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コンビニエンスストア

思えば私は、今まで様々な仕事をしてきた。基本的に自分の事を余りよく分かっていないせいか職種も多岐にわたる。

コンビニ、洋食屋のウェイトレス、本屋、服屋、温泉地でのリゾートバイト、病院、施設、フィットネス、ヨガスタジオ、コールセンター、事務職、百貨店、郵便局や工場の短期バイト。他にもあっただろうか。今はちょっと思い出せない。

新たな年が始まったことだし、シリーズで気軽に読める文章を書きたいなと思い立ったので、これまでの仕事場で出会った思い出深い人達について書いてみようかなと思う。

第1回は、コンビニ編。

その人はKさんという。実家から車で十分もかからない場所にあるローソンでアルバイトをしていた頃、そこに毎日来るおじいさんがいた。

おじいさんといっても六十代半ばくらいの長身細身で、白Tシャツにジーンズパンツにグッチのベルトをしているような人だった。しゃんと背筋の伸びた、おじいさんと呼ぶのは違うかなという雰囲気。Kさんはローソンの近所にあるジーンズ工場の社長だった。「所ジョージに取材を頼まれたけど、俺あいつ嫌いだから断った」と零していたから、その界隈では割に有名な人だったのかも知れない。

「Kさん~!」

Kさんが来るとみんな喜んだ。仕事の合間にふらりとやってきては、毎回コーヒーと煙草を買うついでに「ほい、みんな好きなもん、ここに持っておいで」とお菓子や飲み物、弁当などをバイトの子みんなに奢ってくれるのだ。
私は、いつも板チョコを買ってもらっていた「そんなん一枚でええの」といつも言われていた。「はい。チョコ好きなので」といつも返していた。

Kさんは若い子の感性に触れたがり、交流したがった。「工場、よぼよぼじいさんばっかでつまらん。気が滅入る」と言っていた。

バイト先の同年代の人たちは、男女問わずみんなKさんに連絡先を教えていて、それが通過儀礼のようだった。私もそれに習い、Kさんに連絡先を聞かれた際に、メールアドレスを教えた。そこからたまに来るメールに返信をしたり、毎日コンビニで会えば話をしたりした。

子供の頃、近所に住むおばあさんが自分にとって一番信頼出来る仲良しの友人だった。そのせいか、私は昔からお年寄りの纏う雰囲気が好きだった。
子供の頃に住んでいた町営住宅。同じ住宅の斜め向かいの家。ゆっくりとした動作で、カンロ飴や純露をテーブルに置く仕草。カランと鳴る音。一体どうやって持ち運べたのか不思議で仕方ない程、隙間なくどの部分も激熱になって持つ事が出来ない湯呑みが置かれる。分かっているのに一度指先で触れて、熱すぎて指が痛くなるのを確認してしまう。
なみなみと注がれた熱々の薄い味のお茶は、このまましばらく触れもしないし飲めもしない。
どうすることも出来ず視線を上に向けると、田舎特有のデカさの蝿が数匹くっついたまま蝿取り紙がだらしなくぶら下がり、放たれた窓から入ってくる風の先でたなびいている。調味料の匂いが染みついた台所。風が運ぶのか、その匂いは居間にまで流れて湿布や焚いた線香の匂いと混じる。
居間に入るとその匂いに鼻の奥と目がわずかに刺激される。しばらくするとそれにも慣れて自分がそこに馴染んでくる。
よその家の匂いはするけど、馴染み深い人の家の匂い。
柱時計の音が四回鳴り、夕方四時になると強制的にチャンネルを水戸黄門に変えられる事と、ごくたまに突然ゲスい下ネタを話してくることだけが不満だったけど、おばあさんが剝いてくれたみかんを食べたり、絵を書いたり、花札をしたり、眠たくなったら眠ったり、永遠に進む気配のないゆっくりとした時間の流れ。大好きな時間だった。

Kさんは、そんな安堵感を与えてくれるお年寄りとは違うタイプの人だった。グッチのベルトが物語っている。本当に良い人なのだけど、みんなのように真正面から無邪気に接することは出来なかった。

Kさんはいつも「貴女のくれるメールの文章はみんなと違う。絵文字がまるで無くて、短文だけれど若者言葉でなくちゃんとしていて、そこがとても良い」と言ってくれていた。
「貴女と若い頃に恋がしたかった」と冗談なのか本気なのか分からない事も言われた。バイトをしていた三年の間、そんな風にKさんとの交流が続いていた。

知り合ってから五年程経った頃だったかと思う。
その頃にはすでにローソンのバイトは辞めていて、実家を出て岡山市内で一人暮らしをしていた。バイトを辞めた後もKさんは服屋で私が働いていることを人づてに聞いたようで、ローソンのバイトの子を連れて会いに来てくれた事があった。
単価の安い若者向けの服屋でその子に好きなだけ服を買ってあげて、私の売り上げをその日だけで数万円も伸ばしてくれた。実家には、私に食べさせてあげてと時々箱入りの葡萄など立派な果物を送ってくれたりしていた。

月に一度は実家に帰っていたし、何かしてもらう度にお礼のメールを送ったり、時々来るメールに返信したりはしていたけど、実際にKさんに会って話をするような機会もなく、もう何年もそのやり取りだけが続いていた。時々、「ひと声でいいから、いつか声が聞きたいです。でも元気でやっているならそれでいい」と連絡が来たりしていた。
一度だけそのメールをもらってから電話をしたら、本当に何度も「嬉しいー!やったー!元気な声が聞けて良かったー!」と言ってくれた。

