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覚醒と依存の違い

旧暦の5月5日は中華圏では端午節と言って、

粽を食べる風習があります。

我が家も弟が昨日粽を作っていました。

↓こちらがその粽。

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地域や過程によって、中身や形が違うのですが、

これは弟独自の包み方。

粽はこの時期にしか出回らないので、中華料理屋さんなどで販売されていたら、今がチャンスですよ!


さて、今日は最近感じていることをお伝えしたいと思います。

それはタイトルにある、

覚醒と依存の違い

についてです。

ここ数年で書店の本棚にならぶいわゆるスピ系の作品が増えてきていて、

作者の方もいろんな方がいらっしゃいますよね。

それだけ、日本国内でスピリチュアルが浸透していて、

目覚めている方も増えたということになるのですが、

最初は誰もが何らかしらの気づきから始まって、

目覚めていくという流れなのですが、

その気づきが始まってから、目覚めるまでの過程で、

人によっては目覚めずにただの依存で終わる ことがあるんですね。

ようはなんちゃってスピリチュアルですね。

どういうことかというと、

色んな方の本を読み漁って、ワークショップに通って、
ヒーリングや瞑想やレイキ・・・などを習って、
出来ている風、わかっている風な感じ。

そして、アイドルを追っかけているかのように、
ターゲットとなる人が本で書いてあること、
トークショーで言っていたことが全てだと思い込み、

あれがいい・・・と言えば、あのグッズを買い、
これがいい・・・と言われれば、その会に入会し、

ただの居場所、心のよりどころを作っているだけ。

更に言うと、真理をが何かをわかっていなく、
自分とも向き合っておらず、自分の抱える闇を手放せないまま、
あたかも自分はスピです・・・というようなわかりきった事を言うあせる

こういうふうになってしまった方はもう依存していることになりますよね。

本当に目覚めていらっしゃる方は話し方が違いますし、話される内容も違います。

もっというと、立ち居振る舞いが違うので、すぐにわかる。

もちろん本人がそれでいて幸せを感じていればいいのですが、

ほとんどの場合は本来乗り越えるべき問題をクリアできていないので、

何かの拍子にはその問題が繰り返し起こったり、

元となる部分がずっとつかえて、そこで毎度つまづいたりするんですよね。

せっかく気づきを得たなら、依存ではなく、目覚められるといいですね。

そのためにはしっかり自分と向き合い、自分の中にある闇とも対峙しなければなりません。

少々痛いかもしれませんが、そこを越えられたら、あとは楽ちん。

皆さんの周りにもし依存しているな・・・という方がいらっしゃいましたら、このお話をしてあげてみてくださいね。


では、また。

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