眠れぬ夜にワードサラダを

眠れない時、あるよね〜〜〜

特に理由もないのに目が冴えている。時間経過が苦痛!しかもそういう日に限って翌日の予定がやばくて心配!助けてくれ〜

でも大丈夫、そんな時にうってつけのレシピがあります。美味しいワードサラダを食べて、夜の混沌に沈んでしまいましょう。

ワードサラダって?

Wikipedia曰く、「文法としては正しいが、意味が破綻している文章のこと」だそうです。精神医学で使われたり、コンピュータで自動生成した文章を指したりするらしい。でも、ここでは単に「意味のわからない文章」や「脈絡のない単語の寄せ集め」としましょう。例えばこんな感じ……

時間は飼い猫を滑り、工場を仄めかす。
それは心地良い羽虫の足並みで、室外機の感性をトポロジカルに撫ぜる曖昧な氷でした。

とても美味しいですね。美味しいけど非常にハイカロリーです。なにしろ作るのにとても頭を使う。一応作り方をざっくり説明しておきましょう。

  1. 文章の「流れ」をなんとなく思い浮かべる。語呂とか品詞とか。「○○の○する○○は、その○に○○した。」といった、ぼんやりとした枠を作ります。これは後々ぶれてもOK。

  2. 好きな単語を1つ用意して枠に入れます。

  3. 次の単語を用意するのですが、ここがポイントです。すぐに思い浮かぶ単語は、大抵それまでの文の流れを汲んでしまっていて、そのまま使うと普通の文になってしまいます。なるべく脈絡のないところから単語を拾ってきましょう。

  4. あとは3を繰り返すだけ。簡単ですね。

簡単じゃないです。多分人によりますが、1単語思いつくのに30秒とかかかります。思考もフル回転してます。今から寝ようって時にこんな作業をしていたら朝になってしまいます。

でも大丈夫、眠れない夜の脳なら、簡単に美味しいワードサラダを調理できます。好きな材料を好きなように盛っていくだけで完成するので、気負うことはありません。

では、材料の紹介に移りましょうか。

数字マトン

いきなり肉です。サラダとしては邪道すぎます。

でもこの数字マトンにはワードサラダの基礎が詰まっていて、調理を通じて皆さんの脳の状態を整えるのに最適なのです。

使うのはお馴染みの睡眠用食材、羊です。小さい頃に「眠れないときは羊を数えましょう」と言われた人もいるのではないでしょうか。

ひつじが1匹、ひつじが2匹……

寝れません。正直言って、これで寝れる人は羊なんて数えなくても寝れると思います。

じゃあ何故、眠れないときに羊を数えるなんて文化があるのか。諸説ありますが、英語で「sheep(羊)」が「sleep(眠る)」に似てるから、暗示のような効果があるらしいです。

あと、発音も眠りに向いています。実際に口に出さないとしても、頭にどんな音が響いているかは重要です。

One sheep, two sheep…

なんか寝れる気がしてきました。

でもこれを直訳で日本に輸入してしまったものだから、「ひつじ」という非常にややこしい発音の単語になってしまいました。

似たような話に、写真を撮る時の「はい、チーズ」があります。あれも「Cheese」と発音すれば口角が上がりますが、日本語で「チーズ」と言っても撮れるの口をすぼめた変な顔だけです。

……話が逸れてしまいました。羊肉とチーズを皿に盛ってサラダと言い張る異常者にならないために気を取り直しましょう。

眠るための羊は外国産の方がいい訳ですが、残念ながらわたしは生粋の日本語話者です。英語で羊を数えようものなら、twelve辺りで脳が回り出してしまいます。だからいっそ、羊には透明になって貰いましょう。

1匹、2匹、3匹、4匹……

文字だと淡々としてますが、脳内で読み上げると非常にまどろっこしい。「ひき」と「びき」と「ぴき」の使い分けなんか、今から寝ようとしている人間がするべきタスクではありません。

1、2、3、4、5……

だいぶシンプルになりました。でもまだ問題があります。「数字を順番に数える」というタスクは、微量ながら集中力が必要であり、時にわたし達の脳を現実世界に繋ぎ止める楔となるのです。

あと、無駄な思考が湧きやすいです。例えば300まで数えたのにまだ眠れてなかったら、誰しも「まだ寝れてない」という焦りを覚えてしまうでしょう。

だから、そのタスクすらも省いてしまいましょう。考えることは、ただ数字であれ。それ以外の一切を気にする必要はありません。時間経過の概念すら忘れ、脳の揺らぎに身を任せ、その揺らぎを認識することすら放棄して、ただ思い浮かんだ数字を拾うだけの作業。もはや脳内で読み上げる必要もありません。ただ淡々と、数字の概念だけが脳を漂います。

32、93、55、6、28……

美味しい数字マトンの完成です。

夕景パプリカ

さて、肉の調理に少々手間取ってしまいましたが、お陰でワードサラダの作り方をぼんやりと把握して頂けたことと思います。次は手早く野菜を切っていきましょう。

眠る前の脳には、時折景色が浮かびます。それは見たことのある場所、いつもの帰り道や楽しかった旅行先、遥か過去の母校かもしれませんし、或いは全く見覚えのない白銀の世界や大海、非現実的な高さの塔や、誰も辿り着いた者のいない宇宙の果てかもしれません。

脳のランダムシードの微かな揺らぎに目を向けて、そんな景色の移り変わりを楽しみましょう。決して無理をする必要はありませんし、そこにあなた自身が居る必要もありません。あまりにもリアルな感覚を想像しようと試みたり、物理法則などが気になりだしてしまうと、頭を使ってしまいます。

