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くせ毛と縮毛矯正②

くせ毛との闘い。
その始まりは...90年代に音楽シーンを魅了する
「ビジュアル系バンド」だ。
長い髪を立てて、前髪を垂らし、体を揺らしながら演奏するミュージシャンに憧れた。🥺
早速、髪の毛を真似をするわけだが...出来ない。
ありとあらゆる整髪料を揃えたのに…💸🖐️
ここから「第一次くせ毛大戦」が開戦した..😤

くせ毛と悪戦苦闘している人々は、各人理想とするヘアースタイルがあるからだろう。
その理想の髪型を真似て見たが出来ないのだ。
そして、ドキドキしながらヘアーサロンへ行き、照れながら雑誌の切り抜きを渡し「こ、こ、この髪型にして欲しいです…❤️」と呟く。

私も例外なくそんな感じだったよ。😤

しかし、施術したその日は良いけど、次の日には髪の毛ボワンなのです。( ;  ; )

自己の髪質への怨念、無駄金の後悔、先祖たちの髪DNAに対する怒り..この負の感情を幾度となく味わって来た人も少なくないはず。

そんな中、新聞の広告に書いてあった「縮毛矯正」
の文字。16歳で色気に目覚め、4年間苦悩と隣り合わせ、19歳で理想を手に入れたのだった。

20年間は髪ストレスフリーでしたよー。🤣

そんな中、別れは突然やって来た..。
サロンのマスターが体調不良で、縮毛矯正を辞める事になった。20年付き合って来た恋人との別れに近いようで近くないような出来事だった。(?)
勿論、永遠なんて続かないと思っていた。
始まりがあれば終わりが来る..それが20年後に来たのだ。

当然、そんなことは視野に入れていたさ。
サロン保険を作る為、他のサロンにも浮気をした。
しかし、どのサロンもあのサロンには叶わなかった😔

そして20年たち、今別れがやって来た。

私は次の永遠を探さなければならなかった。
20年前と違うのはネットが発達し、色々なサロン情報が得られる。きっとこの街にも永遠と巡り合うチャンスがあるはず。🥺片っ端からレッツゴー👍🚗

→サロンB  縮毛矯正が得意な店長登場!期待度MAXで来店するも、撃沈⤵︎  3日後にうねり始める髪…

→サロンC  全国でも縮毛矯正の第一人者的な店長登場!全国で講演会もやってる期待度超MAX!✊
...次の日くらいからやんわりうねる髪…

→サロンD  普通の店。特に縮毛矯正にはこだわりは無いような感じ。しかし、この店が一番マシだった。ただ、かなりキツイ熱でアイロンしてんだろーね?私の髪は痛んで毛先が死んでますよ。💀

と言うわけで、現在はサロンDで落ち着きながら、いつか死んでゆく髪にトリートメントを施しながら月日が過ぎていくだけの日々を過ごしてます。_| ̄|○

「第二次くせ毛対戦」真っ最中ね😡

そこで、あのサロンの技術力は流石と思い知らされる訳です。たかが縮毛矯正、されど縮毛矯正なのです。マスターの後継者は居らず、技術伝承されずに終わる..悲しいことです。

くせ毛は個人差があり、その個人差をいかに補い、施術するか。あのサロンのマスターは私のくせ毛を初見で見抜いて、ベストな配合の①②液を作り、適度な温度でアイロンを掛けて、トリートメントで補修し、ベストな髪を作り上げた..。

20年の感謝の言葉も言えなかった。
毎回コインパーキングに車を停めてたので、駐車場代と言うことで、少し割引きもしてくれた。
今思うと他のサロンがやってない工程、作業が盛り込まれていた事が思い出される。

大事な人、物、事は無くなってからどんなに偉大だったか気付かされる。「本物」はそうそう存在しない。

私の縮毛矯正もある種、ライフワークなのです。
そろそろ終わりに近づいているのかも知れない。

おわり



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