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泣けないほど軽い昨今の音楽が虚しい

割引あり

中学生の頃は、イキって洋楽のカヴァーをYoutubeで漁っていました。メイテイです。

“昨今の音楽”

さっそく、本題に入っていきましょう。昨今の流行りのポップスがなぜクソかについて。どこがクソなのかについて。
ここでは、令和以降の音楽を、昨今の流行りポップスとして捉えることとします。もう少し踏み込んだ言い方をすれば、YOASOBIの登場以降でしょう。既に多数のアーティストがスターダムを駆け上がっていますが、とりわけ、YOASOBIの世界的な影響は無視できません。

Gacha pop

流行りを知りたい音楽老人たちのために、プレイリストを紹介します。今年5月にSpotifyで公開されたGacha popは、昨今の流行りJ-Popを放り込んだ世界的な最新のプレイリストです。

参考: https://spotifynewsroom.jp/2023-06-23/spotifygachapop/

このGacha Popの中にもクソなミュージックがよく放り込まれています。

YOASOBIやAdoがいますね。軽すぎる音楽たちが。ベルトコンベア式に大量生産されているせいで、音楽が持つ本質的な喜びや、広げるべき怒りを捨て去ってしまっています。順番にクソなところをあげていきましょう。

歌を聴かせて

YOASOBIの致命的な欠点は、ボーカルの幾多りらにエフェクトをかけすぎているところです。メロダインやAutoTuneを代表とするピッチ修正ソフトウェアは、彼女のような生歌で人を感動させられるボーカリストには使うべきではありません。
また、落ち着きが足りないことも欠点の一つです。”MIDIジャズ”とも言われているYOASOBIの音楽には、従来の演奏録音では不可能な譜割りがされています。どうやら、楽曲の中にあらん限りのノーツをメロディックに詰め込むことこそ、昨今のジャパニーズポップスの流行りのようです。音楽的情報量が正義になりすぎて、休む間がなく、余裕や自信が感じられません。

ガチャガチャなミュージック

まるでボカロミュージックの集大成のような曲が並ぶAdoの音楽性には、作曲家が介在しないため統一性がありません
Adoを好きな人たちは、歌声やそれに合う楽曲が好きな人たちであり、音楽が好きとは言い難いでしょう。なにもAdo、日本だけに限らず、コンポーザーがメンバーにいないアーティスト全員に当てはまります。音楽性のないリスナーたちだと感じざるを得ません。
アルバムを聴けば楽曲のテイストがガチャガチャであり、ある意味でGacha Popに相応しいといえます。プレイリスト以前に、アルバム単位ですらガチャガチャですから。しかも、それにも関わらず、どこかで聞いた感がどうしても付き纏います。TikTokか、池袋のサンシャインシティ通りあたりでしょうか。

近すぎる、うるさすぎる

加えて、Adoにはリバーヴが足りません。先述したノーツ詰め込み戦略を徹底した結果か、あるいは元々リスナーがリバーヴを重要視しない傾向があるのか、とにかく空間の奥行きが足りません。「うっせえわ」に比べれば相当に良くはなりましたが、ボーカルが目の前にいる厚かましさは耐えがたいものがあります。そこに立って欲しくないです。
たしかにボーカロイドであればリバーヴは合わないかもしれませんが、ここで歌っているのは人です。歌ってみたの文化圏には、空間系エフェクトは難しかったようです。
ボカロ系コンポーザーが関わるアーティストなら「ずっと真夜中でいいのに。」や「ヨルシカ」、「酸欠少女さユり」に対しても同じ質感を感じるときがあります。同系統の「米津玄師」は比較的新しい曲では深いリバーヴを感じられるようになり、制作環境やリスナー層の違いを激しく感じます。
さらに言えば、ボーカルが突き刺さるように尖ったイコライジングがされているのも特徴です。大量の楽器隊に際立たせながらも自然に混ぜるには、それぞれの周波数を整える必要があり、その代償として元の歌声の質感が失われます。iPhoneのスピーカーで聴きやすい調整がされていると言ってもいいでしょう。リスナーは楽曲をラジオと間違えているのではないでしょうか。うるさくてたまらず、長い時間聴いていると疲れてしまいます。
余談ですが、SONYの音響機器にも同じ怒りを抱くことがあります。ドンシャリサウンドと言うらしいです。

