私が見た南国の星 第3集「母性愛に生きて」⑧
社員研修旅行
8月初旬の暑さは厳しく、夏バテ気味の社員達にとっては、一日の疲れを癒してくれるのは涼しい夜風だけだった。若い彼等は、寮内で静かに過ごすのはきついようだった。女性社員であれば同僚とおしゃべりしたり、手芸をしたりして過ごせるだろうが、男性社員たちは刺激が欲しいようだった。社員の多くは少数民族で、特に、少数民族の中でも海南島のリー族は気性も荒くて、群れるのが大好きだ。まるで明日のことなど考えていないかのように、一年中お祭り騒ぎのように、お酒を飲んだりダンスをしたりと楽しい生活を好む。社員たちは、幼い頃からそんな親の背中を見て育ってきたので、常に楽しみたいのだ。そんな彼等を見て、阿浪は、彼らを可哀想に思ったようだ。
宿泊客が少ない、ある日の夜のことだった。阿浪は夕食後、社員たちのストレスを発散のために、社員を数人連れて何処かの店で宴会をした。彼等と自分の間に、本当の信頼感が生まれることを期待して、彼自身も努力をしていたようだった。この日、夜の12時頃に戻って来た彼等は、阿浪と一緒に飲んだビールが美味しかったのか、楽しそうな雰囲気で少数民族の民謡を歌いながら寮へと戻って行った。
その姿を見た私は、「彼らは、このまま楽しみが無い毎日に耐えられるはずがない」と、そんな事を考えていた。毎日が充実していなければ仕事にたいしても張り合いがもてない。彼等は、この海南島の山奥で育ち、省都である海口市さえも行ったことがない子も多かった。
そこで私は、旅行社が企画をしている「海南島の旅」に参加をさせることにした。ホテルの業務としても他のホテルへ宿泊すれば勉強にもなると思った。そして自分が客の立場になってみるのも、業務を向上させるための一つの手段だと思ったのだ。しかし、全員一度に参加をさせるわけにもいかないので、とりあえず各部所の責任者から順番に二人ずつ参加をさせることにした。2泊3日だったが、費用は割りと安かった。我社のホテルと契約している旅行社だったので、さらに値引きをしてくれた。
数日後、社員たちに、この計画を発表した。このニュースを聞いた社員たちは、飛び上がって喜び、日々の業務にも明るさが戻ってきた。旅行などしたことがない社員たちばかりなので、まるで修学旅行に行く前の学生のようだった。思い出せば、私自身も小学六年生の春、修学旅行で三重県の伊勢志摩へ出かけた時のこと、修学旅行前日の夜は、カバンの中の荷物を入れたり出したりして、ワクワクして眠れなかったものだ。きっと社員たちも当時の私の気持ちと同じなのだろう。今回の研修旅行が、彼等にとって将来へのステップとなってくれることを期待した。
旅行と言っても研修なので、レポートを提出させることにした。最初の二人は女子社員でしたから、提出するのも早かった。しかし、次に参加した二人は男子社員で、文章が上手く書けないと言う理由で提出が遅かったので、私は、
「貴方たちは、遊びに行ったわけではありませんよ、この旅行も仕事なのだから次回の給料から費用を差し引きましょう」
と言った。この言葉は、彼等にとって大変痛かったようで、
「ママ、明日は必ず書きますから給料から差し引かないでください。お願いします」
と必死の言葉が返って来た。冗談交じりに言った言葉だったが、彼等は「お金」という言葉に敏感なので、冗談とは思わなかったようだ。
社員たちは、この旅行で「三亜市」を中心に見学をした。三亜市は、このホテルから約1時間半の所にある観光地だが、海南島の観光地としては一番の観光地で、土産品たくさんある。社員たちの参加したツアーには、大陸の観光客が多かったようだ。将徳理も客室部主任としてこのツアーに参加をさせた。彼は、話し上手で調子が良い性格なので、一緒に参加をした大陸人たちに自分の名刺を渡していたという。このツアーを計画した旅行社の添乗員が、そのことを笑って報告をしてくれたが、彼なりに一所懸命だったのかもしれない。
この旅行がきっかけで各部所の責任者たちは、以前に比べて部下の教育にも熱が入ってきたように感じた。そして、宿泊客から、
「このホテルは小さいけれど、なぜか落ち着けるわね。社員は三亜の五星のホテルよりも接客態度が良いので感心しています」
と度々言われるようになった。これは最高に嬉しい言葉なので、言われる度に鼻が高くなる私だった。この二年半は苦しい事もたくさんあったが、結果として私は自分のホテル管理に自信が持てるようになった。
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