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私が見た南国の星 第1集「蛍と夜空」⑪

通訳を探す


 やがて新年が過ぎ、海南島にも朝夕の冷たい風が吹き始め、南国とは思えない寒さがやってきた。一年中夏だと思っていたので、少しびっくりした。だから、寒さに耐えられない時には温泉に入り体を癒していた。
 ここではエアコンの設備がないため、朝方の冷え込みは布団にくるまって耐えるしかなかった。床が木板なのは客室だけで、社員たちや私の部屋はタイル材なので底冷えした。とはいえ日本のような気温ではないので、まだ耐えることができた。
 1月から2月の二ヶ月間は、ここ海南島も、部屋にストーブが必要なくらいの寒さだった。夜明け頃になると、毎日の寒さで眼が覚める日が多く、よく靴下を履いて寝ていたのを思い出す。そんな私のためにと温泉から暖かいお湯をもってきてくれる社員の優しさが、寒さを忘れさせてくれていた。
 年が明け、10日が過ぎた頃、やっと本社から連絡が入った。本社の役員も通訳人を捜して下さっていたのだが、給料などの条件やホテルのあるのがあまりに田舎で、行きたいという人がどうしても見つからないとの事だった。こちらで捜してほしいと言われたが、私自身も海南島では中国人の知り合いは旅行会社の方だけなので困ってしまった。しかし、なんとかしなければと思い、中国国際旅行社やその他の旅行社の日本部へ電話で相談をした。6件目の旅行社でやっと可能性が出てきた。
「葉さん!お元気でしょうか。私は七仙嶺温泉の日本ホテル総支配人ですが、覚えていらっしゃるでしょうか」
挨拶の途中だったが、彼は直ぐ私とわかったようだった。
「新年おめでとうございます。今年も宜しくお願いします」
と、丁寧な挨拶から始まった。でも、私は自分のことで精一杯で、頭の中が混乱し、新年の挨拶さえ忘れていた。慌てて新年の挨拶をして、事情を説明した。すると、彼は、
「通訳人は男性が良いですか、それとも女性の方が?」
と言った。体調不良や生活面での相談も出来るようにと女性を希望した。
「はい、女性の方が助かります。どなたか心当たりでもいらっしゃいますか」
と尋ねた。
「友達の女性ですが、心当たりがありますので二日間くらい待って下さい」
と言われ、何だか胸の痞えが取れたような気分になった。
次の日の午後三時ごろだった。フロントから、
「ママ、葉さんからお電話です」
と、さっそく電話が入った。二日間と言われていたので「もしかしたらダメかも」と、正直なところ不安な気持ちになったが、電話に出てみると、彼の明るい声が私の心をワクワクさせてくれた。
「一人見つかりました。大丈夫だと思いますが条件次第です」
彼から言われた条件が気にかかったので、
「どのような条件でしょうか」
と、尋ねると、
「まず、毎月の給料は2500元、休暇は一ヶ月8日、彼女が帰宅する交通費、生活に関しては宿泊施設と食事は会社負担です」
正直なところ少し気持ちが落ちつかなくなった。なぜならば、この条件を本社の役員たちが納得をしてくれる自信がなかったからだ。私では決定する事が出来ないので、
「とりあえず、本社へ条件を報告してからお電話をしますので宜しくお願いします」
と言った。葉さんは、私の現在の状況が本当に大変だと理解をしてくれていたので、直ぐ捜してくれたのだろう。「中国人は情の厚い人種」と聞いていたが、本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。
さっそく本社へ連絡をすると、
「今日は、ちょうど取締役会を夜の七時半から行いますので、この件について回答をします」
と役員の河本氏に言われた。そして、通訳人の条件を報告したのだが、河本氏から返ってきた言葉は私を辛くさせた。
「中央政府の通訳人さえも5000元なのに2500元は高いと思うよ」
河本氏の言葉に対して私は我慢をしていたのだが、思わず一言が出てしまった。
「本社で捜すと言われましたが無理だと言われ、私の力ではこれ以上は出来ません。給料は私が決定する事は出来ませんが、海南島では普通だと言われました」
少し口調が強かったのを自分でも感じたが後の祭りだった。河本氏は上司なのだから、彼も私の発言に対して腹立たしかったのだろう。
「とにかく会議で決定してからの事です。あまり興奮しないで、ゆっくり探せばいいのですから」
その言葉に失望したが、どうなってもいいと思い。
「わかりました」
と、電話を切った。本当に腹立たしくてたまらなくて、自分の立場に嫌気がさしたのは事実だった。
 現地の状況もしっかり把握しないで、簡単に言われる本社の役員たちの考え方に反発を覚えた。日本的な考え方が、この中国の未開発地域で通用するはずがない。通用していたら、現在の中国は日本よりも発展が早かったはずだ。その点をもっと理解して経営をしてほしいと願った。本社の取締役会議が始まる時間に事務所で待機をしていた私は、電話が鳴る度に日本からではと、落ち着かない気持ちだった。
 本社からは中国時間の9時近くに連絡が入った。社長から直接お電話を戴き、通訳人の件は承諾して頂くことができた。いらだっていた気持ちが落ち着き、疲れが一気に出たせいか、
「ありがとうございます」
と、この一言しか言うことができなかった。
 社長の優しい言葉で、私もこの田舎で生きていけるような気がした。社長は、亡き父と同じような雰囲気な方で、実の兄以上にも思える親しさを感じる方だった。他の役員の方々も、社長のように寛大なお気持ちになって戴ければ、仕事もやりやすいと常々思う私だった。
 この日は気分もスッキリし、明るい道が見え始めて来たような気がして嬉しくなった。夜の9時半過ぎだったが、葉さんに電話を掛けて通訳人の条件について本社の了解を得た事を伝えた。彼も、
「良かったね。明日は通訳人の女性から貴女へ電話を掛けさせますから待っていて下さい」
と言ってくれたので、明日の電話が待ち遠しくてたまらなくなった。
「本当に良かった!」何度も心の中で呟きながら、この日もまた、眠れない夜を過ごした。
 

