(早瀬憩)が、人付き合いが少し苦手な叔母の槙生(新垣結衣)と2人暮らしを始める、という物語。
大きな展開があるわけでなく、穏やかな気持ちになれる作品だったが、見終わった直後は正直少し肩透かし感を抱いてしまった。

その理由としては、自分が見る前に想像していたキャラクター像や展開と実際の内容に異なる部分が多かったからだろう。

そのズレとして1番大きいのは朝という人物のキャラクターについてだ。
個人的には朝はもっと擦れた少女なのかと思っていて、実際、物語の最初で朝は親が亡くなっても泣くことができずにいる描写があった。
これはおそらく、突然の悲劇すぎてそれをすぐに真正面から受け入れるには、朝が子ども過ぎたということなのだと思うが、それに対する槙生の「親が急にいなくなったからといって必ず泣かないといけないわけではない」という声かけからは、朝が抱える「普通からのズレ」と、それを受容してくれる槙生という2人の今後の関係性が示唆されているように感じる。
だからこそ、物事を斜めに見ている素直じゃない朝が、槙生との同居生活のなかで起きるカタルシスを経て成長していく、そんな展開が待っているのかとさらに想像を膨らませてしまった。

しかし物語がさらに進んでみるとどうだ。
朝は素直で天真爛漫で快活で、あんないい子はなかなかいないのでは?という少女だった。
そして擦れているのはどちらかというと槙生の方だが、彼女は彼女で「ともに生きる」ことに対して非常に鋭い感覚を持っている。
そのため、多少のハレーションはあったものの2人の間には粛々と特別な友情が育まれていったし、見てる側としても「そらそうなるだろ」という気持ちになってしまったように思う。

ただ、見終わってふと「これは日記なんだ」と気づいたとき、どこかに腑に落ちた気がした。
私たちの日々に、劇的なことはそうそう起こらない。
そもそも、槙生が朝と住むようになった、それだけでも十二分に劇的なことだ。
その同居生活を、必要以上のカタルシスをもって描くのではなく、等身大の大人と子どもの日常として描いたからこそ、これは日記たりえるのだと気づくと、この物語が描きたかったものをスッと理解することができた感じがした。
同時に、劇的なものを求めすぎていた自分を少し反省しないといけないな、と感じたりもしたのだった。

ただ、どうしてももったいなさを感じる演出もあった。
朝の同級生たちのストーリーだ。
同性が好きな親友や女子だからという理由でプログラムを落とされた優等生、上手なのに「自分にがっかりしたくない」と部活を辞める同期。
彼女たちは、「あなたの気持ちはわたしには分からない、分かるわけがない」という槙生の言葉を、一人ひとりが異なる事情を抱えた人間なんだということを朝が身をもって理解できるようになるために必要な存在だったのだろう。
そして、たしかに朝は彼女たちとの関わりを通じて、自分なりの「あなたとわたし」のあり方を育んでいったように思う。

ただ、なんというか彼女たちの悩みが、あまりに直接的で分かりやすい題材で作られすぎているように感じてしまった。
映画では尺的に彼女たちを深掘りすることが難しいため、ある程度単純化して伝わりやすく表現する必要があったのだとは思うが、それぞれのストーリーがそれだけで1つの物語をつくれるほど大事な内容であるからこそ、どうしてもとってつけた感というか、描きたい主題が散漫になってしまった印象を受けた。

とはいえ、全体的にいえば、彼女たちの日常を覗き見しているようで、とても穏やかで幸せな気分にさせてくれる心地の良い作品だった。

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