「努力」がしにくい日々を淡々と

 お気に入りの雑貨店では、入浴剤の香りの種類が豊富だ。先日、10種類を1つずつ買った。ちょっとお高めなので、ゆっくり湯船に浸かれる時間のある土曜日の贅沢にしている。

 私は4月から食事と運動を見直して、生活習慣を変えようとしているところ。せっかちな性格なので、すぐに成果や変化を得たいと思ってしまうけれど、体に変化が現れるまで時間がかかる。根気強く気長に続けることが大切だ。

 10個の入浴剤を、毎週土曜日に一つずつ。使い終わる頃には10週間、つまり2ヶ月半くらい経過している。その頃までには、少し体に変化を感じ取れるようになっているのではないかな、と淡い期待をしながら日々過ごしている。

 生活習慣の改善には、それくらいのスパンで慌てずに取り組むのがよい。ゆっくりだけど前進している、前向きに努力していると自覚できることは、精神衛生上も好ましい。

 今日は土曜日。どの香りの入浴剤にしようかな、と朝から箱を開けてウキウキした。この箱が空になる2ヶ月後まで努力を継続できるように、自分を励ましている。

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 そんな風に「前向きな努力」ができる時はよい。でも、「努力」できていない状況を自覚する時は、心がざわつく。

 この数ヶ月で3回ほど、年上の人から「あなたはまだ若いんだから、いくらでも別の道に進めるよ」と言われることがあった。母、年上の親しい友人2人から、家庭、仕事、健康の話題で。会話の相手も内容も全く別のものだけれど、「あなたはまだ若いんだから」と言われて、私は3回とも嬉しくなかった。

 同じ言葉を、別のタイミングで別の人から言われたら、私は励まされて発奮したのかもしれない。私の感情は、会話の相手との日頃の関係や、その時の精神状態に大きく左右される。

 でも、今回は3回とも、私は励まされることはなく、「あなたの年齢ならまだ諦めるべきではない。努力の余地があるのに、やるべきことをやらないから、今の状況になっている。」と暗に言われている気がしてしまった。相手にそんな意図は全くなく、自分の受け取り方の問題だとよく分かっているけれど。

 「努力」して問題のある現状を打破しなければならない、「努力」して成長しなければならない…と焦るけれど、具体的に「努力」する項目は見当たらなくて、時が過ぎるのを待つ方がよい時も、世の中にはたくさんある。

 分かりやすい「努力」がしにくい時期もあるのだ。時間の経過とともに、状況が変わってから動く方がよい時もある。周りからの意見は有難いけれど、今は淡々と暮らす時期なのだろうな、という自分の直観を大切にしたい。