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格ゲーで感じた何切るへの回答時の気持ち

ここしばらくは最近でた格ゲーをやっていました。

ギルティぱっけ

ギルティギアストライヴと言うゲームです。

このゲームはランクタワーと言うランクマッチがあり

1階からスタート。

タワー

そこでたくさん勝つと2階にいけるようになり2階で勝っていると3階にいけて~と言う感じでどんどん上に登っていくものです。

ゴールとしては10階でたくさん勝つと昇格戦に突入するのでそこをクリアして

「天上階」

と言うところに行くのが目標となります。天鳳で言うところの鳳凰卓みたいなものですね。

僕は結構格闘ゲーム好きなのでいけるかなーと思ってやっていたのですが9階で停滞してました。

全然勝てねーwww

そこで座学として知識を入れるために使っているキャラクターの攻略をしている人が集まっているディスコードに参加しました。

やはり集合知と言うものは素晴らしく色んな方のアドバイスを受け無事天上階に到達することができました。皆さんありがとうございした(っ´ω`c)

天上階

しかしそこで思ったのは

「何切るに答えるのが怖い」と言う気持ちへの理解です。

何切るって別に間違えたっていいんだから間違えを怖がる必要なくない?間違えても誰も怒らないし。

と僕は思っています。

でもそれって自分にある程度自信があるから言えることなんですよね。

何切るって間違えても全然よくてみんなが間違ればどこがややこしいポイントなのかわかるし選択肢が変わるほどでなくとも意外な要素が見つかったりするので間違えでも回答すること自体に価値がある。

麻雀の何切るに関してはこう思っていてこれは正しいとも思っています。

そしてそれは他のゲームでも当然同じことだと思うんですよ。

それなのにストライヴで最高ランクである天上階に行けたとはいえまだまだ未熟な自覚があるんでメイの攻略ディスコードで攻略の発言をする時はちょっと気後れしてしまうんですよね。

質問するのは全然気にならないんですけどだれかの質問へ回答するときは今でもかなりそうなる。

麻雀の何切るは答えることに全然気後れしないし仮に間違っててもよくない?と思えてるのに格ゲーだと全然そう思えないんですよね。

やはりこういうのは理屈じゃなく気持ちの問題なんだなと実感しました。

特に今はどんなゲームでもすごい強い人の意見が聞ける時代なので自分が未熟だと感じていると委縮ってしやすいと思います。

僕はずっと麻雀をしてたので上に書いた何切るに関しての考え方があって多少の気後れはまだあるものの回答すること自体に価値があると思っているので格ゲーディスコードでもロム専ではなくちょいちょい発言したりしています。

そういう点では地に足を付けて一つの界隈で活動しているとで分かってくることもあるなぁと思いますし逆に今回格ゲーのコミュニティに入らせてもらったことで何切るに答える人のが不安な人の気持ちを再確認出来たということで本業の界隈で成果を出したいとしてもその世界だけで完結させるのではなく別の界隈に顔を出すことで得るものもたくさんあるなぁと感じました。

サポートしてもらえると更新意欲が上がります(*´ω`*) よろしくお願いします。