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ガンじがらめを解く

今のところ、がん再発サバイバーです。
最近、がんにまつわるモヤモヤが続いたので、今日はがんのお話しを少し。

 ワタシが感じるこの病気の一番難しいところは、メンタルのコントロールではないかと思うのです。もちろん身体もしんどいです。特に抗がん剤投与期間。吐き気、便秘に下痢。その上、髪の毛はなくなる、爪も剥がれる。鼻の奥の方では常に薬品の匂いがして味覚が変わり、食べることくらいしか楽しみがないのに、食べたいと思ったものの味が、自分の記憶にある味と違う。鏡を見れば、髪の毛、眉毛、まつげのない、化け物みたいな自分がいる。

「なんでこんなことになってんだか。」

 泣きたいのか?怒りたいのか?言葉で表現できないような気持ちに苛まれ、追い討ちをかけるように死の恐怖も迫る。一度考え始めたら地団駄を踏んで暴れ出しそうなくらいのメンタル崩壊、発狂寸前の日々。いわゆるメンタルとの闘いでした。治療終了後に「体内に癌細胞はありません」と言われても、すぐに「再発」の恐怖が脳裏をかすめる。加えて、再発が現実になった時の「あぁ、終わったなぁ」という絶望。とにかく、体調が悪い上に精神不安定。穏やかな気分で過ごせる日は皆無だった気がします。
 ほぼメンタルが崩壊している中での唯一の希望は、ワタシの場合は、子供達でした。せめてこの子達が大学に進学するまでは、子供達の成長を見たい!生き延びねば!。この1点だけがワタシを奮い立たせる希望であり、指標だった気がします。
 もちろん、夫や友人に励まされることも多々ありました。しかし、自分の感じる不安や恐怖を話したり相談したりすると、微妙に違和感がある。ワタシが感じている恐怖レベルと、周りの人が想定している恐怖レベルに、随分、差があることに気がつきました。なんだか話が通じない。階層が違うとこで話をしているような気分になるのです。それに気がついてからは、あまり、自分が感じている恐怖について、夫や友人には話さず、自分ひとりでぐずぐずと考えていた気がします。

 先々週、4年間胸部に埋め込んでいた抗がん剤ポートを摘出しました。ワタシの腫瘍内科医は「これでひと区切りだね。」「ガンにとらわれず、好きなことしたらいい。」という極めて前向きな言葉をかけてくれるわけですが、やっぱりモヤっとするのです。
 いやいやいや、センセ、がんにとらわれないとか、もう、そりゃ無理でしょ。
再発ひいては死の恐怖は、発症したら死ぬまで消せるわけがない。逆にどうやったら、ガンを忘れられるのか教えて欲しいくらいですが?と突っ込みたいほどで。ガンのプロである先生に対してですら、なんだか上滑りしてるような話だなぁと感じてしまいます。ワタシは、ガンの恐怖にがんじがらめになっているんであろうと思います。

 昨年、ワタシはガン患者サークルに入会しました。初発の時も腫瘍内科医に強く入会を勧められたのですが、必要性を全く感じなかったし、むしろ入会したくありませんでした。がん患者同士で集まって、ウジウジ話をするだけでしょ。と、正直、小馬鹿にしていたと思います。初発の時は『ワタシは再発しません!』という根拠のない自信があったのかもしれませんし、ガンサークルに入って『ガン患者然』としたくなかったんだと思います。結局、自分が「がん患者です」という事実を完全に受け入れられてなかったんだろうと思うのです。しかし、昨年、再発が分かった時になってようやく、腫瘍内科医が入会を強く勧めた意味が分かりました。治療方針決定まで時間がない。もっと情報が欲しい!同じがんを経験した人の話が聞きたい!治療法を相談したい!でも、誰に話したらいいにか分からない。という状態に陥りました。結局は、かかりつけ医に相談しながら治療法を決定したのですが、手術を終え、体調が回復してからすぐに入会すると共に、死ぬまで付き合わねばの病気なんだなと、ある意味、観念しました。

 ワタシの所属するサークルでは、患者同士の交流を目的に様々なアクティビティを実施しています。定期的に、腫瘍内科医とガン患者専門のメンタルアドバイザーを招いての意見交流会も実施されますが、主たる目的は、患者のリフレッシュと患者間交流です。ワタシは週に1度のヨガに参加しています。現在治療中の人とワタシのようなサバイバーと一緒にヨガをします。時に、泣きながらヨガをしている人もいます。でもそんな時は、声をかけたりせず、そっと見守ります。ワタシは心の中で「辛いよね。でも頑張って。」と声援を送ります。きっと他のメンバーも同じ気持ちのような気がします。なぜなら、皆、なぜ彼女が涙を流しているのか??何となく理解できるからです。
 こうやって同じような境遇の方と、少しづつ知り合うようになり、自分のガンのことや治療法、ドクター、病院、様々な不安や恐怖にについてなど少しづつ話していて、気がつきました。皆それぞれの恐怖や不安を抱えながらも日々懸命に生きている。

「ひとりじゃないんだな」

自分だけじゃないと実感した時に、ガンじがらめだった自分の気持ちが、ふっと
ほどけたような気がしました。

 結局、ワタシが、夫や友人ひいては腫瘍内科医(ガン患者以外の人)に感じるモヤモヤの理由は、その言葉のハシバシに微妙な「人ごと感」を感じ取ってしまうからではないかと思うのです。しかし、自分もガン患者になる前は、そちら側の人間(人ごと感を発していた方の人間)だったので、結果、どっちもどっちということでしょうか?

すみません。長々と書いたくせに、モヤっとした着地です。


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