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note時代のブログの位置づけについて

年末は30日と31日の2日を使って、Lifehacking.jp のブログテーマを変更していました。その作業が一通り終わったので、今度は2500ほどある記事の厳選に入ります。

歴史的な意味合いが強い記事については残すつもりですが、すでに存在しないアプリのいまでは意味のないテクニックについての記事などは、基本的に非公開にしていこうかと思っています。

こうしたことを始めたのも、2019年のあいだずっと気になっていたnoteとブログの役割の切り分けという問題があるからです。

フローとストックの置き場所をゆるやかに変えてゆく

これはあくまで自分のように2005年頃からの10-15年分のコンテンツを抱えていて、いまもアクティブに発信をしているひとの場合に当てはまる悩みだと思うのですが、2018年にも書いた「どこに書けばいいのか問題」としてのフロー vs ストックの話題がいまも着地していないわけです。

あえて断定調で書くなら、もう「ブログを読んでいる人」は皆無で、多くの人はスマートフォンに手を伸ばしたときになにをしているかというとタイムラインを消費しています。

それがTwitterであれ、Facebookであれ、TikTok、Instagram、YouTubeのおすすめ欄、なんであっても構いません。私たちはフォロー関係のなかにゆるやかに落とされる情報をタイムラインという形で消費していて、その延長線上にnoteやブログといったものは存在します。

図でまとめるとこのようになります。

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もちろんこの描像に対する例外はありますが、大きな流れでみると「いつも見ている画面」はタイムラインであり、そこからリンクをタップする形で、140字やサムネイル表示で消費しきれない文章や動画や音声メディアを消費することが多くなっています。

いわんや、ブログのRSSにはりついて情報をまっているというのは例外として扱われるほどレアケースになっています。

2019年はこの流れにnoteの躍進という形でさらに進化が見られた年でした。文字コンテンツだけでいうなら、noteが自分自身もタイムラインであるためにブログよりもむしろツイッター側に近いところで成長していたのです。

タイムラインからの距離は同じ1タップ先であるにも関わらず、なんとなくタイムラインとブログの距離は離れていき、noteとタイムラインは寄り添っているような感覚、どれだけの人が共感してくれるでしょうか?

noteは「タピオカミルクティー」について語る場所

こうなると、ブログの位置づけはさらに時間から離れた、ストックの中のストック、時間をかけて手順を見なければいけない場所、あるいはGoogleによって検索で発見してくれるひとのための場所という性格が強くなっていきます。

逆にnoteのような存在はタイムラインを補完する場所として活用することになります。

とても雑なまとめ方をすると、たとえば流行していて語られるべきものとしての「タピオカミルクティー」があったとして:

・「いま飲んでいる」と投稿するのがタイムライン
・「タピオカミルクティー」について書くのがnote
・「タピオカミルクティー」なるものがあったと書くのがブログ

のようになっていく傾向があります。もちろんすべてのものに例外があるので、おおまかな傾向、つまりは第一主成分としての見方ですが。

そういうわけもあって、2019年の一年間を通してもほとんどアクセスされていないような、ブログのなかに蓄積していてあまりストックとして役に立っていない、むしろ時間が経過することでノイズとなっているものについては整理し、時間がたっても意味がある記事についてタグとカテゴリで串刺しできるようにしておくほうがいいだろうと思ったわけです。

いつものように私が頭のなかで考えたことですので、間違っているかもしれませんが、2020年はこうした予感から始めてみて、noteの活用の仕方とブログ記事の色合いをデザインしてみようと思っています。

本当はこの3倍の長さで語るべき内容ですが、ここはnoteですのでまた機会があれば!



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