救いようがない

これらのことから、Adoの楽曲はYOASOBIと反対に、美しさに押し付けがましさがあると言えます。
しかし、ではバラードを勿体ぶって歌えば似合うのかと考えると、そうでも無さそうです。歌声のキャラクターが唯一無二すぎて、どうしても競い合うように楽器隊を激しくせざるを得ない雰囲気があります。残念ながら、最後まで相容れないアーティストです。

てめえの好きな音楽、珠玉の泣き声プレイリスト

さて、そろそろ「そこまで言うならてめえの好きな音楽を上げろ」と言われそうなので、以下にApple Musicのプレイリストと共に、僕が好むアーティストを紹介します。

酸欠少女さユり「スーサイドさかな」

さユりのは弾き語りは最高です。下げて上げる戦略です。リコリコのEDよりこっちを聞いた方が幸せになれます。

歌声の特徴もさることながら、オーバースペックなギターの力量がよく感じられて、誰にも負けません。メジャーデビュー前の路上ライブでの経験が滲み出ています。

星野源「不思議」

イエローミュージックを自称する星野源の音楽には、新垣結衣と結婚してから官能が追加されました。余裕のある音楽とはまさしくこのことです。
ノーツには余韻を楽しむ隙間があり、無理のない歌声には、インストバンド時代に培った作編曲能力が、惜しみなく発揮されています。

竹内アンナ 「いいよ。」

このアルバムにはとんでもなくいい曲しか入っていませんが、中でも”泣いている”のはこれだと感じ、断腸の思いで選びました。アメリカ生まれの音楽性が、優しい歌声を届けてくれます。

さユりをシンプルなコード弾きの猛者とするなら、竹内アンナはコードワークとテクニカルなプレイの鬼です。単音弾きも混ぜているので、ギターだけでも唸れます。歌はおまけです。いいえ、おまけではありません。それほど、狂おしいほど素晴らしいギターです。自ら爪の垢を煎じて飲みたいくらいです。このあたりでやめておきます。

Kiki Vivi Lily「Licence of love」

随一のグルーヴ感があります。星野源の女性バージョンとでも言えばいいでしょうか。この曲はApp storeのCMソングとしても採用されてもいます。

情報が少なく、経歴的な背景はよく知りませんが、突然Apple Musicで流れて知りました。以来、ずっと音源をdigり続けている音楽家の一人です。とりわけ、この曲には詩のよさが抜きん出ていて、悲しげでありながらも楽観的な価値観が感じられます。愛の資格を無邪気に欲しがる詩が、音作りと一体化しています。コンポーザーのTomogggについては後述します。

さとうもか「Loop with Tomggg」

正直に言って、この曲のためだけにこのプレイリストを作りました。
泣ける曲でありながら、この曲そのものが泣いてもいます。さとうもかの歌声が、変則的で繊細なグルーヴにベストマッチしています。しかも詩もいい。抜け目がありません。ベストオブ泣き声ミュージックです。

Tomgggについて

編曲に参加しているTomgggは、クラブに出入りしていたので聴いたことがありました。
このように眼鏡をかけたオタクフェイスながら、Kawaii&Groovyな音楽をかけてくれるトラックメイクDJお兄さんとしてよく覚えています。数年目を離した隙に偉大なアーティストになっていて、目が飛び出ました。Kawaiiのイメージが強かったので、哀しげなテイストがここまで合うとは思っていませんでした。

にしな「夜間飛行」

にしなの歌声は美しく泣いています。さユりも泣く傾向がありますが、にしなにはもう少し大人っぽいです。
ヘビースモークが一時期に流行りましたが、ロック調になると奥行きが損なわれるので、こちらの方が断然いいです。にしなはダンスナンバーとロックナンバーが混在しているので、横断するにはちょうどいいアーティストです。

