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「知的生活の設計」(堀 正岳・KADOKAWA) 1章全文公開

ほりまさたけ

ベストセラーになった「ライフハック大全」に続く本として上梓したのがこちら「知的生活の設計」です。ライフハックが目の前の5分を楽にすることに注目するのなら、知的生活とは10年後の人生を思い描くことです。

ただ自己啓発的に無双するのではなく、知的に、戦略的に、情報の物量と時間とを秤にかけながら好奇心を武器として世界を見つめたい。そんな人に送る本です。以下に「はじめに」から「1章」を公開しますので、興味がわいたかたはぜひお手にとってみてください。

Enjoy!

はじめに ー あなたの「知的生活」を設計しよう

みなさんは1年後、3年後、5年後……あるいは10年後に、どのような人生を送っているでしょうか?

どのような知識や体験を積み、なにを頼りにして生きているかも気になると思いますし、もっと漠然と、後悔のない充実した生き方ができているかどうかが気になる、という人もいるでしょう。

将来を見通せる人はどこにもいません。ですからビジネス書やハウツー本では、将来への不安や不確実さを、即効性のあるテクニックで打ち消すことを謳うものが数多く存在します。

ある本は仕事はプレゼン力や段取りで決まると断言し、別の本は人生が決断力やクリエイティビティで決まると説き、それぞれにそれなりの説得力があります。しかしそうした瞬発力のテクニックではなく、未来を望む方向に設計するためのヒントはなかなか存在しません。

千里の道も一歩からという格言でいうなら、最初の一歩についての本はありふれているのに、数百里先を目指すためにどうすればいいのかという視点が欠けていることが多いのです。

不確実な世界でいかに未来を、人生を設計すればいいのか。その鍵となるのが「知的生活」を「設計」するという考え方です。

ライフハックから知的生活へ

前著『ライフハック大全』で、私は「人生をラクにする250の習慣」をテーマとして、すぐに実践することが可能で、回数を繰り返すことでやがて大きな変化が生まれるテクニックを紹介しました。

『ライフハック大全』が「5分で人生を変える」ことについてまとめた本であるのに対して、本書はより長期的に「10年後を目指して今できること」を中心にまとめています。

その一つ目の鍵が「知的生活」です。

知的生活とは、SECTION01で説明する通り、私たちの情報との向き合い方です。それは本を読むことでも、映画を観ることでも、趣味を追究することでもかまいません。そこに新しい情報の積み上げがあるならば、それは「知的生活」なのです。

1冊の本や情報との出会いを楽しみながら、それが積み上がることで生まれる“方向性”について意識的であることによって、私たちはふだんの生活を単なる「情報の消費の繰り返し」ではない、「成長する旅路」に変えることができます。

もう一つの鍵は「設計」という考え方です。

週に1冊新しい本を読む生活と、2冊読む生活は、短期的にみるとそれほど大きな違いはなさそうに見えます。しかしそれが3年、5年と続けば、大きな変化が生まれます。

将来の目標に向かってどれだけのペースで情報を集め、本棚や書斎はどれだけのスペースを確保すればいいのか。そうした日々の知的生活を維持するための日常の設計という視点が重要になるのです。

本書では、長い目でみた人生の豊かさを生み出す知的生活のために、どのような環境づくりをすればいいのかについて、知的生活のテーマ選び、パーソナルスペースとしての書斎づくり、情報収集や発信のテクニック、そして知的な生活を維持するファイナンスの話題にまで立ち入って解説しています。

ライフハックで“初速”を与えた人生に、“中長期的な軌道”を与えるのが、本書で目指す「知的生活」の「設計」なのです。

10年後へのマニフェスト

私たちは日に日により不透明になってゆく、頼りになる地図のない世界を生きています。今日を生きるのに必死で、10年後のことに考えをめぐらせる余裕がないという人も多いでしょう。

しかしそうしたとき、最終的にあてになるのは外から与えられる見せかけの答えではなく、私たちの内側から生まれる好奇心や情熱です。知的生活を設計するのは、そうした好奇心や情熱によって今を楽しみながら、将来に向かって知を貯金するという考え方です。