それから、正確に過去の景色を再生しようとするのもおすすめしません。完璧に再生できるほど脳に焼き付いてしまった記憶なんて、大抵がろくでもないものです。忘れかけていた失態を思い出して気が狂いそうになる前に、ふんわりと靄をかけてどこかに行ってしまいましょう。

そうやって、居たり居なかったりする自分でぼんやりと景色を見ながら、少しずつそれらの世界を摘んでいきましょう。

空、海辺、市街地、図書館、公園、空、電車、炎の中……

あとは好きな大きさにカットするだけです。切れていないものがあっても構いません。考えすぎないように、素材を贅沢に使って、見えた部分だけを切り取っていきましょう。

青空、割れた貝殻、ビル風、暗い本棚、ブランコと砂場、降下する烏、地下鉄のメロディーと揺らぐ炎熱。

パプリカは甘くて、野菜が苦手な子供でも食べやすい……らしいです。わたしはパプリカが嫌いな子供だったので分かりませんが。ワードサラダに馴染みのない方でも、手に取りやすい食材だと思います。一方で、パプリカはサラダの色彩を一転させる強力な材料でもあります。混沌の中からふと浮かび上がる景色は、あなたのワードサラダに彩りを与えてくれることでしょう。

動詞クルトン

また野菜じゃない?聞こえませんね。

動詞クルトンもおすすめの食材です。ワードサラダに必ずしも必要なものではありませんが、美味しいし、沢山入れればお手軽に栄養補給ができます。

まずは生地を用意します。脳のランダムシードから育った新鮮な小麦を使いましょう。取っ掛かりが無い分、慣れないうちは頭を使ってしまうかもしれません。できる限りリラックスした状態が良いです。あなたの思考の揺らぎが優しく生地を捏ねて、動詞になりきれない微かな動きが頭の中に満ちていくことでしょう。

そうしたら、生地の流れの中から好きな一瞬を選んで焼き上げていきましょう。時には、完全に音の響きだけで動詞を選んでしまうのも一手かもしれません。

走る、歌う、揺蕩う、絡め取る……

動詞を焼く感覚を覚えたら、サラダに満遍なく振りかけましょう。あくまで主役は野菜なので、かけ過ぎないくらいが丁度いいです。

走り出す暗がりと、歌う水晶。スペクトルは揺蕩い、厳かな正方形を絡め取る。

もし余裕があるなら、できるかぎり食感の異なる食材と組み合わせるのが良いでしょう。同じ要領で動詞パスタや動詞コーンなども作れますので、是非検討してみてください。

概念ドレッシング

お次は、サラダに欠かせないドレッシングです。ドレッシングはとても大事な食材、サラダの味の9割を決定してしまいます。でも、ここまでワードサラダを調理してきた皆さんなら大丈夫。必ず自分だけの特別な味を作り出せます。

やるべきことは一つ、皆さんの好きな味の概念を存分に混ぜ込むだけです。時間、線、感性、生命体、偶然、必要悪、トートロジー。

はっきりとした形をもたない概念は、ワードサラダにおいて大きな役割をもちます。シニフィエの曖昧さはワードサラダの1つの魅力であり、何物も示さない文章から想起されるイメージは言葉の驚くべき可能性を映し出します。

その概念が指す対象について、深く考える必要はありません。ただ思いつくままに、その響きだけを味わっていきましょう。そのうちに、ドレッシングの概念性はサラダ全体に浸透していきます。対象があったはずの言葉の対象まで見えなくなって、その愛すべき概念の海へと思考が沈んでいけば、意識はいつのまにか夢と現の境を越えていることでしょう。

ベールレタス

さて、ここまでレシピをお読み頂いた皆さんは、こう思うことでしょう。「サラダなんだからレタスを出せ」と。当然です。ワードサラダを作ろうとしたら何故か羊肉のパプリカ炒め(パンとドレッシングを添えて)が完成してしまった方も安心してください。皆さんのお皿に、すでにレタスはあるのですから。

眠る前のワードサラダを、ワードサラダたらしめているもの。それは皆さん自身の認知です。つまるところ、自分しか食べないのだから、自分がそれをワードサラダであると認知していれば、それで構わないのです。はっきりと浮かぶ言葉の隙間を、言葉になれなかった無数のレタスで埋めてしまいましょう。このレシピだけに適用できる、特別な食材です。その皿に何が盛られていようと、美味しく食べてしまいましょう。眠りに落ちようとするあなたの脳は、あなただけのものなんですから。

それじゃ物足りない?この美味しいワードサラダを皆にも食べてもらいたい?それじゃあ苦しみましょうか。思考の流動を切り取る、果てのない表現の業は、いつでもあなたを歓迎していますよ。

盛り付け

ともあれ、これで具材は出揃いました。文法のお皿に盛りつけて、接続詞のフォークで召し上がれ。夜の曖昧に溺れながら、その味を心ゆくまで堪能しましょう。

勿論、今日紹介した食材はほんの一部だけです。トマト、玉ねぎ、ラディッシュに感嘆符。好きなものを何だって入れてしまいましょう。その涼やかな色彩に、虚数の霧すら等速で逃げ去る程に。あなたの言葉は、既にその標準系を失って公転する雨の音にすぎないのです。

それが正しい流転でなくても、食された音の残像はあなたの解像度を伝って、ただ崇拝の中で微睡んでいます。形態的なクオーテーションに虹彩は無く、酷く嘯いた過去の演繹すら。その諦観が夜の教室で祈り続けたあなたの臓腑であれば、きっと何もかも、この星における捕食の一つにすぎないのです。あなたの心象に、どうか安らかな混沌が芽吹きますように。

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