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【読書日記・4】全校朝礼での出会い


「冥途」内田百閒・著

全校朝礼で校長先生が何を話すか。ここに人間性がでる!と気づいたのは大人になってからだ。当時は「早く終わらないかなー」「今日の給食何かなー」という邪念しかなかったので、話を聞くというよりも時間が過ぎるのを待つばかりだった。だから残念なことに、ほぼ響いていない。

大人になり、朝礼で校長先生のお話を聞く機会があった。1冊の本の紹介があり、ちょっとした謎解きのような問いかけで締め、話はほんの数分で終了。説教でも教訓でも何でもない校長先生のお話に目からウロコである。私はこういう話を当時、聞きたかったのかも知れない。
その本を読みたくなり、さっそく図書館へと向かった。内田百閒の『阿房列車』である。すぐに検索をして館内を探したが、どういう訳か在庫のはずの本は探してもどこにもない。図書館員さんに聞いても見つからない。本棚の「う」の場所でしばらく困ったのち、代わりに『冥途』を手に取ってみた。

読み進めるうちに異世界へ迷い込んでいった。誰かの夢の話を聞いているようで、途中から本当に夢を見ている気分にさえなった。読み始めに抱いた疑問や違和感は、いつしか「夢の世界は何でもありだよねー」という許容になり、まんまと内田百閒ワールドに入り込んでいた。主人公が理不尽な出来事に戸惑いながらも逆らえず、次第に受け入れていく様子が、読者にもリンクしてゆく。
内容を他人に説明しようものなら、一気につまらないものになってしまう本だ。他人の夢の話ほど、つまらないものはないのと同じで「へぇー」としか感想が言えないだろう。だからこそ、この短編集は自分で読んで味わうしかない。夢世界を体験する本なのだ。

中学生の頃の私に、校長先生はどんな話をしたのか覚えていない。当時の先生たちは色々な本を薦めてくれたかも知れない。夏は暑く、冬は寒かった思い出しかない全校朝礼が30年後に響くとは、人生は想像を超えたことばかり起こるな、と染み染み思う。

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