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同行者

季節とは、不思議なものだ。


春夏秋冬、日ごとその姿を少しずつ違えながら、そこに暮らすものの記憶を織り込んで、過ぎてゆく。

日々の暮らしの中で起こる、織りきずや織りむらや小さな糸の結び目の様な出来事も、季節という一枚の布が織り上がるための、必要不可欠な要素なのに違いない。

だから次の季節がめぐるたび、ふと目にした日射しの明るさに、日陰の色に、一瞬にして記憶を呼び戻されるのだろう。

たとえそれが、少々奇妙な出来事だったとしても。


今は昔、スマートフォンはおろか、まだ携帯電話さえなかった時代の話。

勤め先の恒例行事として、毎年この時期に刷り上がった印刷物を社員総出で、得意先に一軒一軒手配りするというのがあった。
営業職以外の者が、いつもの窮屈な職場を飛び出して仕事という名目の下、昼日中からおおっぴらに街中の風に吹かれる絶好の機会とあって、この日を楽しみにしている者は少なくなかった。
さらにこの年は、配布するエリアが住んでいた場所にほど近い、土地鑑のある地域を割り振られるという幸運にも恵まれた。
いつもならば求められる帰社も、この日に限っては出先からの直帰を許されており、さっさと配り終えてしまえば、その後の時間をどう使おうと自由に出来るのである。
配る前から、すでに半分仕事を片付けた気になりながら、受け取った印刷物の重さも忘れて、足取り軽く配布場所へと向かった。

最寄り駅を出ると、すぐ目の前にその場所は、あった。
さほど広くはない敷地の中は、つい最近整備されたばかりらしく、照り返しの日射しが明るくまぶしかったが、設置された案内板がかろうじて、ここが墓地であることを、周囲に知らせていた。
何故ここに足を踏み入れようと思ったのか、わからない。
特に歴史に詳しいわけでも、幕末の志士に興味があるわけでもなかったが、その墓石に刻まれた名前は、日本人なら誰もが知っているであろう(後年大河ドラマの主人公にもなった)人物のものだった。
今思えばかなり手前勝手で、バチあたりな行動だったと冷や汗が出る思いだが、なぜかその時は別段何とも思わず、二本差しで腕っぷしも強そうだし、組織の長を務めるほどの人物なら頼りになりそうだからと、挨拶代わりに真新しい墓石に手を合わせ、今日の仕事でのご守護をいだけますように、とほんの軽い気持ちで願い事をして、妙にスッキリとした気分で最初の訪問先へと向かったのを、覚えている。

ここが元刑場で、墓の主が武士としての最期(自刃)を許されず、罪人として扱われて斬首された場所だと知ったのは、後年のことであった。

実のところ、これから訪問する所は得意先とはいうものの面識があるわけではなく、しかも突然の訪問なので、居留守を使われるのはまだいい方で、相手の虫の居所次第では、罵声を浴びたり、剣突を喰らったりすることも、ないわけではなかったのだ。
さいわい訪問先では、心配したようなことは何もなく、それどころか過分なまでのもてなしを受けた。
季節が木々の衣更えをすっかり済ませて、緑陰が濃くなるこの時期、冷たい飲み物を饗されることは珍しくなかったが、最初の訪問先で出された、デパートにも出店している有名菓子店の上生菓子を皮切りに、人気甘味店のアイスクリーム、老舗の高級フルーツ等が、訪ねた先々で振る舞われ(さすがに枝豆と冷えたビールを出された時は、泣く泣く固辞したが)、さらに帰り際には土産の品まで持たされる、その気前のよさに驚きつつも、代を重ねて同じ土地に長く暮らす人々の、人付き合いとはこういうものかと、最初は気にも止めなかった。

だが、訪問先が増えるにつれ、だんだんと違和感をおぼえるようになった。
何故なら、どの人も今日初めて会うにもかかわらず、持っている感情の熱量が、何だかものすごく大きいのだ。
まるで、何十年ぶりに催された同窓会で、当時いつもつるんでいた仲間を見つけた時のようなテンションの高さで、もうとまどいを通り越して、閉口の域にまで達しかけていた。

最後の訪問先は、あの墓地の近くで、路地の突き当たりの一軒家だった。
ちょうど植木の水やりに、表に出ていた老婦人に声をかけた。
一瞬目を大きく見開いて驚いた様子だったが、すぐにおだやかな笑みを浮かべ、散水の手を止めて門扉を開け、中に招き入れてくれた。
持参した印刷物を手渡して、ひと通りの挨拶と世間話をすませ、そろそろいとまを告げるつもりで口を開きかけたその時、その老婦人が唐突にこう言った。

「花を、持っておいきなさいな」

そう言うが早いか、手にした剪定鋏で丹精したであろう草花を、惜し気もなく摘み取ると、玄関先に束ねてあった古新聞を抜き取って、手際よく包んで渡してくれた。
老婦人に見送られて、来た路地を戻りながら曲がり角で振り返ると、身を二つに折って深々とお辞儀をする姿が、そこにあった。
あわてて頭を下げながら、今まで喉元にひっかかっていた違和感が、ようやく腑に落ちるのを感じた。
なぜなら、身じろぎ一つしないその姿から、単なる儀礼的な挨拶とはまったく違う、衷心からの尊敬と哀悼の念が強く感じられて、それがこの場にいっしょにいる、自分以外の誰かに対してのものだと、はっきり気がついたからだった。

再び訪れた墓地は、あらゆるものが夕焼け色に染められて、昔話に出てくる風景にどこか似て、懐かしさと寂しさが入り交じった場所になっていた。
老婦人から託された花束を墓前に供え、無事に訪問を終えることが出来た感謝と、訪問先にご同行いただいたお礼を伝えた。

すると一陣の涼風が、まるで今日一日の労をねぎらうかのように、ちょっと愉しげに吹き抜けていった。

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