見出し画像

「貧乏になるということ」について①

こんばんは、都落ちニキです。

今回は「貧乏になるということ」について語っていこうと思います。

貧乏・・・財産や収入が少なくて、生活が苦しいこと

と辞書にはありますが、財産や収入の大小、生活の苦楽、はデータで画一化できず、もちろん人それぞれの尺度があるかと思います。

ただ、少なくとも、今の僕は貧乏だと感じています。

ここでは転落者のリアルな心情と考え事をお送りしていきます。
素人なので自分語り多めです。


都落ちニキのお金事情

【資産の推移】

色々と語って行く前に、まずは僕自身の資産の変遷について見ていくことにします。

ふぅ、、、、

今見ただけでも、過去の行動に対しての後悔とか、懐古心とか、未練がましさとか、そういう類の感情が湧いてきます。

同年代の20代中盤の人間としては結構持っていたと思います。
特に東京では、稼いでもそれ以上に使う人間が多かったから。

働き始めてからの推移

【1.リーマンとしてのスタート、株との遭遇(2018~)】

幸いなことに僕は、大学に通うことができた。
進学先は片田舎の自称進学校の進路としては珍しい、私学の名門大学でした。高校時代、勉強はそれなりに頑張ったと思いますが、奨学金も必要とせずにここまでの教育費を積んでくれた両親には本当に頭が上がりません。

大学を卒業した後、僕は電子機器メーカーに営業職として入社をしました。
憧れていた東京勤務の夢は叶わず、地元への配属となりました。

そこではべらぼうに高い訳ではないものの、世間的には悪くない、お給料をもらっていました。

また、別に車が欲しいわけでもなく、高級時計も必要性を感じなかったので、当時はそこまでお金を使うことをしていませんでした。

そして、なぜか当時の20代、しかも新卒の間もない人間にしては珍しく、株式投資に目覚めたのもこの頃でした。

大きい金額ではなかったですが、初めて買った株は今でも覚えています。
とても勇気のいる行為でしたが、新しい一歩を踏み出したような気分でとても気持ちの良いものでした。

初めて買い付けを行ってからというもの、仕事が終わったら家に直行して、企業、株、経済、金融知識の勉強に勤しむ日々。
当時は貪りつくように、
WBS(ワールドビジネスサテライト)を見ていました。

初めて資産額が100万を越えたのはこの頃でした。

『当時3年間 年収400万円くらい』

【2.そこそこカネ持ってた時代(2020~)】

コロナが世間を賑わせていた頃、僕は転職をしました。
今までは割と歴史のある老舗企業に勤めていましたが、年収のアップと、裁量の大きさに魅了され、ベンチャー企業に入社をしました。
ちなみにこの頃はあんまり株に精力的ではなかったです。相場の状況もありましたが、いわゆるスイングトレードで買っては負けての繰り返しで、自分には実力がないとへこたれていた時期です。

初めて東京での居住が決まったのもこのタイミングです。
そう、「死にたいくらいに憧れた 花の都 ”大東京”」です。

東京には各鉄道路線や各駅に、それぞれの色や個性というものがあります。

当時から飲食が好きだった僕は、いろんなお店を回り歩いていました。
色々な店に行った末に、結局いつもの、いわゆる「行きつけ」を発見してくことに興じていました。

それと、職場が新橋だったのが幸か不幸か、誘惑も多かった。
職場の同僚と飲み歩き、終着点はガールズバーやキャバクラ。
同世代と飲めば、手始めにコリドー、酔えば路上で誰彼構わず声かけ運動。(僕の知っているコリドー街はもう全盛期の様相ではなかったみたいです)

お金は湯水のように使っていましたが、それでもお金が地味ながら増えていったのは、転職したおかげだと思います。
老舗→ベンチャーの仕事感の違いに戸惑いながらも、なんとか歯を食いしばってこなし、会社の利益に貢献をしていきました。

