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自分は自分のものさししか持てない

こんにちは。めここです。


なんだか悲しいニュースを見ると、こちらまで悲しくなってしまいますね。



以前、読んだ本の中に、こんなようなことが書いてありました。


『真実はひとつではない。ただし、事実はひとつである。』


真実は、その事柄をとらえる視点で、見え方が変わってしまうけれど、実際に起きた出来事(=事実)はひとつしかない、ということです。




私たちは結局、どんなに客観的であろうとしても、自分の見方、考え方、そして経験を通してでしか、物事をとらえることはできません。



他人の気持ちを考えて、なんて、

多少、想像はできるかもしれませんが、本人以外、知ることは絶対に不可能です。





最近、芸能人の方の自殺のニュースをよく目にします。


第一線で活躍されている方々ばかりですよね。


あんなに素晴らしい方なのに…。


と、どうしても思ってしまいます。



ただ、


あんなに輝かしい人生を送っている人でさえ、自殺してしまうなら、自分はどうなんだ。


なんてことを考えるのはお門違いです。


この言い方は、目に見える綺麗な部分だけを見て、その人の苦しみとか、悲しみとかを想像すらしていないような気がするからです。




自分のものさしで他人を測れば、そうなります。

自分と、自分が見た事だけを比べているんだから。




ただ、そんなことを言っても、結局、自分は自分のものさししか持っていません。



ですが、そのことを自覚する必要はあります。



自分がとらえているのもは、どうしたってある一面に過ぎないのです。


他の面があることを知っていなくてはいけません。どんな面であるかはわからなくても。





自分の世界を測るものさしと、うまく付き合っていく方法はなんでしょうね。




その方法も、本人しか見つけられませんね。



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