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「朋輩」

 先程物凄い勢いで走り書きの読書感想文を書いたので、内容が若干重複してるかも。
 今日は通院日で、薬の副作用で眠ってしまい時間ギリギリとなったため、待機時間が長いと予測し「流星ワゴン」を読んだ。結果、待機時間だけで三百四十ページ以上、実に四分の三を読み終えた。
 復職トレーニングの為に職場に着いたのは午後三時を回っていて、そのうち一時間以上は上司との報告とお喋りだったので、先輩の仕事を少し手伝って帰宅した。
 そして、残りの四分の一を読み終えた。ドラマとは異なる展開もあったが、やはり原作がこれだけ面白いからこそドラマも面白かったのだろう。

 「流星ワゴン」の中に、「朋輩」という言葉が出てくる。殆どの人は聴きなれない言葉なのではないだろうか。この言葉は、ざっくり言えば「仲間・友達」という意味なのだが、登場人物の一人、チュウさんは「こいつの為なら腕一本くれてやってもいいくらいの奴」と言っている。
 俺はこの言葉がとても好きだ。ドラマを見てからかなり時間が経っていて記憶の片隅に追いやられていたが、原作を読んで脳味噌のド真ん中に戻ってきた。素敵な言葉だ。

 俺から見て、同級生で「朋輩」と呼べる人間は三人。そいつらの為なら、極端な話命張ってでも力になってやる、と思える。

朋輩からのリクエスト飯。白出汁最強。
普通のフライパンでここまで出汁巻けて良かった。

 「朋輩」という言葉の意味をより細かく詰めると、「同じ先生についていく仲間」「同じ年齢・階級の仲間」といった風になる。そういう意味でも、同年代に絞るとこの人数。俺が勝手に朋輩扱いしている人にはここ教えてるから、読んだらきっと伝わるはず。

 逆に言えば、それ以外の人間には別に金や命張る必要は無いな、とも考えた。片手に残る大切な朋輩の為に生き、あとはどうでも良くなってきた。
 首輪が外れ、好き放題生きている自分にとって、朋輩以外に命と同等の金を出す必要性等皆無。俺の人生だし、やりたいようにやる。どっかで死んだら死んだで一千万保険金出るから後悔は残らないし、今もし職務に関係する出来事で死んだら更に金が出ることになっている。もっとも、今死にたかねぇけれど。

 何処ぞの誰かは「無理してる」とか「それくらい何とかなるだろ」とか言ってるけれど、俺の人生なんだから決めるのは俺だろうが。俺がやっと掴んだ自由と目標に茶々入れるなや、頼むから。頭下げないけど。書いてて阿呆臭くなってきた。

 腹割って話して理解して見守ってくれるから朋輩って思えるんだよ。こっちが腹カチ割って話しても伝わらん奴に何で色々してやらにゃならんのさ。九月から復職予定で、医者の先生がブレーキかけてくれたお陰で日数が減った。有難いと思う反面、これで大丈夫かな、とも考えてしまう。でもまぁ今年度の下半期丸々リハビリ期間だと勝手に思ってるから、とにかく銭子の為に早い所休職を解かなきゃいけねぇ。あとは流れに逆らわずに働いて節制するのみ。

 その為に色々なものを諦めた。最低限自分の「スキ」を残し、他は置いていくしかない。欲張って大荷物を背負っても、高山は登れないし深い谷は降りられない。現状で満足できてるんだからええやんけ。俺に贅沢をこれ以上覚えさせないでくれ。これからももっと諦めなきゃいけないものが出てくるであろうに、荷物を増やさんといてくれよ。頭絶対下げないけど頼むからさ。

 さて、色々暴力的に殴り書きした所で、今日は八月九日。この曲しかないな、と思ったけれど前に使ってたんだよねぇ。だから別ヴァージョンで。

 住んでるの四畳半じゃないけど、この哀愁がたまらない。最後に載せる歌詞は十五周年版ので、しかも四畳半ヴァージョンじゃなく原曲での披露だったけれど、こっち書きたいからこっちで。ちぐはぐだけど、もし夢烏の方が読んでたら許して下さい。これは頭下げます。

巡る季節が時を染めて 二人を大人に変えた
淡い約束と歌を抱いて 君を思い出すのでしょう

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