本書は、「自分自身の興味や発見を積み上げることでやがて未来がひらけるだろう」という確信に向けたマニフェストでもあるのです。

本書のテクニックや考え方を通して、みなさん一人ひとりの興味や情熱が、やがて豊かな知的生活へと結実することを祈っています。

Strategy 01:知的生活とはなにか

この本は、あなたの人生を大きく変えることを目標に書かれています。しかしそれは、「仕事の能率を10倍変える生産性の秘密」だとか、「考え方を変えたら人生が変わった!」などといった、即効性をうたった小手先の方法についてではありません。

むしろこの本は、あなたがいつも興味をもって惹きつけられていることや、気づいたらどうしても開かずにはいられない本や、チェックせずにはいられない趣味といったあなたのパッション = 情熱を、どのようにしたら未来につなげていけるかについて紹介します。

日々の趣味を一過性の楽しみで終わらせるのではなく、将来にわたってあなた自身を支えるライフワークに成長させること。生活のなかで知識や経験を磨くことで、仕事においても応用できる発想力や洞察を蓄えること。そうして積み重ねた自分自身の個性を武器に、人生を長期的に切り開いてゆくこと。それが本書の目指す目標です。

そのヒントになるのが、あなたの日常を「知的生活」と捉えるという視点です。

知的生活というと、なんだかアカデミックで高尚な考えを振り回すことを要求される、スノッブなものに聞こえるかもしれません。おそらくこの「知的」という言葉が、馴染みのない人にはよくない作用をもっていて、まるでそれを実践していない人は「知的ではない」と決めつけているかのような、そんな印象を与えるのでしょう。

しかし実際には、現代の情報社会でおよそ「知的生活」的なものにまったく触れずに生きている人はほとんどいません。あなたは本や漫画を読まれるでしょうか? アニメを楽しんだり、音楽や映画を楽しんだりするでしょうか? 趣味のために時折財布に痛い出費をしたり、遠くまで旅をしたりするでしょうか?

そのすべてが「知的生活」の芽を含んでいるといっていいのです。

「知的生活」とは情報との向き合い方

「知的生活」という言葉を日本に広めた書籍として、渡部昇一の『知的生活の方法』(講談社)があります。19世紀の美術批評家P.G.ハマトンの『知的生活』(講談社)に大きなインスピレーションを受けたこの本は、「本を読んだり物を書いたりする時間が生活の中に大きな比重を占める人たち」に向けて個人的なライブラリーの構築と、情報整理の方法を紹介して、ベストセラーとなりました。

同様に、研究や知的活動を仕事としている人に向けて書かれた梅棹忠夫の『知的生産の技術』(岩波書店)は、知的生産を「人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産にむけられているような場合」と定義し、そうした活動を助けるノートの取り方、情報カードの使い方、情報の規格化と整理法といった話題を紹介して、現在に至るまで多くの読者の支持を集めています。

渡部氏は英語学を専攻とする立場で、梅棹氏はフィールドワークを基本とする民族学・比較文明論の立場で、それぞれ自身が経験してきた知的な生き方についてまとめているといっていいでしょう。

しかし注目したいのは、二人は、自分が学者だからこうした知的生活や知的生産に意味があるとは言っていない点です。

むしろ一線の研究者として膨大な情報に触れ、それを自身のなかで整理して新しい研究を生み出すために必要だった工夫や、手元の道具について、つまりは「知的な生活のありかた」について紹介しているのです。それならば、その対象となるのは必ずしも学問的なものでなくても、自分を知的に刺激する情報ならなんでもよいことになります。

知的というのは「頭がいい」ということではありませんし、勉強ができる、学問的であるといったことが必須というわけでもありません。

周囲にあふれている情報との向き合い方が知的であるということなのです。

現代の知的生活

ひるがえって、私たちのいまの生活をみてみましょう。渡部氏は1976年の書籍の冒頭ですでに「現代という情報洪水」という言葉を使っていますが、それはいまの情報社会の爆発的に発展した状況に比べれば“せせらぎ”といっていいほどです。

かつてに比べて書籍やCD・DVDなどといった情報メディアの点数は何倍にも増えていますし、メディアの多様性もスマートフォンなどのデバイスがコモディティ化したことを背景に比較にならないほどに発達しています。そしてなによりもインターネットの存在が、私たちが日常的に触れなければいけない情報量を膨大なものにしています。

