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未知の「法然鑽仰」へ #15

こんにちは。じょーどの赤坂です。暑いですね。

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機関紙「法然鑽仰」はどこに



デジタル編集部が始まったばかりの2月某日。

私は本格的に法然上人鑽仰会の設立当時について調べてみようと思いました。昭和10年4月、知恩院にて正式に発足した鑽仰会ですが、


実はその少し前、2月から機関紙「法然鑽仰」を発行していました。


その所在が分かっていなかったので、某日、村田編集長と初めて生でお会いする機会が出来たときに(一緒にとんかつ食べてました)、


「事務所に法然鑽仰って資料残ってませんか?」


とお聞きしました。ただ案の定、事務所にはありませんでした。

設立当時の鑽仰会の状況を知る、貴重な資料ですので、どうしてもその存在をこの目で確かめなければ、前に進めないと思っていました。


とんかつ美味しかったです!!(そうかーないのかーどうしようー)



この後、村田編集長のご自坊にお邪魔しまして、ちょっと自己紹介がてら色々話をしました。

長年、鑽仰会を支えていただいた宮林台下や真野台下が亡き後、昔のことを知っている方が少なくなっておりました

実際、戦前から続いている会ですが、歴史をまとめたりはしていませんでした。



気を取り直して、


編集長が事務所から持ってきていた、戦前の月刊誌『浄土』の原本を見ることになりました。鑽仰会のホームページでPDFは見れますが、やっぱりカビ臭い本物は良いなと思いました。



たぶん『浄土』に挟まってたと思うんだよなー



ん?


んんん?



あっ


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これだよおおおおおおおおおおお!!!




「ちょ、村田さん、ありましたよ。いいから早く来てください!!」




ではまた。共生合掌。


大事なので2回言いました。

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