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祭りの記憶

こんにちは!Mikiです!

お盆も終わり、徐々に秋の足音が聞こえてくる時期になってきましたね。
まだまだ暑い日が続きそうではありますが、この時期の夕方の空はどこか寂しい感じがして、「あぁ…夏も終わるんだな…」と少し寂しい気持ちになるのは私だけでしょうか?

私は夏が好きです。
冬の寒さが厳しい雪国で育ったということもありますが、昔から「好きな季節は?」と聞かれると「夏!」と答えていました。
夏生まれでもないのに一体なぜか?

それは「祭りの季節」だからです。

今回は「祭りの記憶」というタイトルで、私の子供の頃の夏休みについてご紹介します!

祭りと言えば…新潟まつり!


私の地元新潟県新潟市では、毎年8月上旬に「新潟まつり」という祭りが開催されます。
祭りのルーツは江戸時代にまでさかのぼると言われており、
古くから伝わる民謡「新潟甚句」「佐渡おけさ」を市民が踊る「大民謡流し」や、海上安全と湊の発展を祈願して神輿を信濃川の東から西へ渡す「水上渡御」、4000人ほどが神輿を担ぐ「市民みこし」、そして信濃川に大輪の花火が輝く大花火大会など、3日間に渡って開催されるビッグイベントです。
「祭り」というと、屋台での食べ歩きや浴衣で花火を観に行くと言ったキラキライベントをイメージするかもしれませんが、私にとって祭りは「太鼓で盛り上げるもの」でした。

腰を落として構えて叩く和太鼓


万代太鼓

私の通う小学校は、「万代太鼓」という新潟市の郷土芸能を代々受け継ぎ、クラブとして有志活動をしていました。週3回練習があり、学校の行事や地域の祭りで演奏し、年間30回ほど出番がありました。私は小学校4年生の時に加入し、樽太鼓や小太鼓を叩いていました。
先ほど少し紹介した「新潟甚句」「佐渡おけさ」といった新潟に伝わる民謡が約20演目。部活のように放課後や土曜日に学校で練習していました。

夏だけでなく1年を通して様々な祭りやイベントに参加して演奏していましたが、やはり1番忙しいのは夏。毎週のようにどこかで太鼓を叩いていた記憶があります。
万代太鼓には楽譜というものが無いため、先輩方からひたすら口頭で教わります。そしてひたすら叩く。手にまめができるほど練習し、先輩方のお墨付きをいただいて、晴れて舞台で叩くことができます。

出番の時は、身体にさらしを巻き、クラブでおそろいの法被をはおり、足元は足袋に草履、頭には豆絞りというのが正式なスタイル。
団体によって法被のデザインは異なるのですが、私の所属していた小学校の法被は赤と黒でとてもカッコよく、その姿で外を歩いていると「祭りに出る子だ!」と思われるのが誇らしかった記憶があります。

山車に乗ること

年間を通じて様々なイベントで太鼓を叩いていましたが、「新潟まつり」で叩くことは特別でした。というのも、新潟まつりでは山車に乗りながら太鼓を叩くことができるのです!

新潟まつりでは昭和初期頃から商業振興を目的とした広告パレードが始まり、戦後になると各企業が志向を凝らした山車で祭りを盛り上げるようになります。太鼓の他にも芸妓さんが舞っていたり、バトン、鼓笛隊などさまざま。

万代太鼓の山車は、貨物用の大きなトラックの荷台部分を展開してお面や提灯などで装飾を施し、10人~15人が乗り込んで太鼓を演奏して進みます。
人数が限られること、真夏の暑さの中、朝から夕方頃までひたすら演奏し続けることから、小学校高学年の選ばれたメンバーしか山車に乗ることは出来ません。
ほぼ年功序列で山車に乗ることになるのですが、私の代は運よく1学年上の代が2名しかいなかったことから5年生の時から山車に乗ることができました!

紅白幕と「新潟まつり」と書かれた提灯が並ぶ繁華街を山車が通ると、店や家からたくさんの人が出て来て、手を振ったり写真を撮ったり、ビデオを回したり。

万代太鼓を始める前までは、祖父母宅からその光景を眺めたり、山車の近くまで行って祭りを楽しんでいましたが、参加する側では見える景色が全く違いました。
家族や知り合いがいると、「どうだ!かっこいいだろう!!」と言わんばかりにちょっと掛け声を大きくしたり、大きく振りかぶったり…。とにかく祭りに出ているのが誇らしくて楽しくて仕方がありませんでした。

「新潟まつり」という舞台

参加したイベントの中には音響の良いホールや、公民館、神社の境内、街中のなんてことのない普通の道で叩くこともありました。舞台ごとにいろんな景色を見ながら太鼓を叩くことができて楽しかったですが、「新潟まつり」は今振り返っても格別でした。新潟市民が1年に1度ここぞとばかりに盛り上がる祭りをさらに盛り上げることができるのは何と言っても万代太鼓の醍醐味でした。人の注目を集める楽しさと緊張感は何にも変えられません。

同じ万代太鼓をやっている団体で参加している大人たちからも決して「小学生」という目で見られることなく、同じ仲間として接してもらえる喜びもありました。

祭りの終わりは1回目の夏休みの終わり。そんな感覚。
お盆はおばあちゃんの家や家族旅行に行ったり、宿題と格闘したりと、2回目の夏休みを満喫した、そんな私の子供の頃の夏休みでした🌻




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