量だけでなく、情報は質的にも変化しました。ツイッターのようなリアルタイムで切れ目のない情報や、SNSなどのコミュニケーションツールを通して、友情や恋愛といった人間関係さえオンラインで表現できるようになっていることは、情報との向き合い方が一部の人だけでなく、すべての人の問題に変わったことを意味しています。

いまや「本を読むことが中心の人」だけでなく、動画を見る人の知的生活、ネットをウォッチする人の知的生活、絵を描いたりプラモデルを作ったりする人の知的生活といったように、あらゆる情報との触れあいのなかに知的生活が生まれているといっていいのです。

そこで私は、ここで梅棹氏の知的生産の定義を引きつつ、知的生活を次のように言い換えたいと思います。

すなわち、知的生活とは、新しい情報との出会いと刺激が単なる消費にとどまらず、新しい知的生産につながっている場合だと考えるのです。

そこには日常をより深く楽しむヒントがあります。知的刺激を仕事に役立てるための指針があります。ありきたりの情報に触れてありきたりの結論しか出せない状態に甘んじるのではなく、自分だけが感じた体験を世界に発信する興奮があります。

どこにでもある情報との触れあいを、あなた自身のオリジナルな体験としてスケールアップさせるもの。それが知的生活なのです。

Strategy 02:あなたの毎日を変える 「知的積み上げ」の法則

本を読むことだけではなく、漫画を読むことや、映画を観ることも、ネットウォッチも「知的生活」になるならば、そうしたコンテンツを好きなように気ままに消費していればよいのかというと、そういうわけでもありません。

梅棹氏はなんらかの新しい情報が生まれることが知的生産には必須であるとして、それ以外の活動は、たとえば将棋を指すことや楽器を演奏すること、そして楽しみのために本を読むのも、「知的消費」であると明確に区別をしています。それが良くないことだという意味ではなく、情報を生み出す活動とそうでない活動があることを意識するために、こうした言葉を使ったのです。

「新しい情報が生まれる」というのは、どういう状況のことでしょうか?

たとえば本を読めば感想が生まれます。心を動かす本を読めば、自分でも書いてみたくなるかもしれません。あなたが情報に触れた結果、以前は存在しなかった新しい言葉や表現が生まれることも、広い意味でみた場合には「新しい情報」といえます。

しかしもう一種類の「新しい情報」があります。知的な「積み上げ」を続けることで、それまで見えていなかったつながりを見出してゆくという楽しみです。

「王は死んだ! 王様万歳!」

まだ私が大学の学生だった頃、とある有名サッカー選手の引退とその後について書かれた記事の中に「国王は死んだ。国王万歳!」というフレーズが副題に入っているものがありました。

たびたび見ることがあったこの奇妙な英語の定型句について興味をもった私は、それが中世フランスでの王権の移行に際して慣例的に叫ばれる言葉だということや、内戦を避けるために王が埋葬されるやいなや次の国王の長寿を祈ることで王権の連続性を保つ意味があるなどといった歴史について学び、その場はそれで満足しました。

面白いのはその後です。この言葉の奇妙さは私をどこかでいつも惹きつけていたらしく、その後中世における王権の扱いについて論じたカントーロヴィチの『王の二つの身体』(筑摩書房)を読みふけったり、この表現を使った記事を収集したりといったことを、気づけば15年ほぼ断続的に続けています。

たとえば2009年の第51回グラミー賞の最優秀楽曲賞に輝いたコールドプレイの「Viva la Vida」の歌詞にもこの語句は登場しましたし、人気の車がモデルチェンジしたり、新しい人気のプログラミング言語が登場したりする際に使われることもあります。

最近だと、映画『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』のなかで「国王」の部分をもじった形でこの言葉が登場しているのを耳にしたときは、私は劇場の暗闇のなかでニヤリとして、こっそりと手のひらにそれをメモしたのでした。

私はなにも学者のようにこの言葉を研究するつもりで集めはじめたわけではありません。響きが面白く、なんとなく心に訴えかけるものがあったので、耳にするたびにメモし、背景を少しだけ調べたうえで忘れる、そんなことを繰り返していたにすぎません。

