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タイム写シーン10「大谷口北町」

こんにちは。めぐるスイッチ・まつもんです。今回のタイム写シーンは、板橋区の公文書館さんが所蔵する、昭和の石神井川の洪水の写真です。写真の場所となる大谷口の北町に行きました!

今回の写真は、昭和52年(1977年)の大雨のときのもの。公文書館の記録に撮影地点がきちんと残されていました。板橋区の東山町と大谷口北町の境目にある山崎橋の橋の前あたりです。

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現在の山崎橋は平成6年(1994年)に造られたものだそうで。塗装などもたびたび修繕しているのか、四半世紀の経過を感じさせない美しさです。三日月とその先端にかがやく星マーク。天の川みたいな帯状の意匠もあって、夜空をテーマとしたデザインのようです。

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撮影時は気にしなかったんですが、なぜこういうデザインなんだろう?と後からだんだん気になってきました。

すぐに直接的な資料が見つからず、インターネット情報の孫引きになってしまうのですが、検索するとこちらの「越後屋たぬき」さんのブログには次のように書いてあります。

大谷口北町周辺はかつて山崎といわれ、周囲は山崎田んぼといわれていました。水を張った田んぼに月が映えたその光景が非常に情緒的であった。

なるほど。その風景の記憶が、現代にもきちんと伝わっていて形に表現されたことがすごいですよね。

さて、現場を昭和52年(1977年)の写真と比較してみましょう。

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風景的に一致する手がかりが見当たらないので、撮影位置がどれだけ正しいか、検証が困難です。でも、公文書館で教えてもらった住所はここなので、大きくは外れていないはず。

同年の別の場所の洪水写真もありました。

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昭和51年(1976年)、昭和53年、昭和54年にも台風による石神井川の氾濫があったそうですから、石神井川の板橋区流域の護岸工事が終了する昭和58年まで、こうした光景がめずらしいものではなかったんですね。

ところで、山崎橋を少し北に、川越街道をまたいですぐの場所には、アニメ日本昔話の「下頭橋〜けちんぼ六さん」の舞台となった橋があります。旧川越街道として石神井川に渡されていた下頭橋(げとうばし)です。

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この下頭橋伝説も水害に由来するものですから、川の近くに住む限り、その気持ちよさと水害の心配は切り離せないのだなあ、と、書いてみるとすごく当たり前のことを改めて感じました。


ゲリラ豪雨と呼ばれる局所的な豪雨が増えてきた昨今。令和元年の大雨では、板橋区でも久しぶりに洪水の恐怖感を味わいましたよね。平穏な石神井川と比較すると、当時のいたばし総合ボランティアセンターさんの写真ツイートは、かなり衝撃的です。

川が豊かな板橋区だからこそ、これからも水害には気をつけましょう!

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