『天才を殺す凡人』

先日本屋でたまたま手にした北野唯我著『天才を殺す凡人』を読んだので感想というか備忘録をばと。

なかなか過激なタイトルではありますが、内容としては「天才・秀才・凡人とはなにか。それぞれの得意不得意とはなにか。どのように関係しあっているのか」というものです。
かんたんに内容をまとめたものが著者のブログで読むことができます。

本書の中で人の性質を「創造性・再現性・共感性」の3つに分類しています。これらはどれか1つだけを持つというわけではなく、どの程度の割合で持っているのかというもののようです。

天才:創造性に特化している
秀才:再現性(論理力)に特化している
凡人:共感性に特化している
これらをハイブリッドした人たちとして
エリートスーパーマン:創造性×再現性
最強の実行者:再現性×共感性
病める天才:創造性×共感性

新しいことを始める力を持つのは創造性(天才)です。
組織を拡大したり改善していくのが再現性(秀才)です。
製品を世に広く知らしめることが得意なのは共感性(凡人)ということです。

各々の得意分野でうまく噛み合っていればいいのですが、これらの才能がぶつかることもあります。
たとえば、新しいことはすぐには数値に顕れないものです。よって、定量的な効果の説明を求める組織体制では変革を望むことができません。
再現性(秀才)のほうがロジカルな説明を得意とするので、創造性(天才)の行うことを潰すことができます(サイレントキラーという)。

変革は数値で測りにくいということについて、本書の中でおもしろい考えが紹介されていました。
「創造性は凡人からの反発で測ることができる」というものです。
身近な例を思い浮かべると、入試にデジタル採点を導入する・出席簿を電子化する・教務システムを刷新するということを行うときにかなりの反発がありました。
反発の質にもよりますが、反発されてもいいのだという考えには強く勇気づけられます。

ひとりの人間の中に天才・秀才・凡人がいるという話はとても納得の行くものでした。

アイディアを思いつく(天才)
それをいろいろな基準に当てはめて『良い・悪い』を判断する(秀才)
周りがどう思うかなどを考える(凡人)

本書を通して天才(アイディア)が秀才(価値判断)や凡人(反発)に潰される過程を頭に入れておくことで、自分自身の創造性を高めることができるのではないかと思います。

個人的な悩みとして、本校でも映像事業を行いたいというものがあります。
しかし、映像を作ったところで生徒は見るのだろうか。学年はコンテンツを利用してくれるだろうか。生徒は今でも大量の課題を抱えているのでプラスアルファで映像授業は見られないだろう。たとえ見る生徒がいたとしてそれはコストに見合うだろうか。十分なコンテンツ量を作り上げることはできるだろうか。自分の姿や声が映っている映像を見られるのは気恥ずかしい。
などなどストッパーとなる秀才・凡人が私の中にもたくさんいます。秀才の言うことはもっともだとも思います。

私の秀才が言うことについては「根回しおじさん」がいれば解決します。
本書では「共感性の神」とも言っていました。

アイディアに対してストッパーとなっているものやその解決方法に名前がつけられただけで、しなければいけないことの見通しがよくなりました。


消化できていないので、まとまりもなくつらつらと書きました。
一緒に働くひとや自分自身が天才タイプ・秀才タイプ・凡人タイプのどれなのかを見極め、得意なことを得意な人に任せ、邪魔をしないこと。
自分自身の秀才・凡人が自分の中の天才のストッパーになっていないかを意識すること。
違うタイプの人との関わるとき『主語』に気をつけること。
このあたりが大切なのだと思います。

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