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タイム写シーン03「ラビリンス」

こんにちは。めぐるスイッチ・まつもんです。

連載3回目になるタイム写シーンですが、タイトルからして「ラビリンス」って何だよ、そんな場所は板橋にないぞって話ですよね。はい。説明させてください。

▼「タイム写シーン・ラビリンス」シリーズとは?
タイム写シーンの企画のため、おもしろそうな古写真をゲットしたものの、手がかりが少なすぎて撮影場所が特定できない。しかも、博識な板橋公文書館の方に聞いても分からなかった。そんな、もはや迷宮入りか!? という危機的な写真テーマが「ラビリンス」です。
結局、自力で調べてみて迷宮を脱したのか? 迷宮入りのままか? そこは記事を読んでのお楽しみとしてください。

という感じです。迷宮入りの経緯もまとめるので、文章が長くなっております。たまには、そういうのもアリですよね?

では行きましょう。ラビリンス「西台、昭和38年」です。

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公文書館が所蔵する写真の1枚。わりと近代的っぽい建物があるのに一面が田畑なので、現代との比較がおもしくなりそうだと思って選びました。写真のキャプションには「西台 昭和38年」とあります。

公文書館の人に「これって西台のどこか、くわしい場所はわかりますか?」と聞くと「調べれば……」との答え。じゃあ、お願いします! しばらく待っていると、こんな情報が出てきました。

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西台のごみ焼場?……近隣住民がゴミを出すステーション的なやつでしょうか? なんでそんなものを写真に撮ったんだろう……?

公文書館の職員さんも「すみません。これ以上の情報がありませんでした」とのこと。職員さんは続けて「でも、高いところから撮ってる感じですし、西台の崖側から撮って、奥に新河岸川と変電所の鉄塔が見えている感じだと思います」とのアドバイス。おお、すごい!名探偵ですか。

結果として、実はこの推理は間違っていたんです。が、私にとっては、写真の内容や撮り方から場所を推理するって考え方を与えてもらった感じで、大いに学びました。

そのまま職員さんは昭和34年の古地図を持ってきてくれて「これで探してみては?」と勧めてくれました。とはいえ地図上に「ゴミ焼場」が書いてある感じではなかったので、道の形を参考に探し始めます。

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写真の手前で交差する道路は、けっこう特徴的な形。余裕で発見できるかと思われたが……探しても全然見つかりません。とりあえず、古地図の画像を撮らせてもらい、写真データを受け取って帰宅。ラビリンスの気配。

かれこれ2時間は地図を見ていました。国土地理院のサイトも検索して、古い航空写真と、古地図の画像を交互に比較し、何度も探しました。もう全然見つからない。そもそも2車線ありそうな太い道はすごく少ないし、そこに斜めに合流する箇所なんてほぼないのに……あるはずのものが見つからない。くやしさ、なぜだ感、どんづまり感で頭が重くなります。ヤバイ。

全然ない、でも絶対にあるはず。ならば見方を変えよう。道の形じゃないものをヒントにしたらどうでしょう。たとえば、影の落ち方で何か分からないだろうか……あ、あれ?

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それまでの前提がひっくりかえりました。この写真が、崖側から川を見ているとしたら、こんな方向に影は落ちない。いくつか特定の条件を満たせばありえなくはないのですが、もはや「西台」と呼べるエリアにそうした地形がないのです。

つまり逆向きだったのです。新河岸川を背に南側を向いて撮っている写真だったんです。しかも、よーく見ると、はるか遠くにあると思い込んでいた鉄塔の足下は、畑の向こうの建物よりも手前にあるじゃないですか!

でも、やはり道は見つからないので、西台のごみ焼場という言葉でネット検索。さらに情報を探していくと、昭和34年の地図には描かれていない建物が……昭和35年に竣工した板橋区の初代清掃工場の存在が見えてきました!

今回は無事に、迷宮を脱出。写真は清掃工場施設内の高い場所から、工場内の一部を撮ったものでした。「西台ゴミ焼場」とは「清掃工場」のことだったんですねー。わかってしまえば「明らか」とすら感じます。

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一般道路ではなく施設内の空間を見れば、地理院の空撮写真にもきちんと写っています。写真の画角、要素をまとめ、地理院の空撮と現在の地図に転写してみました。

地理院空撮まとめ

地図にない

現代

答えが出てよかったー! でも、問題は比較写真の撮影です。

清掃工場の敷地内に入らないと、写真を撮れません。工場見学すればいいポジションがあるかもしれないとも思いましたが、現在は感染症対策の一環で個人見学はすべて受付停止しています。残念ながら、現在の写真を同じアングルから撮ることができません。どうしよ。

苦肉の策としてグーグルアースで撮ってみました。

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3Dモデリングがガタガタして鉄塔が「太陽の塔」みたいになってるけど……細かいことは気にせず見比べてください。60年間での街の変化がすごくて、なかなか感慨深くないですか?(苦労したからそう思うのかも)

清掃工場の職員さんに知り合いがいればお願いできたかもしれませんが……もうこれ以上は望めないので、今回はここで終わります。

書ききれませんが、調査の過程で、発見もたくさんありました。昭和35年の清掃工場竣工以前には、なんと区内にゴミの埋め立て地があったんです。海じゃなく、陸の谷間にも埋め立てがあったなんて、驚きました。

西台の埋立地はいまも公園として残っていますが、それはまた別の話……







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