個人的2023年振り返り 後半(7月〜12月)

7月 好きな人との別れ、人生で初めての彼氏ができる、1年間の休学が正式に決定

詳しくはこの記事を参照してほしいのだが、好きな人と会う約束がなくなった。
私はその人を愛せるけど、愛は帰ってこない。虚しい気持ちでいっぱいだった。
愛を埋めるものを探して求めていた。

そんな中、私のフォロワーさんがマッチングアプリで酷い目にあったと嘆いていた。そのフォロワーさんはとても優しい男性の方で歳は私の1つ上の方だった。
夜な夜なやってたスペースに1人来てくれたその方に「私とオフ会しませんか?」と誘ってみた。返事はあっさりOKだった。しかし、母が許さなかった。
「ネットの人と会うなんて、私は反対!殺されたらどうするの!?」すでにLINEを交換してフルネームをお互い知っている状態で母と彼でLINE通話してもらった。父も目の前にいたから内心ドキドキしていた。

結果、彼が私の方まで来るのならいいという条件で許可が出た。
会ってみてすぐ「私でよければお付き合いしませんか」と言ってみた。自分でもびっくりだ。まさか自分から告白する日がやってくるとは。返事はあっさりOKだった。

彼は私に深い愛情を注いでくれた。かつて好きだった人とは違って。
でも、数ヶ月は葛藤が続いた。このまま付き合っていいのか。本当はまだあの人のことが好きなままなんじゃないかって。

7月末日。家に大学から封筒が届いていた。中を開けてみると、休学が正式に認められたことを示す証明書が入っていた。こうして1年間休学することが決まったのである。

8月 ディズニーデートする。バイトめっちゃやる。


妹のオープンキャンパスに行くついでにディズニーランドに行くことになっていた。本来ならば母と私と妹で行く予定だったが、妹が「せっかく彼氏できたんなら一緒に行きなよ。滅多に会えないんでしょ?」と言いディズニーランドでデートすることが決まった。付き合って1ヶ月でディズニーデートってすごくないか!?
ちなみに妹と母はディズニーシーの方に行った。

バイトはいつも14時〜19時までやってた。1日勤務を8月の中で3回やった。1つ目はドッヂボール大会。2つ目は団体映画鑑賞。3つ目は夏休み最終日に行く水族館遠足。どれも疲れたけど子どもたちと絆を深めることができた。

9月 家で暴れて医療保護入院になる。3回注射&身体拘束


当時服用していたバルプロ酸でめっちゃ食べる→お腹いっぱいor鬱状態&レクサプロ&メイラックスで1日中爆睡→体力低下&運動が辛くなる→食でストレス発散のループに陥っていた。

ブクブク太っていく醜い自分が嫌になったのと、バイト先からの子どもたちに言われる容姿に関する些細な言葉が引き金となり、希死念慮が増してきた。正直、限界だった。働きすぎた。何もかも上手くないのなら死んで自由になりたいと思った。

入院したいといったら反対された。母に「そんなんじゃ社会人やってけないよ!私の方が辛いんだから!」と言われて頭にきた私は家で飛び降りようと暴れた。泣き叫んでいるところを家族全員に取り押さえられた。泣き声や罵声は通話していた彼氏に丸聞こえだった。

とりあえず、主治医には会えないかもしれないが翌日病院に行くことになった。
翌日、病院に行って主治医ではない医師に相談したが入院させてもらえず、不満が募りに募った私は病院の近くで車に轢かれようとして暴れた。両親と家族に取り押さえられた。そして看護師さんから明日もう一度病院へ来るように言われた。その日は主治医が外来をしている日だった。

翌日、もう一度病院へ行った。主治医は入院のスパンが短い(約3ヶ月)ことから悩みに悩んでいたが入院が決定した。
病棟に入って早々隔離室の死角で病衣のズボンを使って首を吊った。しかし、すぐに看護師さんに見つかり説得されてズボンをほどき、履いた。

その数日後、希死念慮の波がまた強くなってトイレに顔突っ込んで溺死しようとした。また看護師さんに見つかるが暴れた。なんとか食事を食べさせようとしてきたが、食事が置かれてる消灯台から食事をどかしてその上に椅子を立てて飛び降りようとした。看護師さんはすぐに気づいて男性看護師さんを応援に呼びつけ私を取り押さえた。泣き叫び暴れる私に注射が打たれる。それでもなお暴れるため身体拘束となった。

