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君たちがどう産まれたか[スタジオジブリ 君たちはどう生きるか 感想]

メイテイです。

ほとんど宣伝がされないまま、突如発表されたスタジオジブリの新作、君たちはどう生きるか、を観てきました。

宣伝なしの発表方法は映画アニメーション界ではすごく珍しいため、まだ新作が出たことに気づいていない人、映画館のポスターで知って、過去作のリバイバル上映だと思っている人、いろいろ情報が錯綜していると思います。

元ネタや、同名の漫画、小説との関係は以下の記事が詳しいです。詳しく知りたい方はこれを。


メイテイの結論としては、けっこう気持ちわるい映画でした。たとえるなら、東京都美術館の石岡瑛子の展示で、三島由紀夫の金閣寺がパカっと真ん中で割れているのを見たときと同じ気持ちでした。たとえになっていないですね。

でも僕は気持ちわるい映画が大好きです。これから、この映画が持つ気持ちわるさについて、書いてみようと思います。

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下の世界とはなんなのか

冒頭は、アニメとは思えないほど美しい火事のシーンから始まる。そして、母がその中に取り残される……現実での眞人は、悲惨な境遇にみえる。疎開先でも少年らしい反抗を残しながらも、アオサギと、隕石からできたとされる塔に魅かれていく。

特に印象に残るのは、現実ではなく、塔に取り込まれたあと、下の世界でのファンタジーな出来事だ。まだ元気で若いキリコ、幼い頃の母がいて、塔の主である大叔父もいる。時間軸が混ざり、同じ空間に、違う時間からきた血のつながりがある人間たちが集まっている。地上から見れば、取り込まれた人間たちは神隠しに遭ったように見える。

では、この下の世界は一体なんなのか? ここでは、下の世界を「産まれる前に誰もが通る世界」だと仮定する。

メイテイの友人いわく、「あの世界は、まだ人間になる前の、魂が彷徨っているんだ」と。実に美しいし、ファンタジーだし、納得感がある。たしかにそうだろう。

しかし、それでは、ふわっとした解釈に過ぎず、あまりに面白くない。魂は想像がつきやすいし、誰もがそう感じる。生涯に渡りアニメ映画を作り続けている監督が、そこまで想像しやすい形で、いまさら描くだろうか?

だからここでは、下の世界を「子宮の中」だと捉える。

わらわらとかいう生き物

下の世界には血のつながりがない、生きている人間はいないが、いくつかの生物がいた。殺傷ができない人型の何者かと、兵隊じみた格好をしたインコ、それからペリカン、最後に、わらわらだ。

わらわらは小ちゃくて白くてかわいらしい。軽そうだし、魚の内蔵を食べ、栄養が満ちると天へと飛んでいく。

白くて小っちゃいものといえば、精子である。この辺りでツッコミが追いつかなくなってきたかもしれないが、ふざけているわけでもないし、大真面目だ。詳しく書いていこう。

眞人が聞く「わらわらが飛び立つとどうなるのか?」に対して、キリコは「地上に行くんだよ」と明言している。これはわらわらが産まれる前の人間である可能性を示唆している。たしか、人間は産まれる前は精子と卵子であったはずだ。義務教育で習ったはずだ。決して魂などではない。

下の世界を子宮だと仮定して、わらわらを精子だと仮定すると、きれいに筋が通る。下の世界では、子宮に入った精子が、魚の内蔵を喰らってから、着床を目指して空へと飛び立つ。精子は熱に弱い。だから、火に巻き込まれるとあっさり燃えてしまう。ペリカンも、着床までの厳しい道のりを示している。子宮の中では生死は長く生きられないことを、端的に表現している。

実に気持ちがわるい。最高だ。

君たちがどう産まれたか

眞人が旅をした下の世界は、時間軸が異なる別のファンタジー世界や、地獄や煉獄のメタファーではない。人間が産まれる前に過ごしてきたはずの世界だ。たとえるなら、赤子だった自分の写真を見せられているのに近い。だから記憶がおぼろげになり、上の世界に戻れば、次第に忘れていく。そう考えると、ファンタジー世界はミスリードに過ぎず、「君たちはどう生きるか」は、冒険譚の皮をかぶった、人間の生態についての記録に思えてくる。

下の世界は、血族のうち誰かの子宮なのだ。大叔父が世界を作り、維持してきたのだとするならば、大叔父の母の子宮ではないのだろうか。そうなると、眞人は大叔父の母の子宮、産まれる前の世界で、幼少期の眞人母と出会ったことになる。そこで眞人が知ったのは、「君たちはどう生きるか」ではなく、「君たちがどう産まれてきたか」に違いない。

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