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一人一人に気づきの場を提供されている【ワビwabi 】〜トリートメントスペース〜の米山良子さん
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一人一人に気づきの場を提供されている【ワビwabi 】〜トリートメントスペース〜の米山良子さん

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乳がんの2度による発症を乗り越え、支えてくれた方への恩返しと出会った人への「橋渡し」をすべく活躍されている米山良子さんのお話を伺いました。

プロフィール
出身地:新潟県上越市
活動地域:三軒茶屋
現在の職業及び活動:セラピスト                   活動:ガンビアサポーター、子育てサロン支援
座右の銘:特になし。ただありのままを受け入れる努力をして、自分のココロに正直に精一杯やるだけ

記者:本日は、お時間を頂戴してありがとうございます。早速ですが、今の仕事を始められたきっかけをお伺いできますか?

米山さん(以下、米山 敬称略):元々、化粧品メーカーに長年勤めておりまして、退職した時に疲れ切っていたものですから、それで自分が癒す方にまわりたいと思いました。リフレクソロジーとかその時ちょうど始まった時代だったんですね。
なので、そのリフレクソロジーを習ったりしていたんですが、足裏だけではちょっと、も物足りないと思い、アロマの勉強もして、アロマセラピーのお仕事をしようと思い転職しました。
それで、アロマの技術を習得したりして、サロンの中でアロマを使ったボディケアとかを始めたんですね。今度は、アロマと一緒に和のカフェを融合させたいと思いお茶の勉強を始めました。
友人のお家に遊びに来たような感じのカフェができたらいいなと思いカフェのやり方をみたかったので、カフェに行きはじめたのですがその頃に乳がんがわかって。最初の治療中、うちの近くのサロンのアルバイトを行き始めたところだったんで、お仕事は続けさせてもらっていました。手術後はホルモン治療といろいろな自然治療法をしながら3年が経つ頃再発がわかりました
治療は手術、化学療法、再建手術まで2年ぐらいかかりましたその間も周りの人の理解と励ましに助けられてセラピストを続けさせてもらいました。その後に頼まれて、西麻布の方で一軒家のサロンに行って、その後、家でやるようになったんです。“ワビwabi”としてやってるのは、もう5年くらいですかね。西麻布をやめてからですから。

記者:乳がんの発覚はショックだったと思うのですが、どのような思いで乗り越えられたのですか?
米山:最初の乳がんがわかったのが、45歳ですかね。それで再発して、全摘になったのが、48歳。最初は動揺しましたよ。告知を受けた時というのは。最初、発見された時の病院の先生の言われ方が非常に頭にきたんですね。「まあ、みんなこんなもんです」みたいな。そこでそう言われたことがあって、ここではやりたくないと思ったんですね。あまりにも、その伝え方にしても、検査も杜撰でしたし、そしたら、サロンのオーナーに「すごいいい先生がいるから、そっちに行ってセカンドオピニオンしてもらいなさい」って紹介された先生がすごい先生だったんですよ。

最初に乳腺外科をつくったといわれる軍医をしてたという、すごいおじいちゃんだったんですよ。その先生のところに行ったら、「僕はそうは思わない。女の人はいくつになっても取っちゃだめなんだ」って言ったんですよ。
それで、その先生にお任せしようかなと思ったのは、そこにいた看護婦さんが、「先生は手術きれいにしてくれるから、頼みなさい」って一言。言われたんですね。その先生は抗がん剤も放射線も反対している人だったんです。
だったら、その先生に任せようと思って、お任せし部分切除で終わりました。

それで、その後再発し今度はここではできないと言って紹介状を出されました。紹介された病院で、今度は全摘っていうことになって。
その3年間で、抗がん剤もしない、放射線もしない、という選択はしても、不安はありますよね、西洋医学のやるべきことをやってない部分もありますから。その間は、民間療法をいっぱいやったんですよ。とにかく身体の免疫を高めるようなことを。いろんな情報も入ってきますから、自分で試してみて。それをやっていて3年経った時に再発したんですね。