しかし時間とともにこうした引っ掛かりが積み上げられてゆくうちに、どのようなシーンでこの言葉が使われるか、どんな背景をもった人がどんな印象を残すために使うのかといったことが、隠れたメッセージをもっているかのようにつながりをもって見えるようになってきました。

いまでは過去15年にわたる様々な用法やその変遷が私の手元に蓄積してありますので、いつか私はこの表現について一冊の本とまではいかずとも、エッセイの一つか小論くらいならば書けるのではないかと考えています。

このように「気になって仕方がない言葉やフレーズ」「違和感を覚えさせるなにかとの出会い」を記録し、積み上げることで、やがてそうした情報との一期一会はネットワークのようにつながりはじめます。

一回の読書や一回の体験をそのままで終わらせない、こうした「知的積み上げ」こそが、日常を「知的消費」で終わらせないための鍵となるわけです。

ハイコンテクストな時代を楽しむ

私たちの周囲に情報が膨大にあるということは、まだ発見されていないつながりや、指摘されたことがない解釈が無数にあるということでもあります。

たとえば最近だと人気漫画家が有名なテレビのワンシーンや、映画ポスター、あるいは名画の構図をさりげなくパロディ化して作品に組み込み、それに気づいたファンが話題にするといったこともありました。説明されなくても作品を楽しむことはできますが、それを知れば私たちはさらに深く作品のなかに入っていけるような仕掛けが意図的にも、意図しない形でもあふれているのがいまの時代です。

作品とその受容をコミュニケーションとして捉えるなら、これは文化人類学者のエドワード.T.ホールが「ハイコンテクスト文化」と呼んだ状態に近いということがわかります。

「ハイコンテクスト」であるとは、事実の認識や前提としている価値観といったものが、情報を発信する人と、それを受け取る人のあいだで高いレベルで共有されているために、「みなまで言わずともなにがしかの情報が伝わる」、そんな状態のことを指しています。わかりやすい言葉で表現するなら「ネタがネタであるとわかっている状態」といってもいいでしょう。

しかし世界はわかりやすい「ネタ」だけでできあがっているわけではありません。ある場所で隠されているものは、別の場所で明かされていて、それを見つけるためには長年の経験から得た知的積み上げを鍵にしなければいけないことがよくあるのです。

二度出会ったらメモをする、三度出会ったら記録しはじめる

そこで、そうした鍵を集めはじめるために今日から実践できる習慣として「二度出会ったらメモをする。三度出会ったものは記録しはじめる」をおすすめします。

たとえば「王は死んだ! 王様万歳!」の例で言うならば、一度目にその表現を目にして気になって辞書で引いたくらいでは、まだそれが自分にとって特別な情報だということには気づかないでしょう。「初めて出会う情報」はいくらでもあるからです。

しかし二度目に出会って、一度目と同じような違和感をもったり興味を搔き立てられたならば、その情報や違和感との出会いをメモしはじめましょう。やがてそれが三度目になれば、それはもう立派な知的積み上げの始まりです。

二度目と三度目の出会いはすぐであることもあれば、何年も間隔が開いていることもあります。しかし、私たちの好奇心の記憶は信頼がおけます。

何年経っていても「あ、これはあのときの」と興味を搔き立てられたならば、そこには知的積み上げのチャンスがあるのです。

Strategy 03:知的生活は、なんの役に立つのか?

ここまでの説明を読んで「そんなつながりが見えたからといって、マニアやオタクが喜ぶだけでは?」「知的生活には、どんなメリットがあるの?」という疑問が浮かんだかもしれません。

なるほど知的生活は人生を豊かにするのには役立ちそうに見えるものの、それに注目したからといってビジネスマンとしての能力アップに役立つのか、学生にとって就職に役立つのか、収入が増えたり、名誉につながったりといった、目に見えるメリットがあるのかは気になるところかもしれません。

あるいはこうしたことを書くと逆に「メリットを考えるなど、とんでもない」「知的生活はそれ自体として尊いものであって、なにかに役立つと考えるのは良くないことだ」という反論をいただく可能性もあるでしょう。