ある日、実家に帰ってゴロゴロしていると、突然Kさんから私の名前を呼ぶだけのメールが届いた。続けて「貴女に会いたいヨ。会えるかな」と来た。
少し怖くなって一時間ばかり返せずにいるとまたメールが届いた。
「桃を食べて欲しくて一箱買ったけど、食べてもらえそうにないから川に流して捨てました」

普段、みんなと話すKさんは飄々としていて、こんな事を言うような人ではない。

Kさんはもしかしたら私の事を、と思った。何回か言われた好きという言葉や恋がしたいという言葉は、本当にそういう意味だったのかもしれないと。

でも恋と言うのも少し違うような気もする。Kさんにはご結婚され長年連れ添っている奥さんがいる。あんまりはっきりとは聞いていないけれど、奥さんは体の弱い人のようだった。そういうのもあって、単に若い子と触れ合う事で若さや甘い気持ちを持っていたかったんじゃないだろうか。そこにたまたま私が重ねやすい存在だっただけなんじゃないだろうか。

そう考えてみたりもしたけれど、本当は薄々分かっていた。
分かっていた上で、Kさんの気持ちを無いことにしようとしていた。
前に、他のバイトの子にも同じような感じなのかなと思い、それとなくKさんの印象を聞いてみた事がある。
どの人も、孫のように可愛がってくれる気前の良いおじいさんという印象だと言っていた。それを聞いて、Kさんにとって私の存在は決定的に何か違うという事が浮き彫りになったので、静かに心に収める事にしたのだった。

人に惹かれるというのは、どんなに年が離れていても関係ない。けれど私のどこにKさんが思うような自分が居るのかが全く分からなかった。Kさんは私に幻想を抱いていて、その幻想の私が好きなのだという事も分かっていた。    

貴女の文章は、短文。そう言っていつもKさんが良いと言ってくれていたそのメールの文章は、私の作った壁。Kさんとの距離をしっかり取るため、近づかれないようにするためのものだった。その想いの相違に罪を感じてしまう。

Kさんとの関係ではこういう立場だっただけで、違う誰かとの関係の上では私はKさんにもなる。人の本心というものは、そのままに見えてるばかりじゃなくて、けれどそのままで解釈していい時もあって、そんなことにいつもいちいち翻弄される。

それからまた数年経ったある日。実家に帰ると、帰るなり母から綺麗な袋を渡された。自分の誕生日が近かったから、母がプレゼントを用意してくれたのだと思った。
それにしても誕生日プレゼントなんて、子供の時以来もらってないのに何事だと思いながら、中に入っていた箱を開けると、誕生石のダイヤモンドがついた高級そうなネックレスとピアスが入っていた。

「Kさんがあんたに渡してって」

Kさんの心の中には、まだ私の存在が色褪せる事なくあるのだと思うと、その気持ちを喜ぶことが出来ない事がしんどかった。
私とどうにかなりたいとか、Kさんがもしもそんな気持ちだったとしたら、私もはっきりとした態度を取っていたと思う。
Kさんの望んでいる事はもっと純粋で、だからこそ跳ねのけられない。
でもKさんの中にある私の人物像と、実際の私はずれていたし、私の事を買いかぶりすぎていた。その違和感を持っている私にも気づかない所が勝手だとも思ってしまっていた。

そんな嫌な事を考えたりしているのに、こんな風にお金を使わせてしまって。こんなにしてもらっているのに本当に残酷な感情だけれど、お金を使うという好意の表し方は私にとっては嬉しいと感じるものではない。そんな感情を抱いてもはっきりとそう言わない自分が、Kさんをここまで辿り着かせてしまった。過ぎた歳月だけ年を取ったはずのKさんや奥さんの事を思うと胸が詰まった。

「さすがに受け取れんよ…どうしよう」と母に真剣に相談すると

「あんた使わんのならお母さんもーらおっ!」と言い、本当にピアスをつけて、そのままスーパーに買い物に出かけ、狭い町なので当然のようにKさんに出くわし、そのまま立ち話までした挙句「気まずかったわあ」と言って恥ずかしそうに笑いながら帰ってきた。
母のこういうところ本当にどうかしていると思う。
桃を川に流したと言われた時も、私からその話を聞くなり
「んまぁ!桃を?一箱も?…まだ間に合うか…?!」と言って川に桃を拾いに行こうとしていたので喧嘩になった。

母のように気楽に考えれていたらもっと簡単な話で済んだかもしれない。でもこんな風に考えてしまう私をKさんは好きだったのかも知れなくて、Kさんはやっぱり私よりも私の事を分かっていたのかもしれない。

あれからまた随分と時は経った。
もうずっと昔に携帯も変えてしまっているし、Kさんもお元気でいるのかは分からない。私とKさんの間を繋いでいた母は、もう居ないし、Kさんの現在の事を知る術はない。今のご年齢はおそらく80代半ばくらいだろうか。お元気でいてほしい。

人によっては怖い話にも聞こえるだろうし、実際少し怖い気持ちもあったのだけれど、それだけではうまく言えない気持ちも残っている。
全ては私の勘違いで、Kさんは別にそこまで思い詰めていなかったかもしれない。       

ここまで長く好意を持ってくれていた事は、心苦しくも有難くもあった。   

私はKさんの気持ちになにひとつ答える事は出来なかったけど、今でも時々思い出しては、あなたの存在を忘れる事も出来ないでいる。

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