紹介された先生が今度は、素晴らしい女性の先生だったから、もう任せるしかないなと思ったんで、「私はサロンをやってて、アロマとか施術をやるんで、細かく手を動かすこともそれから、大きく動かすことも手の可動域もせばまるのは困る」と言ったら「わかった。それを気を付けて細心の手術をする」と言ってくれたんです。
リンパに転移があったんで、リンパも取らなきゃいけないけど、そこのところはちゃんと理解して手術をしてくれたんですね。
1回目の手術のあとやれる事はすべてやってみてダメだったという思いもあり任せるしかない。そしたら、抗がん剤ももちろんやりますし、放射線もやりますし、全て覚悟を決めてやったんです。
2回目の発症だったので、命はないかもしれない、という不安はあったわけですよ。だけど、今みたいに普通に生活できるというところまでこれたは、抗がん剤を拒みおじいちゃん先生に診ていただいた3年間に自分自身の身体をいろいろメンテナスしていってたいうことが、抗がん剤に耐えるだけの身体がつくれたんですよね。抗がん剤にしろ、放射線にしろ、良い細胞全てがダメージを受けますから覚悟が決まるまで時間も必要でした。
それで、やるだけやって、がんが再発したんだからこれはもう任せるしかないと思った時に出会った先生が素晴らしい先生でした。

自分がトリートメントなど女性を相手にする仕事なので、寄り添っていけるだけの経験がそこでできましたし、全てはトリートメントを自分がしていくためには必要な経験だったと思えるようになったんですね。
病気がわかってから、いっぱいみんなにお世話になっているので、それをなんらかの形で恩返しできればと思っています。
この経験が自分のためにはよかったと思いますし、病気をする前より、今の生き方のほうがもっとちゃんとしているというか、前よりいいと思いますので、無駄じゃないんですよね、何にしても。
また、いろんな選択があると思うんですね。それまでの生活を見直すことをせず抗がん剤とかやっていたら、身体がもったいなかったと思いますよ。
出会いもすごい大切で理由があると思うし

何より自分の体験が人と寄り添って行く私の仕事には重要なことですから

記者:話を聞いていて、がんに向き合う姿勢もそうですし、闘病中でもお仕事を休まれないそのバイタリティや原動力は何だったのですか?

米山:何でしょうね。最初がんって言われた時は、真っ白になって歩いて帰ったのは覚えてるんです。そこから、自分がどうするかというのは、現実的には選択していくしかなかったわけですよ。ただ選択をしてきただけなんです。
目の前の「どうしたらいい」「どうしたらいい」を選択してきたんですよ。それだけのことで。別に先をみたりもせず、目の前にある事をこなしてきたという感じですかね。

記者:自分はこれ成し遂げるために生まれてきたんだ、絶対生きるんだ、というような思いがあったのですか?

米山:それはない。そんな風にあまり思ったこともないですよ。
別にいつ死んでもいいと思っていましたから。そんなに生に対して、執着はないですよ。
生かされたんだったら生かされただけの意味があるだろうから、自分は恩返ししないといけないな、というのは今生き方の根底にありますけどね。死んでておかしくないと思うんですよ。
たまたま父が亡くなったのが48歳だったんですね。それで、手術が終わって、私は49歳をむかえることができた。「生かされた」と思ったんですね。そしたら、自分がこの先どう生きるかと言ったらやっぱり、人は何かの役に立つんだろうと思うし、必要だから生かされた。

本当に助けられたと思いますよ。先生に出会えたこともそうですし、それを支えてくれた友達も両親もそうですし。
ただ、全て決めるのは自分だったんですよ。誰かに「どうしたらいい?」もなければ、お医者さんに頼って「お願いします」もなければ、全て自分の選択ができたということが良かったんだと思っています。誰かに強制されたりとかは無く
再発したことも私が持っていた運命だったんだと思いますね。
最初の先生は、私の後にはもう診てなかったみたいですから、お年もお年でしたし。その先生に出会えたこと自体奇跡的だと思うんですよね。

自分がひとつのピースになる

記者:今後どのようにやっていきたいとか、夢とか。これからの“ワビwabi”のやっていきたいvisionを教えてください


米山:生き方自体が自分らしくあればいいと思っているんですね。

日々、目の前にあるものが誰かの必要な人に橋渡しができたりとか、そうゆう自分がひとつのピースになるというかそういう事が出来ればいいと思うんですね。

私の持っている資質というのが手を使って人に対して何かをするっていうものなんですね。

そうすると私の手が人に触れて、トリートメントするもそうですし、家でお結びを作って、渡すもそうですし、それで何かをやっていくということは変わらないんですね。

ただそれがどういう方法であっても構わないと思うんです。やっぱり、人と何かをつなげる、何かちょっとした情報の橋渡しとか、そういうものになればいいと思っているので

スピリチュアル的な世界で言われていることは、今は時代が変わったと言われています。一昨年くらいから、宇宙の流れが変わっていて、これからは今まで個だったものが融合されていく時代で、そういう融合した時代に戻ってくるんだ、と言われてるんですね。

