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私が高校野球観戦を趣味にするまで

対外的な登壇の機会を有難く頂くことの多いこの頃、自己紹介で「趣味は将棋、カメラ、ラム酒、筋トレ、高校野球観戦」と言うことが増えた。

今回はなんだかんだ小学生の頃から続いている高校野球観戦について、ハマるきっかけや記憶に残る試合、学校などについて話していこうと思う。

  • 私も趣味が高校野球である

  • プロ野球は観るが、高校野球は観ないなぁ

  • 高校野球の魅力を知りたい

といった方に読んで頂きたい。

購買の店員をやっていた母の誘いで球場へ

小学生の私にとって、高校野球観戦自体は、夏休みに祖母の家に遊びに行った時の定番の過ごし方であった。
夏の夕暮れに、縁側から流れ込む西日に照らされた室内で、おやつの冷えたフルーツ缶を食べながら眺める高校野球は、夏休みを象徴する体験のひとつだった。

とはいえテレビ越しでしか試合を見ることのなかった私が、初めて高校野球の、それも地方予選の観戦に行ったのは、当時とある公立高校の購買の店員をしていた母に連れられての事だった。

持ち前の明るい性格で生徒に人気のあった(本人談)母は、野球部員から応援に来てよ!と誘われ、当時小学5年生だった私と弟を連れて県内の野球場へ赴いた。

この試合で私が体験したドラマチックな展開が、高校野球観戦を趣味にすることを後押しすることになる。

部員不足高校同士の泥仕合

甲子園で見られるようなハイレベルの試合が観られる…訳もなく、試合はまさに地方予選という泥仕合で展開された。

母が購買の店員を務める公立高校(以下、A高校と呼ぶ)の野球部員数はなんと9人にも足りておらず、たしかテニス部なりなんなりから無理やり人を集めて試合に臨んでいた。

さらに、奇遇だが相手高校も似た境遇だった。試合開始の整列で、双方9人だか10人だかで整列している様子は、この試合の「地方予選感」を増幅させていた。

試合は案の定、いわゆる泥仕合となった。2点取っては3点返され、そこから3点取り返しては1点返されといった塩梅である。

そこそこ盛り上がる試合展開ではあるものの、そこは部員不足高校同士の対決、それぞれの応援席には極わずかな身内だけが駆けつけており、まばらな拍手がたまに聞こえるだけ。得点数の割には練習試合か?と思うような静けさで試合は続いた。

そして迎えた終盤、我らがA高校は8回裏の攻撃、1点ビハインドでツーアウト2塁3塁のチャンスを迎えた。
1点差でランナーが2人、つまり長打が出れば逆転であり、8回裏の逆転は試合の決め手になることを意味する。逆に言えば、ここを逃せば残りの攻撃はあと1度だけ。勝利はかなり厳しくなるとも言える。

広がった手拍子の応援

高校野球をテレビでしか見ない私でも、最後の勝負所を迎えていることは明白だった。

それに、いくら仲良くても購買の店員さんをわざわざ応援に呼ぶくらいだから、この試合になかなかの気合いが入っていること、それに相手高校も部員不足の弱小校なんてことは珍しいだろうから、A高校にとってこの試合は、「稀に見る初戦突破のチャンス」であることも推測できた。

他の部活から選手を何とか集めて出場して、終盤まで競った展開、一打逆転のチャンス。

そんな熱い展開なのに。

まばらな応援席からは全くと言っていいほど声援が上がっていなかった。吹奏楽部も、チアも、変な踊りをする二軍選手も、テレビで見るあらゆる応援席の光景がそこにはなかった。あるのは20人ほどの観客が無言でまばらに座っている光景だった。

「かっとばせー 〇〇、かっとばせー 〇〇」
気がつけば私は1人で手拍子をしながら打者の名前を叫んでいた。

人の少ない応援席に、たった1人私の声が響き渡る。

今思えば小学5年生だからギリギリできる行為である。今だったら恥ずかしくて何も出来ないと思うが、その瞬間は自分の感情が強かった。

勝って欲しかった。
または、応援している人がいると伝わって欲しかったのかもしれない。

あまりに静かな球場は、私一人が3塁側から手拍子していても打者に聞こえるほどであったが、次第に1人、また1人と手拍子が広がっていった。

「かっとばせー 〇〇、かっとばせー 〇〇」
「かっとばせー 〇〇、かっとばせー 〇〇」
「かっとばせー 〇〇、かっとばせー 〇〇」

たった数十人の3塁側アルプスに、なんの伴奏もなんの踊りも無い、地味な声援が、しかし確実に拡がっていった。

みんな分かっていた。
みんなここが勝負どころだと分かっていた。
みんなA高に勝って欲しいと思っている。
恥ずかしさが薄れてきた私も、その嬉しさで手拍子を続けた。

すると

カキン!

バットがボールを打つ金属音が、応援の声量を突き破るように球場に響いた。
ボールはぐんぐん伸びて、左中間を突き破る長打となった。

ランナーが2人返って、A高校は大逆転を演じた。

応援席は前の回までの静寂が嘘かのように沸き立った。たった数十人とは思えない盛り上がりだった。

届いた応援

試合は1点差でそのままA高校が勝利を収めた。あの2点タイムリーが実質的に試合を決めたといっていい、殊勲打だった。

私はあの時の応援が打者に届いたと信じている。逆転のチャンスで静かだった応援席が手拍子と声で埋め尽くされて、力の出ない人なんていないと思うからだ。

ただ、元々泥仕合だったから、あの場面で何も応援の声をあげなくても、結果は変わらず逆転勝ちだったかもしれない。でもそんなことは関係なく、私は声を出して応援した。そして結果が良い方向になった。それで私は応援が届いたと信じている。それでいいのだ。