これについては互いに絡まった二つの答えがあるように思われます。

知的生活にはメリットがある

昨今、ビジネス書には「教養」をテーマとしたものが数多くあります。網羅的に教養を身につけるための書籍もあれば、西洋美術に絞ったもの、哲学に絞ったものなど様々です。

そうした書籍がすぐに深い教養や実社会の利益につながるかは断定できませんが、知識を身につけ、思考力を養い、自分の中で情報を咀嚼して他人に伝えることができる能力にはもちろん高い価値があります。まずは学び、そして深めてゆくためのきっかけを生み出すためにも、こうした本には意味はあるといえます。

また、欧米の実業家やビジネスリーダーには忙しいなかでも膨大な本を読んでいる人が数多くいます。その傾向があまりに強いために「読書量と年収は比例する」などとまことしやかに主張する人もいるほどです。そうした意味では、知的生活にはわかりやすいメリットがあるようにみえます。

しかしここには落とし穴があります。情報や知識それ自体は多ければ多いほど良いものと思われがちですが、情報それ自体はすでに検索可能なコモディティ(同質的、普遍的なもの)と化しているため、情報量そのものよりも、むしろ、適切な場面で適切な情報を引き出すことができる「情報の編集能力」にこそ価値がある̶という点です。ここに、知的生活による積み上げを実践する意味、そしてメリットがあるといえます。

情報の編集能力とは、日常的な場面ならば、その場に合わせた話題を思いつくということであったり、与えられた仕事のなかでクリエイティビティを発揮するための発想力であったりします。そして究極的には、あなたにしかできない情報のまとめ方があるということを意味しています。

マイクロソフト創業者でビル&メリンダ・ゲイツ財団会長のビル・ゲイツ氏は毎年夏の読書リストを公開することで知られていますが、2018年にはハンス・ロスリング氏の統計的な世界の見方についての書籍『Factfulness』や、ウォルター・アイザックソンの『レオナルド・ダ・ヴィンチ』といった教養書を挙げるとともに、ジョージ・ソーンダーズの『リンカーンとさまよえる霊魂たち』を挙げるといったように、情報の深みと感情の深みを兼ね備えた選書を行っています。

似たような夏の選書は元アメリカ大統領のバラク・オバマ氏も行っており、彼はタラ・ウェストオーバーの『Educated』や、V.S.ナイポールの『ビスワス氏の家』を選んでいます。

面白いのは、両者の選書はベストセラーや話題書に触れつつも、どこかに二人の個性がにじみ出ているところです。ビル・ゲイツ氏の選書にはテクノロジーに関連するものと彼の慈善事業に関連したものがみられますし、バラク・オバマ氏の選書にはアメリカの運命を予感させる本や、人種や文化の多様性について考えさせる本が必ず選ばれています。選書自体が、彼らの個性になっているのです。

「他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる」と村上春樹が『ノルウェイの森』で書いたように、私たちの知的生活においても、触れる情報を私たちの個性によって編集して、他人と違うものを追うほうが、より利用しやすく、大きなメリットがあるといえます。

そして知的生活の積み上げを行うことは、そうした個性につながる近道でもあります。そういう意味で、知的生活にはメリットがあるのです。

知的生活にはわかりやすいメリットはない

しかしこの近道は、遠回りでもあります。知的な積み上げの多くは本や、音楽や、動画といった情報との偶然の出会いから生まれますし、私の「王は死んだ!」の慣用句の探求がそうであったように、自己満足の部分も多く存在します。

この本を読めば、この情報を集めれば、こうしたことを実践すればメリットがあると断言できるようなものは、およそありきたりなものが多いですし、それこそ継続して実践するのが楽しくない「作業」の性格が強くなります。これでは、楽しい知的生活にはつながりません。

ですので、私がおすすめしたいのは、初めからわかりやすいメリットや教養を追い求めて知的生活の積み上げを始めるよりも、むしろ知らずにはいられない趣味や雑学、興味を引くテーマといったものに集中することで、長い目でみて着実に価値を生み出してゆくことです。