ゲスの極み乙女「猟奇的なキスを私にして」

ご存知の通り、川谷絵音は自他共に認める、時代を変えた男です。ジャズのフュージョンじみたピアノと、オルタナなロックギターがうまく溶け合っています。ボーカル単体としてみても、とんでもない才能を持っていると感じます。すごい泣きようです。いくつものバンドを掛け持ちして得た安定感が、そこかしこに感じられます。個人的には、ジェニーハイとゲスの極み乙女の方向性が好きです。Indigo la endではなく。それから、Ichika Nitoも好きです。

花譜&Kizuna AI 「ラブしい」

「ラブしい」は川谷絵音が作編曲をしています。この順にした理由はそれです。花譜については後述しますが、キズナアイと喧嘩することなく共存しています。むしろ、お互いを高め合っているようにも聞こえてきます。そこにピアノリフがさらりと流れ、耳に残る歌詞が合わさって踊れも歌えもします。これだけの情報がありながら、余白があるのもラブしいの良いところです、

花譜 偽りのシンパシー at I SCREAM LIVE2

この曲は文脈が多すぎるため、僕自身も拾いきれていません。花譜を知ったのはおそらく「トウキョウ・シャンディ・ランデヴ」からでしたが、これで未成年だというのだから驚きです。

しかも花譜はボーカロイドにもなっています。可不として。僕はなにも知らずに、名前が似ているなあと感じ、digってみればルーツが同じだったのでさすがに驚きました。

聴き比べてみると分かりますが、実は本体の声の方が大人っぽいです。実際に声帯が成長しているからかもしれません。

また、この曲は花譜オリジナルではなく、アイナ・ジ・エンドが歌っています。アイナ・ジ・エンドは元BiSH(今年に解散したアイドルグループ)として知られており、BiSHの楽曲にはSCRAMBLESが関わっています。

僕がBiSHを知っているのは、かつてギターを教わっていた師匠が、SCRAMBLESについて話していたからです。チームで完全分業制を採用し、とんでもない速度と品質で個々の得意を活かしたまま、作曲からアレンジまで進める異色のチームがあると。BiSHの楽曲に品質が担保されているのは彼らのおかげだと。そこから、BiSHを知り、いま花譜をしり、すべてがつながるわけです。シンパシーを感じますね。

本題からだいぶ逸れてしまいましたが、花譜の歌声には、繊細さと大胆さ、拙さが同居しています。アルバムのMCを聞けばわかりますが、本当のところ、花譜に弱さはありません。話しは音楽への自信に溢れています。その自信が、偽りを、傷を、痛みを歌う。これほど矛盾に溺れることのできる機会はあるでしょうか。

藤井風「青春病」


風の音楽はこのアルバムから突如として洗練されました。これまでの方言売りを捨て去り、宗教観を剥き出しにするようになっています。控えめに言っても最高です。このアルバムはどの曲も良いです。

風の詩はシンプルにできています。同じ意味を言い換えたり、古典的な歌詞展開をしていたりします。なのに不思議と腑に落ちます。結局はみな繋がってるから。言われてみれば、とハッとされる。
中には抽象度が高い歌詞が苦手な人たちもいます。本来の僕も同じです。が、風のそれには根底に強力な宗教観があるため一貫しています。国を跨いでモチーフをパッチワークするV系歌詞との違いはここにあり、無理のあるブレ幅が抑えられています。

DAOKO「さみしいかみさま」

DAOKOは、ポップスアーティストではありませんでした。彼女は鳴物入りのラッパーとして仄暗い音楽で韻を踏んでいました。それがメジャーデビューして以来、突如として歌モノを要求されたもんですから、たまったものではありません。こちらとしても出るところに出るつもりでした。

Animaでは本来のDAOKOに近い音楽が聴けたのでおさまりはしましたが、スター性が全面に出過ぎているとどうにも落ち着きません。

とは言え、この曲には思い出があります。日本アニメ(ーター)見本市という名前で、スタジオカラーとドワンゴによるWeb上でのみ見られたアニメーション企画がありました。その一角に、さみしいかみさまは使われていました。のちにMEMEME! はネットミームとして傷跡を残していきますが、同様にDAOKOが歌っているさみしいかみさまは、そこまで禍根を残さなかったようです。この曲が"泣いている"テーマで光り輝くのは間違いありません。

ほかのアーティストについては、気が向いたら書くつもりです。

私情:愛について

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