宗教的な話にもなるが、"祝福"とはそこにあるものをそう感じられたり捉えられるかどうかであってどこまでも主観的なものでしかない。
「休日の好天」を"祝福"として享受する人もいるし、
「平日の荒天」を"呪詛"として忌避する人もいる。
複数人で同時に共有する"祝福"こそ"祝祭"。

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