歌を恋うということ    尾崎まゆみ 「シジフォスの日日」有沢螢 書評 

玲瓏98号掲載の書評です。
有沢螢様へこれまでの感謝を込めて公開いたします。

歌を恋うということ              尾崎まゆみ

「シジフォスの日日」有沢螢 短歌研究社 2017年12月8日刊


「椋鳥のお母さんは病気です」大きプレート枕辺にあり

 ふっくらとした面差しが浄瑠璃寺の吉祥天女のごとく、まなざしは母の温もり。土砂降りの雨のなかわざわざタクシーに乗る私に、傘を差しかけて見送ってくださった気配り。そんな有沢さんとの出会いを思いながら、白い扉に大きなプレートをかけた装丁の歌集を開くと、助けてという声が響く。緊急手術と、意識が回復するまでの幻想から始まる「いのちよりも言葉を」求めた非日常的な日常が始まる。

パジャマ姿の十三人の子供たちワルツを踊る武満徹の

まなびやのカリヨンの塔に降り立ちて制服の友を遠く見てをり

無原罪の御宿りに倣はむと象られたる白百合の花

麻酔覚めまず聴覚がよみがへり夢と現は一本の線

三十一回五十音図を読む友に頷きながら歌は生まれる

 あどけなさをふりまく子供たち、聖心女学院の少女たちの姿が重なる制服の友の初々しさ。パルトロメ・エスタバン・ムリーリョの「無原罪の御宿り」のように透明感があって、明るくて華やかで、しかも真実味のある歌が続く。スペイン独特の可愛らしさをひめたマリアさまの身体をふんわりと包む白い衣装は、言われてみれば、たしかに百合の花にも見える。

 優しい言葉で詠まれた透明感のある歌は、幻想の中で見たもの(それは有沢さんの最も大切にしているものだろう)を表現して残しておきたいと願う心から生まれた。何度も頭の中で繰り返し、しっかりと心に刻み込んだ言葉。臨死と生の間にひかれた一本の線を越えて目覚めて、声も出ず、指も動かない。けれど頭の中に巡り続けるイメージを言葉にして残したいと、どうしようもない状態なのに、人の手を借りて生まれた歌。言葉は無駄な飾りを持たず、読む人の心を直裁に切り開いて入り込み、ムリーリョの描く白百合のような肢体として、無垢の明かりをともす。

看取りをりし人ら帰れば肉塊となりて過ごせり十八時間

発声の練習ふた山越えてなほ宇宙人めく声のかすかに

わが身体枯木のごとく砕けたり残りて歌とならなむ

六箇月ぶりに嚥下訓練許されて葡萄ゼリーは咽喉に冷たし

福笑ひのごとく眉目を動かせど動かざる鼻にうすく笑へり

別れ際に男の大きてのひらが額撫づれば命つたはる

肩上ぐればふいに両手の動きたり「小さく前へならへ」の形に

早春のデヴィッド・ボウイ回顧展急ぎ行かばや車椅子にて 

ただひとり病室にいると、身動きもままならない肉塊のようだけれど生きている私。宇宙人めく声だけれど取り戻した声。身体を見つめ、そこに言葉への愛着をしみじみと感じる心。葡萄ゼリーの冷たさに感覚の蘇りを実感する。機知を感じる福笑い。人の手の感触にいのちを感じたこと。ついに両手が動き「小さく前へならへ」が出来た歓び。介護の人達に支えられながらも車椅子で外出出来るようになった歌は、軽快なリズムで、本歌取り風、少女のお茶目な雰囲気まで伝わってくる。

 少しずつ感覚と動きを取り戻して行く過程を描いた歌は、生きるとは何かという問いに常に向き合わねばならない日日の心を、ふんわりと包む。ひかえめに描かれているけれど大切な身体感覚を取り戻してゆく歓びが、深刻な事象のなかで、白百合のように柔らかな光を放ち、読み進む私の弱い心を、照らしてくれる。その灯に導かれて、控えめな歓びのなかにさりげなく紛れ込ませた想いにたどり着き、息を呑む

『谷間の百合』読みし日遠く二年(ふたとせ)を己が胸乳(むなぢ)に触れですごせり

動かざる白き繭ひとつ横たはり遠き夜景と対峙しており

車椅子に座したる母は手をのばし弟の腕にすがりつきたり

 貴婦人の秘めた恋心を描く『谷間の百合』を読みし日、有沢さんは健やかな身体を保っていたはず。「二年を己が胸乳に触れですごせり」には、失ったもののおおきさと、自らの心と身体に対する想いが、真摯に差し出しされていて、胸を突かれる、白き繭となった身体と対峙するこころのつよさと、車椅子の母への思いの深さに涙ぐむ。

 読み進むにつれて第一歌集『致死量の芥子』を読んだときの無垢なる心の感触がよみがえるようで、長谷川さん(このころからすでに二つの魂は寄り添っていた)の芥子の花を配した歌集の扉をひさしぶりに開いてみた。七歳のころから短歌に親しんでいた有沢さんの十五歳からの三十六年間作品三六二首を収めた歌集には、内面が透けて見えるような歌が、いまもそのまま変わらず並び、当時の私の心境も小さくつけた鉛筆の丸にしっかりと閉じ込められていて、懐かしい気持ちになった。(紙の本の良さは、当時のままの時間を閉じ込めて、その存在をいつでも確認できるところにある)

等身の棺のような部屋にいてオートロックで閉め出す孤独

                  『致死量の芥子』

からだより抜け落つものの感触でピアス沈みぬ雪解の池に

ひとを待つ夜の時間は音たてて流れてゆきぬ星の砂浜

夏の夜にくまなく膚に口づけるレニー・クラビッツの歌声の蜜

 からだより抜け落ちたピアスは大切なものを失くした感触。星の砂浜は待つとという時の流れのなしくずし。ピュアなものをしっかりと感じ取れる感性が、歌を求めているところは変わっていない。底なしの寂しさを内に秘めた私の中から孤独を閉め出し、なにものにも代えがたい私を愛しむ永遠の少女の面差しも変らない。その初々しい空間は、『シジフォスの日日』と違うようにみえるけれど、有沢さんそのもの、今更ながら短歌は、歌を恋う人の感情の普遍を閉じ込めているのだと確信した。


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