思い出のsomething

数年前に知り合いに将棋を教えたことがあります。
一応言っておくと、これから書く内容はその人の了承をもらった上で書いています。
教えたというのは既に将棋を知っている人を指導したわけではないです。
将棋をほぼ知らない人に一から教えたという意味です。
時期はだいぶ記憶が怪しいですが、藤井聡太さんが四段になったくらいだった気がします。
その人は私が将棋を指せることを知っていたからか、「将棋をやってみたいから教えてくれ」と言ってきました。
気になったことは何でも始めたがる人だと知っていたので、私は「(うわー…めんどくせー…)」と心の中で思いながら、渋々ちょこっとレクチャーしました。
ルールは小学生の頃に友達に教わったらしいので、ルールはおさらい程度で済みました。
誰かは知らんが、友達よありがとう。
ルールから教えてたら怠すぎて心が折れてたよ。
その後、「これカッコ良さそうだから教えて」とプロの棋譜を示しながら言ってきたのが横歩取りで、「そんなの初心者がやる戦法じゃねぇよ」と言いながら一応教えました。
いやまぁこの人は飽きるのも一瞬なので、この後も将棋を続けるなんて夢にも思わなかったんですよね。
結局あまりの熱心さに根負けして教え続けていたんですが、多分1年くらいは将棋を続けていたんじゃないかな。
しかし、ある日「ソフト指しのせいで将棋を指すのが馬鹿馬鹿しくなったからやめる」と言ってきました。
その気持ちは理解できるし、私にはどうしようもないので、うなづくことしかできませんでした。
別に統計を取ったわけじゃないけど、そういう理由で将棋をやめた人はそれなりにいるんじゃないですかね。

そこで話は終わってもよかったんですが、私は詰将棋創作を教えてみることにしました。
最初は「棋力が低いから無理」と嫌がっていました。
この人は将棋ウォーズで2級くらいだったので、まぁ嫌がる気持ちは分かります。
柿木将棋などの検討ソフトの力を借りれば作れることを説明しました。
ソフト指しが嫌で将棋をやめた人を随分な世界に引きづり込んだなと今となっては思いますが、このときはそれなりに続けた将棋を簡単にやめてしまうのは何か勿体ない気がしました。
一年くらい経った頃には作品っぽい詰将棋を作れるようになっていました。
教えた私が言うのもなんですが、「(本当に棋力が高くなくても作れるんだなぁ…)」と思いました。
棋力が高くなくても作れるだろうとは思っていましたが、実例を見たことがなかったので。
てか、よく飽きずに続けたなと思います。
詰将棋創作は分かりやすい目標がないので、モチベーションの維持が難しいんですよね。

検討ソフトが普及する前の詰将棋界を私は知らないのですが、検討作業は詰将棋創作において今も昔も重要で必要不可欠な工程です。
それを人間が乗り越えることはとても尊く、その工程をコンピュータがサポートするというのは、絶対に抵抗があったはずです。
詰将棋創作において検討ソフトの利用が当たり前になったのは良いのか悪いのかをここで議論するつもりはないですが、私が教えた人は検討ソフトなしで詰将棋を作れていなかったことを考えると、詰将棋創作に求められるものが今と昔で変わったのは確かでしょう。

結局何を書きたかった記事なのかよく分からないままここまで来ましたが、いやー何が書きたかったんでしょう。
ただ思い出をだらだらと書き並べただけですが、誰かにとっての何かのきっかけになる可能性もゼロじゃないので、そうなったらまぁ書いた甲斐があったかなぁという感じで、思い出的なsomethingを終わりにします。