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好きを仕事にして良いのか?

私は音楽が好きだ。一時期、それで飯を食おうと思って、バンドをやったり、曲を作ったり、音楽活動をしていた。

はたまた、私はテニスが好きだった。一時期、それで飯を食おうとインストラクターの仕事を手伝った。

しかし、音楽とテニスで飯を食うという夢は、叶わなかった。

今は何やっているかというと、企業の経理・総務といった、コーポレート部門のマネージャーをしている。コンプライアンスや内部統制遵守を浸透させ、不正なく透明性の高い経営実現のため、日々怪しい取引をリスク評価し、事業活動の支援を行っている。


こう見ると、全く畑違いのところに辿り着いている。
今はこのように、己の職種のミッションについて、息を吐くようにペラペラそれっぽいことを喋れる。それなりに、色々考えたつもりだ。
しかし、別に今の仕事は大好きではない。

仕事自体は充実している。
綺麗事というのは企業において一応必要で、法に抵触するギリギリのことをやってゼロサムゲームで荒稼ぎする時代はとうに終わっている。現代は、本当に持続可能な社会を目指さないと、企業としての生き残りが難しい時代になってる。
自分だけ良ければOK、はオワコンだ。

そうやって営業課や他部門に嫌な顔されつつ、空気を読まずにリスクを指摘するこの仕事は、自分に合っていると思う。一応、みなさん法の下に平等な一般市民のため、法令遵守の必要性は理解している。みんながその必要性を理解し、渋々やらざるを得ない方向性に仕向けるこの商売は、自分に合っている。

もう一度いうが、今の仕事は大好きではない。リスクなんて放置し、みんなで都合の良い現実だけ見て、仕事を遂げれたら申し分ない。だが、そうはいかないのが現実。
みんなに嫌われつつ、しかしリスクを評価するこの仕事にやり甲斐を感じている。


これは一体どういうことか。
結局のところ、優先順位で仕事を選んだというだけの話だ。
私にとっての優先順位は、健康に長生きするための生活をすることが最も重要度が高い。それを実現するためには、程々に収入を得て、程々にストレスを溜めず、程々に趣味の旅行に行くことが理に叶っているのだ。

もちろん、音楽やテニスで努力して飯を食う選択肢もあったのだろう。しかし私は、それよりも楽に飯を食う選択肢をした。音楽やテニスで飯を食うのは、正直嫌だった。

好きが仕事になると、嫌いになるからだ。

シンプルな結論だが、この結論を受け入れるのに30年ぐらい時間がかかった。
私は、何か特別な才能が合って、それは自分の好きなことを極めれば、何者かになれるだろうと本気で思った。武道館にも立てると思った。
だが、そんなのは嘘だった。というより、逃げた。逃げることを選んだ。

そして、企業のバックアップをする仕事にやりがいを感じている。そして、その決断をした自分がいる。
意外にも、好きなことを追い求めていた自分を、捨てたことに未練はない。自分に才能に見切りをつけて、無様に敗走したことにも未練はない。

なぜなら、今が充実しているからだ。


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