通訳の馮さんを迎えに


 次の朝は雲ひとつない良いお天気で、とても暖かい日になった。窓から眺めた七仙嶺はいつになく美しく、まるで私を祝福してくれているようだった。朝から嬉しくて、洋服も明るい色のワンピース、化粧も念入りにして鏡に映った自分に、
「おはよう!今日から貴女は心配しないで生きていけるから安心しなさいね」
と、話しかけた。社員たちも、私がいつもと違うのに気づいて不思議そうな顔で見つめていた。目線が合う度に、笑顔で会釈をしてくれる社員たちへの微笑み返しが楽しかった。
「早く電話が掛かってこないかしら」待っている時間は落ち着かず、何度も電話の前で呟いていた。
「ママ、今日は楽しいですか。誰が来ますか?今日は綺麗ですね」
と、社員たちから言われて
「そうよ、今日は幸せな日だから」
と答えた。すると、
「えぇ~、今日は何の日?きっと、誰か日本人が来るんだよ」
という、会話を楽しんでいる社員たちの声が聞こえてきた。社員たちは、いつも私の顔色を気にしながら仕事をしているので、今日の私を見て緊張感が薄れているようだった。
昼食時間が近い頃だった。
「ママ、ママ!電話ですよ」
フロントから女子社員が叫ぶ声に、私は、
「早く、事務所へ切り替えて下さい!」
と思わず大声が出てしまった。もしかしたら、通訳の女性かもしれないと思ったからだ。私の勘が当たり、
「もしもし、貴女は総経理の方ですか」
電話の向こう側では、とても元気な彼女の声が聞こえてきた。
「はい、そうです。貴女は、葉さんのご紹介の方ですか」
と、聞くと、
「そうです。私は馮小榕と言います。宜しくお願いします」
本当に感じのいい女性の声だった。
「いつ頃から来ていただけますか」
と言うと、
「15日に行く予定ですから待っていて下さい」
と言った。ここまでの道のりも大変なので、海口市まで迎えに行くつもりでいたのだが、とりあえず彼女に都合を尋ねてみた。
「バスで行きますのでホテルまでは自分でお伺いします。心配しないで下さい」
という言葉が返ってきた。しかし、迎えにいくのが常識だからバスの到着時間を聞いた。
「大丈夫です。迎えに来て頂かなくても結構ですから心配しないで下さい。必ず行きます」
日本での生活経験があるとのことだったが、本当に日本人のような心遣いを感じられて、嬉しくなった。当日は迎えに行く事で話し合いが終わり、すがすがしい気分の私は、運転手を事務所へ呼んだ。
 運転手の呉師は保安係で入社をしたのだが、龍氏が辞めてから運転できるのが私一人ではたいへんだったので、運転免許を取得させた。以前の仕事は自動車の整備と修理だったが、運転免許の取得費用が高くてなかなか取得が出来なかったということだった。呉師の運転は上手だと、いつも感心していた。彼が事務所へ来る度、いつも笑顔で明るく元気な声が響き渡る。
「ママ、お元気ですか」
彼の口癖の日本語から始まる。黒い肌に大きな瞳が印象的で、日本人客からも
「僕、僕!明るい子だね」と、可愛がられていた。彼は優しい性格の持ち主だった。
「トントン」
と、ドアを叩く音が聞こえた瞬間、
「どうぞ」
と、声を掛ける私に
「ママ、お元気ですか」
いつもどおり彼の挨拶が聞こえる。すると、事務所内の電気が一斉に点いたように明るく感じられた。
「ママ、何ですか?何処へ行きますか」
と、私が何も言わないうちから出掛ける用事が出来たと喜んでいるのだった。それほど彼は運転が好きだったようだ。毎朝、社用車の点検と洗車を欠かすことはなく、その几帳面さに感心していた。
「今は何処へも出掛けませんが、15日の午後からは出掛けますから休暇を取らないでね」と言った。