身体拘束になれば何かが変わると思っていた。ここまでしなければ私の苦しみは家族や主治医に伝わらないと思ってた。しかし、現実は悲しいことに何も変わることがなかった。

10月 やっと一般病棟へ。副作用で体重10kg増える。主治医ダウン。閉鎖病棟で誕生日を迎える。


身体拘束が解除された私はもう死ぬことさえ諦めた腑抜けの体になっていた。そして拘束以前の過食と拘束のせいで筋肉が落ちて体重がとても増えた。歩くだけでも息が切れるし、長く歩くと心臓のあたりが痛い。身体拘束後に残されたのは弱った身体だけだった。 

10月20日。主治医がダウンした。代わりの医師は病院から飛び出して死のうとしたときの医師だった。

私は10月生まれなのだが、病棟で誕生日を迎えた。面会に来た母がシャトレーゼのケーキを持ってきてくれた。

そのときのケーキ。柿とシャインマスカットがのっている。

彼氏からは誕生日プレゼントが送られて来た。ありがとう。

イーヴィルクィーンのコスメボックス


11月 退院。学童保育のバイトやめる。すみっコぐらしの映画を見に行く

ちょうど2ヶ月。私は退院した。もう希死念慮は湧いてこなくなった。結局は薬の力に頼るんだなと私は思った。
バイト先には入院2回のせいで散々迷惑をかけたので菓子折りを持っていって挨拶をしてやめてきた。(事前に私が入院してから母が辞める連絡をしてくれていたらしいが)

私の大好きなすみっコぐらしの映画がやっていたので見て来た。控えめに言って最高だった。なので2回見てきた。主題歌の「すみっコディスコ」が神曲である。youtubeのMVは可愛さが炸裂しているので全人類聴いてくれ。


12月 主治医復活。大学へ面談しに行く。映画鑑賞にハマる。彼氏からクリスマスプレゼントが届く。

退院後の診察から主治医が戻ってきていた。どうやら主治医は鬱になって1ヶ月間休職していたらしい。(本人談)ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだなと思った。

12月13日に大学へ面談しにいった。なぜかというと子どもたちからもらった夢を叶えられるかどうかということを年内中に確かめておく必要があったからだ。(実習の有無があるため)

私は学童保育のバイトを通して子どもたちの食生活や食への価値観があまり良くないことに気がついた。中でも驚いたのは、小学4年生にして痩せ願望があって、夜ご飯を食べていないと言っていた子である。また、最も簡単におやつや弁当を捨てている様子もショックだった。
私はそんな子どもたちを救いたいと思った。食べ物への感謝の気持ちを持って自分自身のために食事を大切に食べる子どもを増やしていきたいと強く思った。

面談の結果、来年は管理栄養士の実習に行って教職科目は再来年ゆっくり履修することになりそうだ。
まずは卒業!頑張るぞ!

就職はというとパートかアルバイト探して、働きながら教職履修する予定である。
管理栄養士の国家試験はそのときの体調によって受けるか受けないか決める。

12月11日。かなり早めのクリスマスプレゼントが送られてきた。ありがとう。

すみっコぐらしのとかげのぬいぐるみ(でかい)

最近は映画鑑賞にハマっている。障害者手帳を見せると1000円で映画が見れるので見まくっている。
ウォンカとチョコレート工場のはじまりはファンタジックなミュージカル映画で見ていてウキウキした。夢を諦めてはいけない。仲間を大切にしよう。そうゆう気持ちが芽生える素晴らしい映画だったと思う。

また、昨日(12月29日)は母は劇場版スパイファミリーを見てきた。かなり満足度の高いアクションシーンが盛りだくさんで見ごたえがあった。途中、子どもが喜びそうなシーンもあり、長時間見ていても全く飽きなくて映画の世界に引き込まれた。中でも主題歌の「光の跡」「soul soup」がめちゃくちゃ良い。全人類聴いてくれ(2回目)

1年間総まとめ

いやぁ〜!本当に色々あった1年でした!悲しくて辛いこともあったけど、その後に待ち受けてたことが嬉しすぎて、これが人生なんだなーって思いました。五感のように苦い、酸っぱい、辛いだけじゃない甘味も旨味もあるのが人生なんだなぁって。
中でも2回の入院という絶望を乗り越えた先にあった彼氏が出来たこと、将来の夢・希望が見つかったことは本当に大きいです。
来年は復学して実習に行き、卒論を書いて、就活もして、通常の授業や試験も受けて、できれば国試も受けてって感じで大忙しになりそうだけどなんとか頑張っていければ良いかなって思います。
それではみなさま、良いお年を!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?