これは近道どころか、確実に遠回りです。しかし遠回りでないような知識や経験はたいてい誰かがすでに思いついていますし、そうしたものはあなたの個性として輝きません。逆に遠回りをして、あなたのなかにしか存在しない長い時間の積み上げのなかにこそ、複製不可能な価値が生まれます。

知的生活にわかりやすいメリットはなく、だからこそ良いともいえます。遠回りが最も近道になる生き方ともいえるのです。

そこで本書で追究する「知的積み上げ」は長期間にわたって楽しいからこそ、気になって仕方がないからこそ続けられるものに限定して解説を行います。

そうした積み上げが、結果的に注目や、収入といった形でメリットをもたらすこともあります。オリジナリティのある地道な積み上げはほかの人が放っておかないからです。しかしすべての積み上げに、こうしたわかりやすいメリットがあるとは限りません。

人生を一つの物語に

60年にわたって書いた日記を公開したことで有名な著作家アナイス・ニンはこのような言葉を残しています。「すべての人に共通した森羅万象の意味なんてない。私たちは自分たちの人生に個別の意味を、個別のあらすじを与えるのだ。一人に一つの小説、一つの本であるかのように」

本書でこれから「知的生活の積み上げ」という言葉が登場するたびに、それは誰かが褒めてくれるから学ぶものでも、わかりやすい収益があるから追究するものでもなく、あなたがあなた自身であり、ほかの誰でもないことを思い出させる情報との触れあいだということを意識してみてください。

すぐにはそこには到達できないかもしれません。しかし長い目でみて、それを探す以上の近道はないのです。

Strategy 04:まだ見ぬ誰かへの贈り物としての「情報発信」

ここまで、「知的生活とは長い目で“知的な積み上げ”を楽しむこと」という話をしてきましたが、知的生活のもう一つの側面として、見出したつながりや、新しく生まれた情報を誰かに伝える「情報発信」があります。

『知的生産の技術』や『知的生活の方法』が書かれた当時は、まだ誰もがアクセスすることができるインターネットが存在していなかったため、「情報発信」については、主に学者や作家が論文や著作を発表することを念頭においた解説がされていました。

ところがいまは、誰もがパソコンやスマートフォンでいつでも、どこからでも発信を行うことができる時代です。ツイッターで意見を表明したり、議論を交わしたり、動画サイトで日常の様子を公開するなどといったことが、誰でも可能になったのです。

問題は、そうした情報発信が「知的積み上げを背景にした情報発信」であるかです。内容が知的であるかどうかではありません。積み上げの結果生まれた新しい情報を、世界にフィードバックさせているかどうかが重要になるのです。

初めての「バズる」体験がもたらしたひらめき

私がウェブにおける情報発信の本質について気づかされた体験があります。

まだブログというものが誕生して間もない頃、私はその仕組みに興味がわいて、大学の片隅で自分が管理していたパソコンにウェブサーバーと、Movable Typeというブログエンジンをインストールして運用していたことがありました。

ブログを立ち上げたはよいものの、なにを書いたものかと思った私は、当時アメリカで話題になっていた仕事術Getting Things Done(GTD)について日本には詳細な情報がないことに気づき、それについて自分なりに調べた内容を記事にしました。

当時はすでに、ホームページを開設してウェブに文章を書くということは一般的になっていましたので、私も誰がページにアクセスしたのかは自前のアクセスカウンタを作って調べる程度には気になっていました。

ある日、ふだんはせいぜい1日に10回程度のアクセスしかなかった私のブログに、急に1万回ものアクセスがやってくるという出来事がありました。アクセスされているのは、例のGTDの記事です。

どうして急にこんなことが起こったのかを調べたところ、とある有名なブログが私の記事を発見してリンクし、その読者が大挙して読みに来ているということがわかりました。

記事がSNSで発見されて「バズる」というのはいまではありふれた光景ですが、当時の私はこの初めての体験に大きく揺さぶられました。そして一瞬で、その後のすべてを決定づけるひらめきがいくつも見えてきたのです。

情報発信は贈り物である

最初のひらめきは、どんな情報がバズるのか、あらかじめ知ることは困難だという点です。

あらかじめわかっているならば誰もがそれについて発信するわけですから、書き手はその記事に人気が出るかどうかの確信もないまま、先に情報をウェブ上に置くことが必要なのです。

