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どうせ死ぬなら


私が死んだら、私がここにいたことも、何かを成し遂げたことも、誰かが覚えていない限り「無」になってしまう。そう考えることが時々ある。

嫌だなあと思う。

正直書いているのを途中で辞めてしまいたいくらい、今も得体の知れない恐怖が襲ってくる。怖くなってきた。心臓が異様に動いている。

でも、今まで心の中でしか考えていなかったことを文字として表現することで、なんとなく「死」や「人生」ともっと向き合おうと思えるようになりそうだから、今日は書くことにした。


木漏れ日(PERFECT DAYS的な)

「死後の世界」があろうがなかろうが死んだらただ土になるだけ。

何も無い「無の状態」になることだけはわかっている。なので私はいつもこう思うことにしている。

どうせ死ぬんだから、毎日楽しく好きなように生きよう!

とてもありきたりで大変申し訳ないし、今はこう思えていても老年期を迎える頃にはその年齢でしか抱えきれない喪失感と共に、もう一度「死」への恐怖と向き合わなければならないんだろうけど。

あいみょんも、「どうせ死ぬなら二度寝で死にたいわ!!!」と言ってるくらいだし(『どうせ死ぬなら』あいみょん)。


二月の清水寺と高台寺

『どうせ死ぬなら、好きなこといっぱいしたい!』

と思い、この前まで大学生だった私は、北海道(知床)・群馬(伊香保温泉)・京都(お寺めぐり)へそれぞれ別の友人と卒業旅行に行ったり、満足するまでお酒を飲んだり、クラブに行ってみたり、ライブに行ったり。

今しかできないことを、思う存分楽しんだ。
たくさん笑ったし、たくさん泣いたり叫んだりした。すごく楽しかったし、どれもきらきらした時間だった。

しかし、社会人になって三週間が終わり、気づいたことがある。

、、、、、一週間が早すぎる!!!!!!!

この前月曜日で、「早く華金になれ」と愚痴をこぼしていたのに、もう金曜日。
このままじゃ、気づいたら30歳、気づいたら40、50歳、、、。私はただの「社会で働いている人」としてでしか、自分のアイデンティティを見出せない人間になっているのではないか、、、、。

数十年先の自分を想像して、顔をしかめた。


喫茶キャメル in Kyoto


死ぬまでにやりたいこと。

わがままを言えば、「自分がそこにいた証拠」をどこかに残したいと思っている。
今の私の夢は、「居場所カフェ」を作ること。カフェが好きな私は、大学で学んだ福祉×経営を活かして、誰かの居場所となれるカフェを開きたいのだ。

逆に、小さな夢で言えば、私が考えていたこと、感じていたことを、未来の家族やそのまた家族に知ってもらいたい。

noteもそのツールの一つ。
電子媒体のいいところは、パソコンやスマホを一台持っていれば何年経っても振り返ることができるところ。

もっと電子機器が発達した未来で、「ひいひい(もっとひい?)ばあちゃんってこんなこと書いてるよ!ワハハ」と笑いながら読んでほしい。

そういうふうに、私がいなくなった世界でも、笑ってくれる人がいたらいいな、と思う。


南禅寺 in Kyoto

とっても暗いタイトルだが、心から前向きな気持ち。なんなら明日が来るのが楽しみで仕方ない(ずっとオンライン研修だけど)。

楽しくないな〜〜〜と感じたら、自分で自分を楽しませる。
その方法を知っている。

そうすれば、「今日も何だかんだいい日だったかも」と、一日を終えることができる。(これこそ『映画 PERFECT DAYS』の役所広司さん演じる平山さん)


四季彩の丘 in Hokkaido


最後に、保育園の時に歌っていた『あしたがすき』という歌の一節を共有します。とっても好きな歌です。

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        あしたがすき あしたがすき 

            どんなときもあしたがすき

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シンプルな言葉の中に、今では小さい頃は乗せられなかったたくさんの感情を乗せることができる。それだけでも、生きててよかったと思える。

大袈裟かもしれないけど(笑)

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ここまで読んでくださってありがとうございます。正直これ、自分でここまで書けると思っていなくてびっくりしてます。

今、すごく全身の力が抜け、どっと疲れが出てきたように感じます。きっと自分の中にある「もの」を「外に出す」作業は、いつもとは違うエネルギーを使うんでしょうね〜(今日は特に重めの話題であったので)。

ほどほどに、明るくいきましょう~!
また次回~~~~~~~~

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