「わかりました。お金が無いから休暇はいらないです」
という、冗談まじりの言い方がとても愉快なので思わず笑ってしまった。
 通訳人が来てくれる日、私は朝からそわそわしていたので、社員たちからも冗談を言われてしまった。
「ママ、今日は通訳の方が来てくれるから嬉しいですか」
と言うのだった。どうして知っているのかと思ったが、やはり呉師が話したようだ。別に隠す事でもなかったのだが、特別に発表をする必要もないと思っていた。
 昼食が済み、午後一時半ごろになった。事務所では彼女専用の机や備品を準備する社員たちに、
「お疲れ様!もう準備は終了ですね。ありがとう」
と、声を掛けた。準備万端だと呟きながら、呉師にバス駅まで行く指示をした。
 ホテルから20分くらいの所にあるバス駅は、古くてとても狭く、息苦しさを感じさせる建物だった。初めて建物の中に入った瞬間、異臭がして、我慢が出来ないほどだった。まるで野菜や肉、魚が腐ったような何とも言えない臭いがした。
「呉師!外で待っていましょう」
さすがに臭いとを言うのもはばかられたのでそう言った。しかし彼は、私がハンカチで鼻を押さえていたのに気づいたのか、
「ママ、臭いね!」
と、ジェスチャーまじりの日本語が飛び出した。外へ出てみると、ゴミは散乱しているし、車が走る度に道路の砂ぼこりが舞い上がるし、大変な状況だった。
「もう直ぐ到着するかしら」
と、待っている時間がとても長く感じた。少し早く来てしまったので、
「呉師、ジュースを買いに行きましょう」
と声を掛けた。この道路に立っていると身体中が砂ぼこりだらけになりそうだったからだ。ここから車で3分ほどにある商店は衛生管理も悪くないため、到着時間まで時間をつぶす事にした。通訳の女性は、海口市からバスで三時間半も掛かるこの町へ来てくれるのだから、30分くらい待つのは当たり前の事だと思った。
 しかし、日本の感覚で待ち時間を計算していたのが間違いだった。バスの到着は三時との事だったから、五分前にバス駅へ戻れば間に合うと思って商店の店主と少し話をしていた。到着時間10分前になりバス駅へと向かった。途中で彼女の携帯電話に連絡を入れると、バスは予定時間よりも15分早く到着していた。びっくりした私は、
「ごめんなさいね。直ぐお迎えに行きますから待っていて下さい」
と謝った。慌ててバス駅まで行ったのだが彼女の姿が見つからない。
「何処で待っていてくれるのかしら」
呟きながら彼女らしき人物を探していた時だった。大きなボストンバックを手に持った、銀縁メガネの健康そうな女性が、バス駅の横にある小さな商店の前で立っていた。
「呉師、彼女かも知れないね」
と言いながら、彼女の方へ近づいて行った。やはり、間違いなくその人が通訳の馮さんだった。彼女も私に気づいて笑顔で挨拶をしてくれた。
「初めまして、私は馮小榕と言います。今日から宜しくお願いします」
と丁寧な挨拶をしてくれた。葉さんから聞いていた年齢では40歳との事だったが、三十代半ばに見えた。中学校か高校の先生のような雰囲気があり、初めて会った時から好印象だった。
「あなたのお名前は何てお呼びすればよいのでしょうか」
と尋ねた。
「はい、日本で生活をしている時は馮小榕(ひょう・しょうよう)と言われていました」ハキハキとした口調で答えてくれた。
「そうですか、では今日からひょうさんとお呼びしても良いですか」
そう言った私に、彼女は笑顔で、
「はい、お願いします」
と返事が返ってきた。ホテルまでの車中では会話も弾み、三時間以上の道のりをやって来てくれたのに、疲れた様子の少しもない彼女を見て嬉しくなった。
 

