見出し画像

コロナ禍初期に出会ったあるおばさまの物語

「行きつけの〇〇」と呼びたくなる場所をあなたは持っていますか。

「行きつけのカフェ」「行きつけの美容院」「行きつけの肉屋」
〇〇には何でも入っていいですよ。

あなたにとっての「行きつけ」はどんな場所ですか。
そこにはどんな人がいますか。


時は遡って、2020年の春。
私は土曜日の朝、行きつけになりつつあったカフェで一人時間を過ごしていた。
※カフェでの一人時間は、私が「me time」と名付けている自分の好き勝手気ままに過ごす時間として設定している休息時間の一つだ。

そこに一人の外国人のおばさまがやってきた。

そのおばさまはどうやらカフェラテと間違えて抹茶ラテを頼んでしまったらしい。一口飲んだら想定していた味と全く違ったため(そりゃそうだ)、飲み物を店員さんに戻しているという場面だ。店員さんは何が起こっているのか戸惑っている様子で、かつ、英語でのやりとりにつまづきがあることがうかがえた。おせっかいかもしれないと思いながらも、私は言葉の面で少しのフォローをした。

私「カフェラテだと思って頼んだら抹茶ラテだった。それで返却したかったそうです。注文の取り間違いではないと思いますよ。」
店員さん「そうなんですね。ありがとうございます。」

このやりとりをきっかけに、おばさまと私の会話が始まった。
このおばさまのことは、ここではソフィさん(仮名)と呼ばせていただこう。

聞くとソフィさんはコロナ禍の最中にお仕事都合でイタリアから東京に引っ越してきたばかりだそうだ。お子さんもいらっしゃるが、もう成人し独立もしている年齢。今回の転勤ではソフィさん一人で日本にやってきた。

「朝のコーヒーは日課なのよ。ここに来る前は、体操をしている人たちがいたのでそこに混ざってきたわ。」
とこのカフェに来る前のことを少し教えてくれた。

「コロナは困ったわね。カフェの時間は私にとってはすごく大事な時間なのだけど。どのお店も営業時間が限られているじゃない。」

そうか。私だけではなかったのか。
ソフィさんにとってもカフェで過ごす時間は自分の健康のために大切な時間なのだそうだ。

この日私たちが出会ったカフェは、私にとってはまだ「行きつけ」ではなかった。「行きつけになりつつある」カフェで、自分の居心地のいい席とか眺めとか、カフェの空間の中でも身の置き方を探しているところだったのだ。なぜなら、別の行きつけにいくつかの行きづらい事情がうまれてしまったから。

ソフィさんはその後、日本語の教科書を広げて勉強し始めたので、私は話すのをひかえた。

少し経って私は帰る時間になったので、ソフィさんに挨拶した。

私「また会いましょう。日本で過ごす時間がいい時間になったらなと思います。」こんなニュアンスの一言でさよならを告げたと思う。(ちょっと格好つけたような気もする)

ソフィさんとの出会いから3年くらいになる2023年の春。
実はソフィさんとは、初めて出会った時以来、ゆっくりお話する機会は持てていない。
でも時折、ソフィさんが街中を歩いている背中とか、体操をしているのを見かけていた。

私は前職を退職し、自社の立ち上げを控えて考え事をしていた。
ちょっとご無沙汰になっていた行きつけのカフェ店内で。
このカフェは、ガラス張りの大きな窓から入る光が綺麗でおまけに天井が高く、気持ちよく深呼吸できるような空間で好きなのだ。

お店について30分くらいした頃だろうか。
ガラス窓の向こうに、ソフィさんが歩いてくるのが見える。
その時私は話しかけに行こうかと体が動きかけたが、やめておいた。

ソフィさんはお店の入り口近くで、先に来ていた知り合いの男性と挨拶のハグをした。私はその男性のことも知っている。彼も、近所の体操に来ているのだ。

二人は飲み物を片手におしゃべりを続けていた。それを私は店内の好きな席から、ぼーっと眺めながらあたたかい気持ちを感じていた。


行く場所があることの意味。
そこに「自分を知っている人がいる」とわかることの意味。
行きつけの〇〇が持っている力。

そんなことを考えた朝だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?