Youは何しに韓国へ?


“え、韓国留学するの?余裕じゃん!“ 
私が韓国に留学すると伝えた時、ある人はこういった。そして、他の人も同じような反応を見せた。
私でも、きっと同じように反応すると思う。

日本で生まれ育ったけど、韓国籍で、韓国語も完璧ではないまでも話すことができる。
少し遠いけど、親戚だっているし、確かにいわゆる普通の“留学“ではないかもしれない。もっと言うなら、両親にも韓国に留学に行きたいと伝えたとき、“え?“と反応された。(両親的には別の留学先に行って欲しかったと言うのはまた別の話)
簡単に言って仕舞えば、私が留学先として“韓国“を選んだことは、場合によってはチートキーに見えるのだ。

正直、私自身も何回も自問自答した。
“なんで私は韓国で勉強をしたいんだろう?“
この問いは意外と厄介で、一度自分に投げかけると、色んな思いがグルグルしてうまく言葉に出来ない。だけど、留学を始める前には、グチャグチャでもアウトプットしておきたくて今日は、書いてみようとする。


“自分の問いに決着をつけるため“

これが私の韓国留学の目的だ。
私は、私がずっとわからなかった。
自分のことが分かっている人なんて逆にいないだろうけど、
私にとって、特に“ナショナリティ“は小学生の頃から、とても大きなテーマだった。
日本文化と朝鮮文化のごちゃ混ぜになった“在日文化“で育った私。
キムチとお新香が同時に並ぶ食卓を当然のように受け入れて、朝鮮料理とお雑煮を一緒に楽しむお正月が、私にとっての当たり前だった。
日本のテレビ番組が大好きで、そこで韓国アイドルの映像が流れるとなんとなく誇らしい、そんな風にして育ってきた。

“日本に住む韓国人“ 私はいつも自分を紹介するとき、その下の方に特に力を入れてきた気がする。もちろん、家庭や小学生の頃の民族教育の影響がすごく大きいけど、兎にも角にも“日本人じゃない“ という定義づけは自分にとって、一番簡潔で理解しやすかった。

でも、小学校3年生の春休み、そんな自分自身の定義づけに疑問をもった。思えば、私の韓国留学のきっかけはこの時から始まっていたのかもしれない。
小3の春休み、私は先祖が眠る済州島を訪れた。私は自分の朝鮮語に自信があったし、(先生とかにも褒めてもらうことも多かったし、、、コレマジ)“日本人じゃない“私は、褒めてもらった言語力を武器に、自分のパスポートの“祖国“に行って、生まれて初めて故郷を訪れることにワクワクもしていた。

ところがどっこい。私の言葉は通じなかった。いや、通じたけど、自分の口から発される言葉と、彼らとのそれとは、語彙からイントネーションから、まるで違った。
言葉だけじゃない。そこにいる人も、食べ物も、何もかもが私にとって慣れないものだった。全部が全部、“ガイコク“だった。ここが、“コキョウ“なるものなのか?先祖の墓の前でぼんやりと考えた。私は日本人じゃなくて、韓国人。でも、本当に韓国人?、、、
当時9歳だった私は、“日本人じゃない“の後ろにかっこ付きで隠れていた、問い“じゃあ私は何人なの?“にぶつかることになった。

日本人じゃなかったのに、韓国では言葉が通じない、戸惑う自分がいる。
日本に生まれ育ったから、当たり前って言われたら本当にその通りだ。だけど、日本で自分を韓国人だと名乗ってきた私にとって、自分の故郷でのアウトサイダーとしての経験には強烈なものがあった。その時から、私にとって、韓国は一番近くて遠い、異郷になった。

“自分の問いに決着をつける“
私の問いは、“何者として生きていこうか?“というものだ。
誰にとっても、そんなに簡単に見つかる答えではないけど、私は、一番近くて遠くも感じるここ韓国で、自分の核につながる何かを手繰り寄せたいと思っている。
もちろん、たった一年の滞在で、自分のアイデンティティが形成されるわけもないし、きっと私はまだまだ何者にもなれない。
でも、何者かとして生きていくためのパズルのピースはきっと手に入れられると思う。
もしかしたら、それは何者かになるためのものかもしれないし、逆に何者にもならせないものかもしれない。(ちょっと何言ってるかわかんない)でも、きっと何かはある。
自分のペースで探していこうじゃないか。
不安も期待も全部飲み込んで、気楽にいこうじゃないか。

さぁ、母国留学の始まりだ。


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