この時の試合をもっと思い出したくて先日Google検索してみた。全くヒットせず、かろうじて最終スコアだけがわかった。甲子園でもなく、有名校の試合でもなければこんなもんである。

でも、そんな試合でも、自分の関わり方、観戦する時の考え方次第では面白いと感じる試合はたくさんある。増してや甲子園では、そんな高校をたくさん倒してきて、負けられない気持ちが強くなったチーム同士の試合が観れる。そう思うと一段と高校野球観戦が楽しめる気がした。それに、高校野球という範疇であれば、多かれ少なかれ気持ちひとつで結果が変わる、ある種の不安定さがあり、そこも観戦する上で面白いなと感じた。

この日以来、ほとんど地方大会に足を運んだことは無いが、テレビ観戦などでも、このときの観戦の記憶や体験があるから、いろんな文脈が読み取れて楽しめていると思う。


ここまでが「私が高校野球観戦をし始めたきっかけ」である。以後は、「今も高校野球観戦を続けている原動力になっている2つの出来事」について語る。

新生活を後押しした全国制覇

それからおよそ10年。
私は奈良高専を卒業して、20歳で都内のIT企業に就職することになり、神奈川での一人暮らしを始めた。

2016年の3月のことである。

あの試合の観戦以来、中学、高専と時間が流れていくにつれて、徐々に高校野球観戦の機会は減っていたが、神奈川の新居で荷解きをしながらテレビをつけると、ちょうど選抜高校野球、俗に言う春の甲子園が放送されていた。

その大会で大躍進、全国制覇を果たしたのが奈良代表の智弁学園である。

今や阪神タイガースのエース格といっても過言では無い村上投手は当時智弁学園のエースとして相手打線を封じ、接戦からのドラマチックな勝利を演じていた。

特に準決勝、決勝と2試合連続で劇的なサヨナラ勝ちを決めたのは球史に残ると言っても過言ではない。
私はそれらの試合を、初めての一人暮らし、慣れない神奈川の土地で荷解きをしたり家電を買ったりする中でリアルタイムで観戦した。
ドラマチックすぎる展開に、誰もいない家で1人で「おおお!」と声を上げた記憶がある。

さすがに高校野球観戦を趣味にしてきて、気合い入れて東京の企業に就職して親元を離れて関東に来たら、さっそく地元の高校が甲子園で優勝してくれた、というのは、なんだかこれから仕事を始めて色々あるかもしれないけどなんだかんだ上手くいくんじゃないだろうか、と根拠の無い自信を提供してくれた出来事だった。

勝手ではあるが、智弁学園が私の船出を後押ししてくれたような気持ちになった。さっきも応援が伝わったと思えばそれでいいのだ、といった趣旨の発言をしたが、これもその亜種である。この偶然を都合よく受け取ればいいのだ。

智弁VS智弁を実現した世代

さて、前節の出来事で、社会人になっても高校野球を見続けようと思った私は、2018年に奈良大付属の試合を見るため甲子園へ、そして翌年の2019年にも智弁学園対八戸学院光星の試合を見に甲子園へ関東から足を運んだ。

このとき八戸学院光星戦で登板した智弁学園のピッチャーが、後に全国を席巻する小畠、西村の1年生コンビだった。

自慢の強打を発揮しながら8-10で負けたその試合は、私の脳裏にひとつの仮説を浮かばせた。

「智弁学園の監督は、相当小畠、西村の1年生ピッチャーに期待している。再来年に勝負をかけるつもりなのでは」

打力に売りがある智弁学園が、1年生ピッチャーを2人も夏の甲子園に出して敗退したのは、もちろん勝ちに行った判断ではありつつ、来年再来年への期待も込められているのかと邪推したのだ。

その後私は、これまで以上に意識して智弁学園の試合を追いかけた。登板した投手名やイニング数まで調べて、キャッチアップし続けたのである。

打力に定評のある智弁学園に強いエースが1人2人入るだけで優勝候補になり得ることは2016年選抜で知っていた。
細かいことは覚えていないが、両投手の背番号の入れ替わりなどは特に象徴的で、情報を追っていて楽しいところだった。

すると2年後の2021年、智弁学園は夏の甲子園決勝戦へと勝ち上がり、智弁和歌山との「兄弟校対決」が実現した。

試合は連戦の疲労が蓄積した両エースが踏ん張れず敗退し、準優勝となったが、私はその2年前に打ち込まれて甲子園初戦敗退した両エースが全国決勝まで来れたこと、そしてその内容に感動していた。

ここまで高校野球について長文を書いておいてなんだが、さすがに個人選手の名前を覚えて数年に渡って観戦し続けるなど、後にも先にもなかった(日本にはもっと深く追っている高校野球ファンがごまんといるので、その方々の情熱には負ける)ので、やはり球場で選手を見ると印象に残るものだなと感じた。

それに、この一連の流れで、毎年毎年勝ち続ける強豪校の監督って、その年だけのことを思うと3年生だけ出してやりたいが、何年も強くあり続けることを考えると下級生の実戦経験も大事だし、采配が難しいところだな、というのを少し感じる事ができた。

それ以来、試合を見るときに采配に注目したり、下級生を出すタイミングを覚えておいたりと、観戦の幅が拡がった。さすがに記憶に限度はあるので、智弁学園の選手くらいしか覚えていられないけど……

締めくくり

そんなこんなで、野球経験もないし年に何度も球場に行っている訳でもないが、節目節目でドラマチックな試合を観れたり、地元奈良県勢がなんだかんだ強いおかげで趣味として楽しめている。

また機会を作って甲子園や球場に行って、「試合を見ると元気が出る学校や、応援したい選手」を増やしたい。


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