また、ウェブにおけるコンテンツの多くは無料で、読者を得る機会という意味では公平性があります。だからこそギブ&テイクを考えすぎて出し惜しみをしていては、他の出し惜しみをしない人に機会を奪われてしまいます。情報発信は誰に求められずともギブから始めることだということが理解できたわけです。

もう一つのひらめきは、情報は誰かに発見されることによって価値が生まれるという点でした。サーバー上に寂しく存在するデータのままではそれは存在しないも同然で、誰かがそれを発見し、他の誰かにシェアすることによって情報の価値は後付けで決まってゆくという力学が、実感として感じられたのです。

これがもし学会誌や、由緒ある雑誌に掲載されたということならば、その名声の一部分を引き受けることも可能ですが、ウェブにおいてはたとえ有名サイトに掲載された記事でも、その記事単体がシェアされ、それ自体として評価されることが多くなります。逆に、たった一つの記事から世界が変わった事例も、数多く存在するわけです。

まだツイッターもiPhoneも誕生する前に、この地平が見えてしまったことは私のその後の生き方を大きく変えてしまいました。

情報発信の「民主化」を乗りこなす

これらのひらめきをまとめると「知らない誰かへの贈り物のように情報発信をすること」という指針がみえてきます。

そのへんに転がっているありきたりなものを贈られても、それを押し付けられた側は気まずい雰囲気になるだけです。

むしろ、あなたの個人的な「知的な積み上げ」が生み出した新しい情報を、あなただけに見えている世界を、親しい人への手紙がそうであるように、求められる前に先に発信することによって情報発信は贈り物になります。

これは実際的な利点のある戦略でもあります。ジャーナリストのクレイ・シャーキーは『みんな集まれ! ネットワークが世界を動かす』(筑摩書房)のなかで、従来の「作家」や「ジャーナリスト」といった肩書きが、出版できる人や取材対象へのアクセスが許された人々が少数であるという前提の上に成り立っているかりそめのものであることを指摘しています。

出版の仕組みがブログやソーシャルメディアといった形で普遍化し、取材方法が多様化すれば、誰にでも作家やジャーナリスト的な役割を演ずることが可能になり、その情報の価値は内容によって評価されることになるわけです。このように情報の発信に対する参入障壁が下がっている状態を、情報や出版の「民主化」(democratization)などと言ったりします。

この状況は大学の研究室に在籍しているわけでも、著名な出版社から本や作品を発表しているわけではない、私たち一個人に大きなチャンスを与えてくれます。自分の発見や考えを発信することを通して、たった一人の知的生活の成果を世に問うことが可能になっているのです。

しかしまずは、贈り物のように、見返りを期待することなくギブするところから始めなければいけません。

贈り物を受け取った側はどのような反応をするでしょうか? どのようにしてそれは受け止められるでしょうか? それは前もってはわかりません。

しかしそれが運良く誰かのもとに新たな刺激として伝わるなら、知的な積み上げは、贈り物のような発信を通して一つの閉じた円環のようになり、どこかの誰かの、次の積み上げに役立っていきます。

また、その発信に対する応答が結果的に想像もしなかった場所から返ってきてあなたを驚かせることもあるでしょう。

これほど痛快なことも、なかなかないとは思いませんか。

Strategy 05:知的生活を「設計」するためのフレームワーク

ここまでの内容をまとめると、知的生活とは情報から受ける刺激を長い期間にわたって積み上げ、それを発信してゆくという生き方のことを指す、ということです。

しかしこうした明確なゴールラインのない生き方をそれだけのために何年にもわたって実践するには、確固たる信念やマニアックな情熱が必要です。それは並大抵のことではありません。

また、どのようにしたら知的生活を維持できるのかという問題もあります。ありきたりではない情報のインプットのために、どれだけの本や映画や様々な作品に目を通せばいいのでしょうか? どれだけの時間を毎日費やし、どれだけの資金を確保しておく必要があるのでしょう?

