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豆腐屋がおじいちゃんになっていた

豆腐屋に会ったのは五年ぶりだった。実家で暇を持て余していたら、母が「豆腐を買ってこい」と言ったからだ。僕はいつも豆腐屋が鳴らしている「ぷー、ぷっぷ」という情けない音を聞きながら、財布を持って外へ出た。

この近くに豆腐屋は一つしかない。ラインナップのどれもがスーパーで買うより格段に美味しく、新鮮で、しかも安い。けれど軽自動車で売りに出るのは、一週間のうち火曜日と金曜日だけだ。不定期で、休んだり時間がずれたりする。

帰りのチャイムが鳴ったあと、暗くなると、近隣の家の前を例の音といっしょに走り、停まる。以前は家の前にある居酒屋の前に停まっていたけれど、今はその隣の家の庭に停まるようになったらしかった。

こんにちは、と挨拶した。ひとの家の庭に入るのはそわそわする。「おお、長男か、久しぶりだ」と豆腐屋が言った。腰が曲がっていて、瞳の中が灰色に透けていた。運転も一人でしていたはずなのに、今は奥さんが代わっているらしい。赤いハンチング帽と、声色だけが記憶と同じだった。

「絹が二つと、がんもと、それから油揚げが二つ」と言うと、黄色っぽいプラスチックのコンテナから、豆腐を取り出してくれた。ばっと広げたレジ袋にてきぱきと入れて、「はい、660円」と豆腐屋は言った。

「目を病気して、サングラスをかけてるみたいに暗くなっちゃうんだ。だから顔はわかるけど、どんな表情をしているのかは分からない」
僕が知っていた豆腐屋は、こんなにおじいちゃんではなかった。もっと目に光が差し込んでいたと思うし、気さくで元気に話していた。自分が知らないうちに、知らない場所で、自動的に、勝手に時間が過ぎていったように思えて哀しくなった。なにか言わなくちゃいけないと思った。

「そうなんですか。僕はいま笑ってますよ」
ハハハ、と豆腐屋が笑った。バックミラー越しに奥さんと目があった。すこし口角が上がっていたように感じた。そうしてようやく、僕の中にいた豆腐屋の記憶と重なった。豆腐屋がおじいちゃんになっていたのだった。


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