馮さんのこと


馮さん


 
 ホテルへ戻ってから、彼女には少し休憩をしてもらう事にした。一週間くらいは客室で生活をして、環境に慣れてから社員寮へ移動をお願いしようと思っていた。
「馮さん、お疲れだから休んで下さいね。暫くは客室で宿泊をして下さい。夕食時間になったら呼びしますので」
というと、彼女は遠慮をしていたのか、
「私は疲れていませんから何か仕事があれば言って下さい」
と言うので、今日は彼女の気持ちを尊重して、
「では、館内の施設を見学して頂きましょう」
と事務所へ彼女を案内した。
「ここが私の事務所ですから、あなたは私の向かい側の机を使って下さい。不足している文房具などがあれば遠慮しないで言って下さいね」
という私の言葉に、
「ありがとうございます」
と優しい表情で答えてくれた彼女だった。この人とならば、私も毎日が楽しく充実した仕事が出来ると確信をし、
「これからは一緒に仲良く仕事をしたいと思っていますので、私こそ宜しくお願いします」私の挨拶の言葉に対して、彼女は素直に返事をしてくれた。
「私の日本語は上手ではありませんが、一所懸命頑張りますので日本語がわからない時には教えて下さい」
と、とても真剣な顔の彼女だった。この人は本当に正直で真面目な優しい女性だと思った。また、自分のほうが年上なのに恥ずかしい思いがした。なぜならば、私が始めてこのホテルの社長と出会った時には彼女のように明るい表情で挨拶が出来なかったような気がしたからだ。彼女だったら本社の役員たちにも満足をしてもらえるだろうと思った。暫く館内を案内してレストランへ向かい、
「馮さん、今日は何が食べたいですか。お好きなものを作らせますから遠慮しないで下さいね」
そう言って彼女の顔を見た時だった、
「私は社員たちと同じもので結構ですから」
と言った。控えめな態度と、その笑顔の可愛さが羨ましくなってしまった。私は食べ物の好き嫌いが激しいので、またまた恥ずかしさが込み上げてきた。彼女の青春時代は、中国は開放されていなかったために食糧難などを体験して苦労してきたのだろう。日本も戦後は食糧難の時代があり大変だったと母から聞かされてきたが、私の青春時代にはお腹が空いて困ったと思う程の食糧難だった記憶はない。だから、好き嫌いも多かったのかもしれない。
 レストランの厨房を覗いてみると、そこには料理長の龍兄弟と補佐役の料理人たちが準備に追われていた。
「みなさん、お忙しいけれど私の通訳の方を紹介しますから」
と、言葉を掛けた。いつもどおり、料理長の龍君は、
「お姉さん、せっかくの料理は何が良いですか」
という訳のわからない言葉が返ってきて、思わず彼女も笑っていた。その後、他の料理人たちを紹介して、彼らも順番に自分から挨拶を始めた。縁があるのだろう。ここの料理人たちと彼女は故郷が同じだった。
 
 


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