なので、今までのコミュニケーションの取り方はこうあるべきだ、とか、この社会はこういう仕組みだから、幸せはこういうものだというのが壊れているんです。自分らしく、本来の自分の魂が喜ぶようなことが本当の幸せだ、という流れに変わってきているんです。

なので、今までのコミュニケーションの取り方はこうあるべきだとか、この社会はこういう仕組みだから。幸せはこういうものだというのが壊れているんです。自分らしく、本来の自分の魂が喜ぶようなことが本当の幸せだという流れが変わってきているんです。

一人一人が満足しているかどうか、ということが一番大切になってくる。そんなふうにシフトしてくる時代なんだなと思うんですね。

特に今年は年号が変わることもあるし、大きな変化になっていくって言われているんですね。だから、こうあるべき、と教えられたのが、こうあるべきではない、と反対に言われるようになってきてるじゃないですか。そうなってくると、時代時代にものは移り変わるんだ、と思ってしまえば、自分が素直に幸せと思ってしまえば、もうあまり、決まりがないのかもしれないですよね。

 時間を有効に感性の部分に使っていかないといけない時代

記者:AIが活躍する時代に必要とされるニーズとは、どんなことだと思いますか?

米山:もっと人間は感覚のものとか、そういうものを重要に思ってくるような気がしますけどね。そういう時代になっていますから。要は、頭で考えなきゃいけないことはAIなんですけど、心で感じないといけないこととかは、これからの時代、必要になってきますから。それに移せるものはそれでいんじゃないですか。その時間を人が今度は有効に感覚とか心とかもっとそういう感性の部分に使っていかないといけない時代だから、必要としてそれができてきてるんじゃないですか。

いろんな人がいて成り立っているという自然なユニゾンとか共存した世の中になるのが一番

記者:最後に、どんな美しい時代を創っていきたいと思いますか?

米山:人生を楽しみながら自分の役割を自然に全うできるような世の中がいいんじゃあないでしょうか。
そこに争いはないような気がするんですよね。
みんな自分がやれること自分ではできない人の力を借りることに感謝して、自分はこれが得意なのってやれたらなんかいいですよね個々の個性が集まって成り立っているという自然なユニゾンとか共存した世の中になるのが一番いいんじゃないですかね。
1人1人が満足して生きられるというのが幸せなんだと思いますよ。
だから、そういうことが現実に形となっていく仕組みに変わっていけば、いいかなと思います、世の中が。
多分、1人1人生まれてきた意味とか、目的とか、今世に生まれてきた何かがあると思うんですよ。自分が意識してなくても一生の中で歩めればいいと思うので。

目的をもってやっていればそれが最終的に何らかの形になったといういいのかなと思ってます。

こんな時代が美しいと思うから頑張りましょうというのではなくて、みんなが変わっていったらいつの間にかそういう社会が創られていたというぐらいででいいのかなと思っています。

だから今、1人1人の気づきが大切ですね。
“ワビwabi”のコンセプトなんです。「気づきの場」
人に何を言われても自分が気づかなければ変わらないじゃないですか。
自分が気づいた瞬間に何か変えなきゃと思わなくても、気づいた瞬間に方向が変わっていきますから、気づくということが大切で。
気づきの場と時間を提供できればいいが、“ワビwabi”のコンセプトなんで。
小さい気づきでいいんですけど。きっと何かは変わっていくことになりますよね。
その時に必要なものに手を貸したり、ゆったりとした時間を創って差しあげげられたら、それができればいいな。

記者:米山さん、今日は本当にありがとうございました。

米山さんについての詳細情報についてはこちら
↓↓↓
“ワビwabi”
Facebook:@wabiyoneyama


編集後記
インタビューを担当した、高橋と高柳です。
米山さんもそうですが“ワビwabi”の空間にもとても心癒される時間でした。米山さんの今後の益々のご活躍を応援しております。
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この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36

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