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はじめて。そして、言葉。

こんにちは。沖メイと申します。
日本で作詞作曲、パフォーマンスをしたりしています。

TOPの画像は私の相棒である愛猫、チロです。
よろしくです。

なんだか無性に気の向くままに、
文字数とか新鮮度にも縛られずに、
文を書きたくなったので、書いてみます。

最近、制作期間中というのも手伝って、
改めて言葉というものについて沢山考えている。

谷川俊太郎さんの詩で「言葉は言葉に生まれたくなかった」と綴られたものがある。
個の中でゆらめく思いを言葉にすると、その形はたちまち飛散し様々な解釈を纏って残されていく。
本当の意味を置いてけぼりにして。

それなら「言葉」は「思い」のままでいたかった。
ただそこに静寂のように己のままで。

というような内容の詩だったと思う。

私がこの詩を知ったのは10代の時。

なぜだか分からないけれど、この詩にとても惹かれていた。
当時のプリントも残っていないし、詩の題名もハッキリ思い出せないけれど。

後に作詞するようになり、言葉の矛盾と美しさを私なりに体感したときに、曲を書いたことがある。
言葉は人の共通の表現法であるが故に、喜びや幸せと共に、ときとして不和を招くことがある。

簡単な手段であり、簡単な手段ではない。
それぞれの価値観が重なることで作られる日常において、慣用となっている部分はたくさんある。
誰かの作った道路があるから、歩きやすい。
雨や海、川の水があるから人は生きるけれど、その水はもっと上流で多くの生き物を飲んでいる。

そういう想像力で、言葉になる前の言葉を、
大切にしていきたい。

人は言葉を使わずにいられない。
共通手段として様々な価値をそこに宿す。
わたしは自分の言葉を悲しませないために、残すものは大切に生み出したい。
言葉に、言葉に生まれたくなかったなんて思わせないようなものを作ってみたい。その衝動が今日も動く。

辛くて泣きたい時、「辛い」といってもいい。
だから、アウトプットがポジティブでなければいけないなんて法則はどこにもないけれど、できるならそうありたいな、と私は思っている。
表現することの可能性。音楽、アニメ、映画、写真は、どんな問題提起もその色や音や感覚によってポジティブに伝わる可能性があることが素晴らしいと私は思う。
言葉だけではないその表現は、そこに作者が想像力を惜しまず時間をかけ、形にしているからだと。

そして、それは特別なことではないと思う。
そういった表現に限らず、本来ならば日々や生活を作ること。
鳴き声や縄張りで「ここにいるよ」と所在を示すことは野生の世界では生きることに繋がるが、
人間も言葉を使い、生活し、その所在を示している。

ルーティンワークとして「生きる」を続けていくことが、人間においての最強の表現手段であると私は思う。

生活が進む、表現が進む。明日が来る。
今日もそこかしこで沢山の芸術が生まれているはず。
苦しくも美しさを孕んだ、この世界で。


この曲は上記の内容を落とし込んで書いたもの。
私の作曲初期時代の作品にして、この動画も私の動画制作編集初期時代のもの!

懐かしいなあ。


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