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さらにいくつもの渦中から君へ

二ヶ月が経った。

書かなかったこの二ヶ月間、ずっと天気はパッとしない。
これほど長くて雨の多い梅雨は記憶にない。
ジメジメして洗濯物がくさくなるのはいやだ。でもスカッと晴れたところで素敵な場所には行けない現状では、こういう天気も悪くないような気もしてしまっている。

二ヶ月前はまだ楽観的だった。
いま振り返るとそう思う。
きっと少しずつ感染者数も少なくなっていって、みんな外に出られるようになっていく。
あと少し辛抱すれば、また元の生活に戻れるような、そんなつもりでいた。
たぶん多くの人たちが同じように考えていたんじゃないかな。
でも実際には市内でも感染者数が増え、東京でも毎日200人もの新規感染者がで続けている。見えかけていた出口はなんかの見間違えだった。ぼくらはまだすっぽりとトンネルの闇に包まれたままだ。

しかしぼくも仕事を再開しているので君は6月からはずっと保育園に通っている。幸い子どもには感染が広まらず、重症化しにくいことはわかってきているようだけど、それでも保育園に通わせていることに葛藤がないわけではない。たぶん他の親御さんたちも同じ気持ちなんじゃないかな。君は通園を再開した当初こそベソかいたり「ばあばんち〜」と訴えたりしていたが、最近は抵抗なく通えている。
君の成長は止まらない。
以前から連呼している「ヤダ」に加えて最近は「ダメ〜」も覚えた。一日に数千回はダメを繰り返し、そのダメの嵐をかいくぐるように食事させ、入浴させ、入眠させている。いかにうまくなだめてタイミングよくルーティンをこなすかというゲームをやっている気分だ。

そういえば前回の記事を書いた直後に大事件があった。

ちょうど通園を再開した二週目の月曜日だったと思う。
いつものように君を迎えにいってアパートに帰ってくると、君はアパートの鍵で遊びたがった。
ぼくは鍵を君に与え、君はそれを鍵穴に差し込んで遊び始めた。ぼくは部屋の中に入り、君は外側から鍵を回した。みおさんも部屋の中にいた。君がいくら鍵を回して締めてしまっても、ぼくが中から内鍵をひねって開ければ問題ない。そう考えていた。

しかし、ほどなくして問題が起きた。
君が外から回した鍵は変な中途半端な角度でつっかえてしまい、部屋の内側から回そうとしても回せなくなってしまった。とうぜん君は一人で外、つまりアパートの共有通路にいて、僕もみおさんも部屋の中にいる。

「え?開かない!嘘!」と慌てて声をあげる僕。みおさんもそれに気づき、慌て始めた。一方、ドアの外に君の名前を呼びかけてみても返事はない。それどころか、たったったと駆けていく君の足音が聞こえたような気がする。

僕も、みおさんも何度も声をかけるが、反応はない。そして鍵を何度も回そうとしても、それは動かない。僕らは部屋の中に閉じ込められてしまったのだった。

僕らの部屋はアパートの2階。1階は大家さんの住まいになっている。みおさんは急いで大家さんの奥さんに電話をし、事情を説明した。

なかなかに緊迫した状況だった。

なんせ2歳の誕生日を迎えたばかりの娘はアパートの部屋に両親を閉じ込めてどこかへ消えてしまったのだ。

大家さんが部屋の鍵を開けてくれなければ、どうすることもできない。ベランダに出てアパートの正面の通りを見ようとするが、大家さんのお庭の木々でほとんど見えない。君を見つけることはできない。
ほどなくして電話ではあまり状況が飲み込めなかった様子の奥さんが鍵を開けに来てくれた。君のことは見ていないという。そこから慌ててみんなで外に飛び出し、君を探した。

その日はたまたま大家さんの娘さんも帰省しており、私とみおさん、そして大家さん夫婦と娘さんとで君の名前を呼びながらアパートの周囲を探した。見つからない。君は一人で階段を降りて、どこかへ行ってしまったようだった。

周囲にはアパートや民家、オフィスやコンビニなどもあり、通りにはそれなりに車が通る。僕らは心臓を吐き出しそうな思いでその時間を過ごしていた。

ほどなくして、君は発見された。

だいたいアパートから百メートルほど離れた道路上を、君はてくてく歩いていたらしい。大家さんの娘さんが発見してくれた。いつも歩いている保育園とは逆方向を、君は進んでいたようだった。彼女が君を発見したとき、君の前を徐行した車が走っていたらしい。

その夜は夫婦で落ち込んだ。
というか完全に僕の判断ミスなのだけど、とにかく二人で落ち込んだ。
最悪の事態は起こり得た。
そのことを考えるだけで、目の前で何事もなかったかのようにケロッとしている君に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
君はいったいどういう気持ちで駆けていったのか?
よっしゃ自由になったぞ!って感じだったのか?
ぼくが追いかけてくるのを期待して逃げたのか?
いつも一緒にゆっくり降りるのは問題ないコンクリートの外階段も、踏み外せば大怪我にもなりえたし、何よりも車だ。飛び出してくる二歳児なんて車には避けようがない。

直後に大家さんが部屋にやってきて鍵の確認をしたが、君がやったように中途半端な角度で施錠するのを再現することはできなかった。本当にたまたま入りどころが悪く、動かせなくなったということらしかった。何度ひねっても回せなかった鍵。ドアの向こうで、駆け去っていく君の足音が忘れられない。たぶん本当にうれしかったんだろうな。

こうして一命をとりとめた君は、今日も保育園へ。
私は職場で暇な時間を過ごしている。
仕事はもろにコロナの影響を受けていて、
これからどうなっちゃうのかしらと思っている。

でもとにかく君が生きているんだから、
他のことなんてどうにでもなるさって思う。

本当にあの日のことだけは忘れらんねえよ。

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