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ウクライナを支持します。サーシャとの思い出は自爆ドローンの切なさとともに。

ウクライナ人女性のサーシャとの出会い

サーシャは、NY州北部の田舎街で会った、英語教室の友人だった。
40歳くらい、高校生の娘さんがいるお母さんでもあった。

22年4月以降、バイデン政権はウクライナ支援の一貫として、
ロシアの侵攻から逃れようとするウクライナ人家族に対して、2年間だけ米国への滞在を許可する特別プログラムを行っているが、
これは身元を引受ける米国市民が、生活費を全面的に負担することを条件にしており、米国市民のウクライナ人への連帯を草の根レベルで直接的に示すものとなっている。

NY州北部にも22年夏以降、ウクライナ人家族が同プログラムを利用して数組渡米(避難)してきてい、私も彼ら数人と知遇を得る機会があった。

この政策は、”Uniting for Ukraine”と呼ばれ、スポンサーとなる米国市民が当該ウクライナ家族の、米国滞在中の費用を全面的に負う。米国政府は滞在を許可するのみで、避難したウクライナ家族は、正規のビザとは異なり米国から出ると再入国はできない。

https://www.uscis.gov/ukraine#:~:text=Uniting%20for%20Ukraine%20provides%20a,2%20year%20period%20of%20parole.

サーシャは、夫をウクライナに残したまま、高校生の娘とだけ、渡米(避難)してきていた。

生活基盤をスポンサーしてくれる米国人の家に、居候することでNY州の生活を始め、娘さんの新しい学校生活が落ち着いたところで、自らの英語の上達のため、教室に学びに来ていた。
当座の目標は就労だ。ゆくゆくは自活した生計に目処をつけなければいけない。

通説通り、ウクライナ女性には美人が多い。特にサーシャはハリウッド女優のグウィネス・パルトロウに素朴さと可憐さを増したような外見で、また美人だった。

グウィネス・パルトロウ

母親同士でもあったし、英語教室の中で熱心に毎週欠かさず出席する同士だったので、私とサーシャは様々話をした。
彼女は料理もお菓子作りも得意、家のものならなんでも作るわ!という素敵な人だ。

ロシア侵攻で変わってしまった人生

さて、我々のいた英語教室は州が運営しているだけあって、通学する生徒は皆熱心だったけれど、
アイビーリーグ大学のお膝元という、その教室だけの特殊なロケーションが故に、大半の生徒は「パートナーの研究/勉学に帯同していて、暇だから英語を学んでいる」という、気楽な立場の人が多かった。

したがって、「どうしてココに来たの?」「あとどれくらいココにいるの?」という質問は、教室内で生徒同士が知り合う際の常套句だった。

しかし、この常套句が対サーシャには重いセリフになりえた。

時には”I am here because my country is invaded by Rossia”(私はロシアが自分の国を侵攻したからココにいる。)と決然と答えていたし、「あとどれくらいココにいるのか、いられるのか、いるべきなのか、わからない。」という話もしていた。

娘さんはアメリカ人に混ざって高校に行く。
それは急に天から降ってきた幸運のようでもあるが、でもその後の人生にどう繋がるのか。
学費が空前の高さになる大学までアメリカで通わせる?無理だ。
夫はまだウクライナで働いている。なぜなら出国できない男性だからだ。
早く母国に帰りたいようでもあるが、もう帰って同じ生活ができるわけでもない。友人たちも散り散りだ。
強制的に2年後に帰国させられたら、どこで、どうしたらいいのか。

米国に、スポンサーを得て避難していている彼女は、ウクライナ人の中では幸運中の幸運な家族の部類に入るのだろう。
村中で虐殺にあっていない。砲撃を直接受けてもいない。夫も生きている。
でも穏やかで安全な彼女の生活のベースは、やはり不安定だった。

ある時に英語のレッスンの一貫で”What is your dream job?”(あなたの夢の仕事は何?)という雑談があった時のこと、
”Since Russia has destroyed my country, it’s hard to plan”と彼女は言った。
(ロシアが祖国を破壊してから、見通しを立てるのは難しい)

何もない日本人だって日々悩み、より良い人生を渇望する。
彼女は美しくて優しい母の顔の下で、もがいていた。

カミカゼ・ドローンが迫る「殺すか殺されるか」


そして23年の春、彼女は英語教室で10分のプレゼンをすることを願い出た。
彼女は、義弟に、お金を送って欲しいのだ、と募金を募った。
そのお金が何に使われるのか、彼女は動画とスライドで説明した。
義弟は従軍エンジニアとしてドローンを自作する。募金はその部材費になるという。
ドローンは安く、簡単で、かつ強力な武器なのだ。

続けて「カミカゼ・ドローンは」と彼女が説明を始めたとき、私は「あ。」と思った。
カミカゼ・ドローンは、敵戦車に突っ込むのだ。
ドローンは安く、簡単に扱え、強力で、換えが利く、カミカゼ兵器。

私は二重に悲しかった。

カミカゼという言葉がグローバルな単語になってここまで広まったことに。
かつてのカミカゼで自爆したのは機械ではなくて青年だった。
「神風」から私が想起する物悲しさを、サーシャは知らない。
もはや音と化した"KAMIKAZE"には自爆という意味しかない。

それに彼女はいつか自分でカフェを開きたいというような女性なのだ。
ついに決めた働き口は、地元で人気のパティスリーの、ケーキデコレーション担当だ。
そんな彼女が敵情視察し、戦車を爆破する(中にはロシア兵がいる)ドローン制作に募金を請うのだ。

彼女がカミカゼ・ドローンを語った時、この戦争はウクライナ人に
「生きるか死ぬか」という生優しさで行動を問うものではなく
「殺すか殺されるか」と迫ってくるものであることが、やっと悟られた。
ケーキをデコるサーシャまで「殺す側」にならなければいけないくらいに。(ごく間接的にとはいえ。)

人を動かすのは人らしい。

いかにニュース等で「情報」としてロシアの侵攻を聴き
そこで幾人が死に、何が破壊されたと「情報」を聞こうとも、
村中の女性がレイプされるの話も、子どもの大量誘拐も、酷いとは思ったが、私の心はなかなか動かず「情報」を「処理」していた。

サーシャはパティスリーでの仕事が忙しく英語教室では会えなくなってしまった。

でも、カミカゼ・ドローンの一件以降、私は今も、彼女という「ひとり」を通じてウクライナに心を寄せる。

彼女が募金を呼びかけたプロジェクトに、私は結局悲しみのあまり出資はできなかったけれど、一市民としてウクライナを支持したい。
ロシアの特別軍事作戦にも理がある、NATOにも非がある、などという議論には与しない。

どうかウクライナ人にとっての平和がより早く訪れますように。
どうかサーシャが安心して国にいる旦那さんに会えますように。