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音楽のこと 2. 合奏への参加

今メインで演奏している楽器はホルン。
他には大人になってから始めたチェロ。こちらはまだよちよち状態。
母から与えられたピアノのお稽古を入り口に、音楽は色々な形で私の生活に出没している。
今回は楽器演奏というテーマで書いてみようと思う。

  1. 楽器遍歴 〜小学校から中学校〜

  2. 空白の時間

  3. 再会と再開

1. 楽器遍歴 〜小学校から中学校〜

 気がついたらお稽古を始めていたピアノは別として、自分から能動的に楽器演奏に興味を持つきっかけになったものがある。
運動会の「鼓笛パレード」である。高学年のお兄さんお姉さんが演奏をしながらポンポンやバトントワリングで華やかに演技を披露する様にものすごく憧れたのだ。
6年生になって、当時初めて創設された「金管バンドクラブ」に入りようやく参加する道が見えてきたときに「担当楽器の割り振り」という一大イベントが勃発した。
 大多数の金管楽器志望者を前に引いてしまった私は圧倒的少数派だった打楽器を希望した。顧問の先生が管楽器の子供たちの指導に邁進する一方で、ほぼほぼ放置された打楽器の私たちは、小さな音楽準備室の隅でひたすら「床打ち」をしていた。それでも一人に一組ずつ小太鼓の撥を与えられて(学校の備品から)の練習は意外と楽しかった。最低限のバチの持ち方と腕の使い方、教わったのはこれだけである。あとはひたすら一定のテンポ・リズムで床を叩き続ける。
 1学期も終わりに近づき秋の運動会に向けてそろそろ曲の練習も、という時期になってようやく私たちに「担当楽器」が割りあてられることになる。私は五線譜が読めるという理由で「ベルリラ」という、グロッケンを縦にしたような楽器の担当になった。ここで鍵盤打楽器を経験したことで「管楽器にはそれぞれが独自の調性を持っており、彼らがドレミだと認識している音は実音ではいささか違う」ということをもやっと学習した。後々ホルンを吹くようになったときにこの経験は大いに役立った。正しくは「移調」なのだけど、当時それを教えてくれるであろう先生はいなかった。多分。
 小学校の、メインの行事が運動会の鼓笛パレードというブラスバンドだと打楽器って楽譜がシンプルだったりする。そして小学生の肺活量で演奏される金管楽器に対して打楽器の音はどうしても「うるさい」のだ。合奏ではたびたび先生から「打楽器がうるさい」と言われ、それはそれで傷つく笑。また打楽器に限ってはトレーナーが務まる先生がいなくてほぼほぼ放置状態だったこともあって、正直なところ「飽きてしまった」。楽しかったことは楽しかったのだけど。

ちょっと長くなったので、中学生編は次回に。


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