たとえば3年後、5年後、あるいは10年後に満足な知的生活の成果を上げるために、今日できることはなにか? という視点が必要になります。

そこで本書は、こうした知的生活を「設計」するという視点で、私たちの時間の使い方、書斎の構築の仕方、情報収集と情報発信の仕方、そしてお金の使い方についても見ていきたいと思います。

知的生活を設計するための5つのポイント

具体的に知的生活を設計するために必要なピースを考えていきましょう。これは「生活のどの側面を設計すれば、より満足な知的生活につながるのか」を考えるフレームワークといってもいいでしょう。

① 自分の「積み上げ」を設計する
1日たった15分の活動でも10年で考えれば約920時間の蓄積になりますし、週に1度しかできないことであっても10年で考えれば520回の実践になっています。

なんとなく行っていた趣味や好きな活動を、単なる一過性の知的消費ではなく、3年、5年、10年といったスケールで蓄積するためのチャンスと捉えることで、今日の楽しさが未来につながる可能性について考えてみましょう。

② パーソナルスペースを設計する
知的生活の積み上げを行うためのプラットフォームとして重要なのが、書斎のようなパーソナルスペースです。多くの知的生活は膨大な書籍や、音楽や映画といったコンテンツから受ける刺激に支えられますが、それを安心して受け取り、蓄積することができる個人的なスペースとしての「書斎」を維持することが重要です。

しかしこれは、必ずしも大作家のような巨大な部屋や書斎が必要だということではありません。

安心して知的生活を営める現実のスペースと、実際の本棚であれ、クラウド上のデータストレージであれ、情報のアーカイブを許容する場所があれば事足りる場合もあります。

自分の生活と資金に合わせて、こうしたパーソナルスペースを長い目でみて設計し、成長させてゆくという視点が必要です。

③ 発信の場所を設計する
あなたの知的生活から生まれた新しい情報を、どこに、どのような形で発信するのかを設計する必要があります。

気づいたアイデアや情報のつながりをメモし、ブログなどに投稿しておくだけで十分な場合もありますが、もっと意識的に得られた知見を広めるために自分でメディアを運営する道だってあるでしょう。

発信をする人のもとには、さらに良質な情報が集まる傾向があります。蓄積と発信、インプットとアウトプットのバランスを考えることは、より豊かな知的生活を楽しむ鍵になります。

④ 知的ファイナンスを設計する
必要となるすべての書籍やすべての作品を買うことができれば幸せですが、そういうわけにもいかないことが大半です。知的な積み上げは即座にメリットがあったり、収入につながったりするとは限りませんので、長い目でみたファイナンスについても意識しておくことが必要です。ある程度の情報のインプットを蓄積してきたならば、それを独自の視点で発信することで活動の助けとなるような収入を得る道もあります。

収入を得るための知的生活ではなく、自分の知的生活が自らを助けるような、長い目でみて維持しやすい経済的な視点もどこかにもっておくとよいでしょう。

⑤ 小さなライフワークを作る
ライフワークは一つである必要はありません。私が「国王は死んだ!」の使用例を集めているように、心の琴線に触れた情報を、感じた違和感を、長い目で集めつづける小さなライフワークをたくさんもちましょう。

そうしたライフワークのすべてが大きな結果を生み出すとは限りませんが、たとえ一つでも10年の積み上げが実を結ぶことがあるなら、

それが結果的にあなたの人生の大きなライフワークとして残るかもしれません。

期待しながら生きること

本書では「長い目で」あるいは「結果的に」という言葉がここまでも、そしてこれ以降も数多く使われます。

それは著者として、知的生活がすぐになにかのメリットをもたらすものでもなければ、なんらかのリターンを保証するものでもないことを正直に伝えたいと思っているからです。

しかしそれは、どんな仕事術や、いわゆる自己啓発的な書籍でも同様にいえることです。むしろここでいう「知的生活の設計」は、いま楽しいことを積み上げ、未来により大きな楽しみが待っていることを期待して継続する生き方という意味で、実に手堅い時間の投資の仕方だともいえます。

さあ、未来に期待しながら今日をより楽しむために、あなた自身の「知的生活の設計」を目指してみてください。

「知的生活の設計」は2月28日までKindle版が半額の810円でセール中ですので、ぜひこの機会にポチッとしてください。


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