タイム写シーン08「栗原堰」
こんにちは。めぐるスイッチ・まつもんです。今回のタイム写シーンは、「栗原堰」です。
はい、自分はまず「堰」が読めませんでした。堰の読みは「せき(ぜき)」ですので、タイトルは「くりはらぜき」と読みます。堰は、治水における構造物の名前です。国土地理院の説明は次のようになっています。
せきとは、川の流れの調節や河底の保護などを目的としてつくられた工作物、または農業用水や飲料水などの取り入れのため、河川を横断して設けられた工作物(国土地理院)
文章だと「河川を横断」って表現がピンときません。リンク先のページを見てみると、具体的な写真があります。横断って橋みたいな感じでなく、川の中に、川幅いっぱいに作られた感じです。
さて、栗原堰がある城北中央公園は、板橋区と練馬区をまたいでいる都立公園です。写真の場所はギリギリ板橋区側です。たぶん撮影者が立った場所がちょうど境界線上か、なんなら練馬区かも。それくらいギリです。
公文書館の写真情報には「石神井川栗原堰付近星野牧場 昭和26年頃」と書いてあります。牧場!? たしかに写真の画面左側に牛が見えています。
日本では、牛乳が庶民の飲み物となったのは明治以降だそうで。現代ほど高度な殺菌技術はなかったため、都心部に牛乳を届けるには、都市近郊に牧場が必要でした。そこで、板橋区内でも都心部に近い板橋町、上板橋村で酪農が発達していた時期があったそうです。
城北中央公園の南側、栗原橋に来ました。昭和の写真とは反対側からのアングルです。向こう側に行ってみます。
ほぼ同じアングルをめざすと、こうなりました。樹木や街灯でモジャモジャしているので、少し視界を得やすい高さに降りてみます。
この画面左側に牛さんたちがモウモウないていたんですね。昔のようすを想像で重ねながら、ぼんやりながめます。
撮影場所から少し東側、練馬区側に入ると栗原遺跡があり、奈良時代の住居を復元したというかやぶき家屋を見ることができます。
柵に囲まれているので、至近距離に行くことはできません。柵の隙間から写真を撮ると、肉眼で見るよりすっきりした見え方になりました。
今から1300年も昔の奈良時代に、存在した可能性があるこの光景も、ある種のタイム写シーンになったかもしれませんね。
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