見出し画像

近況





あわただしく春が来ました。
桜がもうちょっとで満開だなあとか思っていたら、気づいたら葉桜になっていました。
そんなこんなで、余裕とか余白が少しだけ小さくなっているわたしです。


海士町での暮らしが3ヶ月をすぎました。
あっという間だったけど1年の1/4が過ぎたのかと書きながら思い、背筋がびくびくしています。



海士町での暮らしは、少しだけ地に足ついた生活をしています。
近所でふきを取り、甘辛く炒める。お散歩していたらおばあちゃんと仲良くなり、ノビルやほうれんそうをいただく。釣りでアジが取れてお刺身にする。住民の方がオープンだからこそ、ぐいぐいと輪の中に入っていけます。

おばあちゃんがかぼちゃの種をくれた


大学進学を機にひとり暮らしを始めるも、すぐ実家が恋しくなって連休が見つかればすぐさまバスに飛び乗りぴいぴい言いながら香川県へ戻っていたな。京都のまちも大好きだけど、ずっと淋しさを抱えながら生活していたな。

今は海士町で賑やかなフレンズを携え、香川のことを思い返す時間もなく、しあわせだなと思う毎日を過ごしている。

妹が中学生になった。11個下の妹がいるんです。と言うといつも驚かれる。

妊娠中にママが階段でずっこけてしまい妹いなくなるカモ!?と焦っていたこととか
新生児の時に高さ1メートルほどのベビーベッドから知らない間に落ちていたこととか
赤ちゃん特有の後頭部ハゲとか
一緒に踊ったエビカニクスとか
ランドセルの色をえんえんと悩んでいたこととか(結局渋い茶色になった)
イオンモールで踊らせたヘンテコなダンスとか

そんなことばかり覚えている。いつも私の後ろを「ねえね〜!」とついてきていたのに、いつのまにかませたギャルになっている。

そんなことばかり覚えていると書いたけども、
いつも記憶に残るのはそういう日常なんじゃないだろうか。

そういうありふれた日常とか生活みたいなのがすごく、ほんとうにすごく好きで、だから誰かのエッセイを好んで読む。何を考えているのか、日常に何が散らばっているのか。

最近、わたしの大好きな歌人兼エッセイスト、くどうれいんさんの新刊が出る。「コーヒーにミルクを入れるような愛」という本である。

くどうれいんさんは、ほんとうにかわいい言葉を紡ぐ。ちゃっかり、とか、うっかり、とかそういう言葉が似合う。あたたかい飲み物を飲むように、言葉がするすると入ってくるのである。それはなんでもないように見えて、ものすごく時間を労するものなんだと思う。

星野源さんの著書で「人の表現とは、庭に置いているホースのようなものだ」という一文があり、なるほどと思った。どんな人でも、最初は茶色く泥の混じった水が出るのだと。そしてしばらく出していくうちに少しずつ透明になっていき、最後にはきれいな水が出る。

何が書きたいのかよくわからなくなってきたが、要するに下手でいいからとりあえず言葉にしろ、ということである。絶えず発することでだんだん上手くなってくるということである。

私のエッセイもそういうことである。
何が書きたいのか、何を伝えたいのかよくわからないが、海士町での生活が楽しいという新参者のひとりごとである。

モウのバニラを見つけてテンション爆あがりした
いちごパフェをつくった、んまい
















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?