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私は、どう生きるか。


こんにちは、めいです。今年ももう少しで終わりますね、、、泣
みなさんにとって、2023年はどんな年でしたか?
きっと楽しいことも辛いこともたくさんあったと思います。
1年間、お疲れ様でした!!!!

今回は、私が今年一年を通して考えた「自分の性格」について、だらっと書いていきたいと思います。
ちなみに題名は、はい、今年観た映画の中で印象深いジブリからお借りしちゃいました、、、大尊敬宮崎駿様、申し訳ありません。(笑)

1、生きづらい社会


受け取り方の違いの倉庫。
それが人間社会だ。

SNSひとつにしても、簡単に大火事くらう社会。

楽しい自撮りを載せただけで
「可愛いって言って欲しいんだろうな」
と承認欲求を満たす系女子に見られてしまう。

「ええ!すごいじゃん!」
素直な褒め言葉が嫌味だと言われてしまう。

根も葉もない噂が広まったり、
事実とは違うことを言われたり、
勝手に嫌われたり。

ほんっとうに生きづらいな、と思う。

私は自分がその標的になった時、
もちろん嫌な気持ちがぐちゃぐちゃになって悲しく泣きながらも(いや泣くんかい)、
それまで自分が他の人を標的にしてしまったことを恥じます。

私は基本的に他人から聞いたある人の噂は、めちゃくちゃ聞いてるフリして聞き流すようにしていますが、

自分に余裕がなかったり自信がなかったり、
何かに頼りたい時すがりたい時、
自分の心がとても弱い時。
他人を標的にしてしまうことがあります
(それを人に伝えるか伝えないかは別にして、自分の心の中で勝手に標的にしちゃいます)。

もう22歳なのに、まだそんなしょうもないことをしてしまう自分にしばしばがっかりするし、
小中高の時の自分の方がまだマシだったな、と思います。

2、「淡白」になれない私

大人になるにつれて、心がスス汚れていくのを毎日のように感じる。
ときどき、大人になってきている自分に気づき、自分が本当にしょうもない人間であることに気づき、寝る前に泣く(正しくは勝手に涙が出る)。
泣いてもどうにもならないので、泣くのもどうにかしたいなあと思うんだけど、、、。

でも、「大人になること」「心がスス汚れること」の裏返しは、
物事に対していい意味で“淡白になった“ということだと私は思う。

ここで言う“淡白“とは、
物事や人に対して自分が何かしらのアクションを起こすときの“考える‎深度が浅い時“のことを言う。

新宿にある『珈琲西武』

この世に生を受けてから大学2年生くらいまでの自分は、ほぼ全てのことに対して淡白になれなかった。
保育園の頃はお泊まり保育で1人だけ緊張でご馳走を全部戻してたし、小学校の頃は交代交代に仲間はずれにされても先生にさえ何も言えなかったし、中学校では緊張しすぎて劇団本番前に発作かというほど号泣した。
高校時代は、周りにいた友達が繊細な子が多く、その優しさからたくさんの事を学んだことで更に淡白からは遠ざかった。

大学生になって新しい出会いがあり、
新しい刺激をもらい、大好きな友達がたくさんできた。
その中で、集団生活を経験した。
集団生活の中で生きることはとても難しいことだと思った。
なぜなら、集団生活の中で楽しく生きるには、淡白になったもん勝ちだからだ。

「みんな私のことをそういう風(悪い風)に見てるかも」

集団の中で暮らしていると、そう思うような場面が少なからずある。
きっと思った以上に人は自分に興味が無いし、
そんな噂なんてもう今は忘れちゃってるかもしれない。
ただのその場のネタだったのではないかとも思う。

でも、自分が噂話のネタにされていると、事実であればまだいいものの、根も葉もない噂話だとどうも納得いかない。

そして一旦、逆に自分が他の人に対してそういうことをしてないか振り返る。
もし、同じようなことを他人に対してしてしまっていたら、自分を恥じ反省する。
自分はもう同じことはしないと誓う。

丸一日反省したあとは、できるだけ「ま、いっか!」と思うようにしている。
いちいちこうやって落ち込むのも時間の無駄だし、また同じことをしなければいいだけの話だからだ。

しかし、ここで私の面倒マンが炸裂する…!

“ん、待てよ?
私が「ま、いっか!」となると相手に対して失礼になってしまうのではないか?“

そう感じると永遠に反省会を開いてしまい、
更に心がしんどくなってしまう、
という負のループに陥る。

3、「淡白」のその先

受け取り違いの倉庫で、
こんなことをいちいちウジウジと考えていても、本当に疲れてしまうだけだということはわかっている。
わかっているが、なかなか自分がやってしまったことの罪悪感から抜け出せないのだ。

ある意味向き合う力はあるけど、
そこから抜け出す力がないと、人として三流だ。

私は、私の今の性格を変えようとは思っていない、というか、変えられないと思っている。
だから、この性格の“使い方“を変えようと思う。

私は、「淡白さがない」という性格を「自分にも相手にも素直でいれること」と置き換えることにした。
淡白になれない私は、人のいい所ばかりを見つけようとしてしまう。人を嫌いになれない。それは、人を嫌っている自分に疲れることを避けるためでもある。
人に媚びず、人を見下さない。素直でいること。
これが私の淡白の無さが生み出す素敵なところだと思う(ひゃー自画自賛すみません)。

一方で、淡白さの無さ故に起きてしまうのが「負のループに陥ってしまうこと」だ。
正直負のループの内容によって対処が変わってくるが、ひとまず「ま、いっか。」と思うようにしている。
自分に、自分で「今日も頑張った、偉い!」と声を出して伝えるようにしている。
これをしてから、一人の時間がより楽しくなったし、孤独感を感じることも誰かに執着することも無くなった。

大好きで最高な幼馴染 in 下北沢。いつもありがとう!

ふりかえると、
ここまで自分の性格と向き合ったことはない、というくらいに向き合った大学生活だった。
長所は短所。
人にも自分自身にも、常にストレングス視点を持ち、毎日楽しく優しく温かく、笑って生きたいと思う。

私は、
私の良さでもあり良くない部分でもある「淡白の無さ」と向き合いながら、強く生きる。
時に友人や家族の力を借りながら(人に頼ることは本当に大切)。

みなさんは、自分の性格とどう向き合っていますか?


ここまで読んでくださりありがとうございます。
なんかすっっごく自己満な、自分の思考をまとめる系noteになっちゃいました、、、ごめんなさい💦
今日は、クリスマスですね!みなさん素敵な夜をお過ごしください🎄

ではまた(´︶`)ノ

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