けどいつからか、お金とストレスは反比例を始めました。

色々と不条理なこと、納得いかないこと、たくさんありながらも、結構仕事は頑張ってきたつもりでした。ですが、もしかしたら心体は限界だったのかもしれません。
ここでちょっとした精神疾患(パニック障害)を抱えてしましました。

症状を自覚してから、しんどくなって、仕事をやめました。
地元に帰る決断をするまで、そこまで時間はかかりませんでした。

『当時2年間 年収700万円くらい』

【3.ツケあがった無職in地元(2023)】

親にもろくに相談せず帰郷してきたため、当初は結構怒られました。
ギスギスしました。そりゃそうです。今なら大変に、気持ちもわかります。

当時はその雰囲気に耐えられず、海外逃亡をはかりました。
幸いにも、友人が海外で生活をしていてウェルカムだったこと、僕自身も海外経験が少なからずあって怖いとか感じなかったことで、航空券の購入する決断には時間はかかりませんでした。

渡航費含めて30万くらい使ったでしょうか。。。
けど、当時は全然痛くも痒くもなかった。
だって、350万円も貯金があったから。

2ヶ月近く居候をさせてくれた友人には本当に感謝しています。
僕は人に恵まれているな。と感じた瞬間でした。

海外での生活はそれはそれは楽しいものでした。

さて、2ヶ月近く経って、実家に帰ると何が待っているでしょうか?
暖かい家族?可愛がっているペット?恋焦がれた日本食?

いいえ違います。 ”税金” です。”TAX”です。

滞納間近の請求書3枚(年金国保住民税)がこっちを見つめていました。

過去の年度でそこそこ稼いでいた分、そこそこの請求金額が待ち構えていました。
「結構ふるさと納税したよな?」「計算合ってんのか?」と思いつつも、相手はお役所。我々国民は抵抗する術すら持ちません。

生きてるだけでお金がかかる現実に、無職という最悪な形で直面しました。

「やばい、300万ちょっとなんてすぐに無くなる、、、」

こう直感した僕は、収入の手段を考え、海外滞在中は封印していた株に再び手を出し始めます。しかも、信用取引で。

何度か成功したことのあった、デイトレード、スイングトレードで、利益を出すことを目論み、相場を調べ回りました。しばらく離れていた分、相場感を掴むのは大変です。
でもなぜか、「株で金を稼ぐ!」と意気込み始めた当初は、上手くいってしまいました。
1日に平均で5万円。良いときは15,20万円と、今までの現物投資では見たこともない金額で増えていきます。
(今思えば完全に相場環境=地合いがよかっただけです)

「ぶっちゃけこのままFIREできるんじゃね?wwww」とか思ってました。

ただ、こんな幸運が長く続くはずもありません。
どれだけ考えて試行錯誤しても、上手く立ち行かなくなってきます。
まずは1日に稼いでいた金額は、そっくりそのままマイナスになります。
そのうちに-20,30万円という日が増えてきます。

となると狙うは「一発逆転ホームラン」です。

これはもう投資というのもおこがましい、ギャンブル的な思考です。
根拠を自分で確立できないのに、ある株への満額betをしてしいました。

当然、結果は「逆転満塁ホームランを被弾。」

世の常です。
中途半端な全能感で調子に乗ったものは必ずどこかで痛い目を見ると。

僕は再び働くことを決意します。無職期間は約10ヶ月を数えました。


今思えばこの失敗が地獄から社会復帰へのきっかけだったと思います。

『貯金残り350→50万円』


【この記事の最後に】

ちょっと文字量が多くなってきたので、一旦区切りにさせていただきます。
自分語りって、ついつい気持ち良くなって、たくさん語ってしましますね。

次回は【貧乏人の現在地】というタイトルからスタートしたいと思います。
やっと、次の文章で現在〜これからのお金のことを書いていきます。


まだまだ拙い文章ですが、ここまで読んでくださった方、
本当にありがとうございます。
(いいねがつくの、本当に嬉しいです。ホントにホントです)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?