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團菊祭五月大歌舞伎

今までは幕見席をちょろちょろしていただけだったが、今回はしっかり仕事を休んで昼の部を3階B席(4,000円)にて観劇。前回までの反省を活かし、オペラグラスを持参/音声ガイドをレンタル/筋書(歌舞伎パンフ)まで購入して、個人的には格段の進化をもって臨む(もっと早くやっておけば良かった)。

しかし、まさかのまさか。当日に娘が発熱。妻が夕方から仕事だったため、無念の途中帰宅となってしまったのだが、とりあえず観たもの・学んだものの記録は残しておきたい。

暑くもなく寒くもなく、観劇お出かけ日和だった。

團菊祭とは?

「團菊祭」は、歌舞伎の近代化を進めた九世市川團十郎五世尾上菊五郎の功績を懸賞する祭典です。劇界の転換期でもあった明治を迎え、この時代に活躍したおふたりは、伝統を守るだけでなく、新たな変革を成し遂げ、今日の歌舞伎の礎を築きました。

筋書「ご挨拶」松竹株式会社 代表取締役会長 迫本淳一
九世と五世。雰囲気があってどちらも良いお顔。wikiによると九世は「劇聖」と謳われ、歌舞伎の世界で単に「九代目」というと、通常はこの九代目市川團十郎のことを指すそうです。

両優は芸風も性格も違う、ライバルでしたが、四百年を超える歌舞伎の歴史で、ターニングポイントとも言える出来事で大任を果たしました。明治二十年、明治天皇が観劇した「天覧歌舞伎」に、九代目と五代目、二人とともに「團菊左」と並称された初代市川左團次が出演。『勧進帳』『寺子屋』などが上演されました。江戸時代の歌舞伎は庶民に愛されましたが、幕府からは悪所として何度も弾圧されました。その歌舞伎を明治天皇、皇后、政府高官がこぞって見たことで、歌舞伎、歌舞伎俳優の社会的な地位が飛躍的に向上したのです。

筋書「歌舞伎への熱い思いで繋がる團菊祭」林尚之

ちなみに、現在の市川團十郎は13代目(西麻布で暴れたかつての海老蔵)。尾上菊五郎は7代目で妻は富司純子、長女は寺島しのぶ、長男は5代目尾上菊之助。※ちなみに来月は、寺島しのぶが出演する「おちょこの傘もつメリー・ポピンズ」を観に行く。

(追記)2025年5月、5代目菊之助は、8代目菊五郎を襲名するとのこと。


二つ目の演目である「毛抜」は四世市川左團次の一年祭追善狂言。四世の子息である市川男女蔵(おめぞう)が主役の粂寺弾正を演じ、父を偲ぶ。

一、鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいのむつごと)

狂おしい情念、幻想的な舞踊
源氏方の河津三郎に相撲で敗れた平家方の股野五郎は、約束通り遊女喜瀬川を河津に譲ります。しかし股野は、かねてからの遺恨を晴らすため、河津の心を乱そうと酒に雄の鴛鴦(おしどり)を殺した生血を混ぜます。やがて泉水に、雄鳥の死を嘆き悲しむ雌鳥の精が喜瀬川の姿を借りて現れると…。
 
「おしどり」と通称される本作は、河津と股野が相撲の起源や技に託して恋争いを踊る「相撲」と、引き裂かれた鴛鴦の夫婦の狂おしい情念を見せる「鴛鴦」の上下巻で構成されます。鴛鴦の精が本性を現すぶっかえりなどの華やかな演出も盛り込まれた、幻想的で古風な趣あふれる舞踊にご期待ください。

https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/874

近代に入って上演が途絶えていましたが、六世中村歌右衛門が昭和29年(1954年)に催した自主公演の「第1回 莟(つぼみ)会」で、歌右衛門の喜瀬川、九世市川海老蔵(11世團十郎)の河津三郎、二世尾上松緑の股野五郎という配役で復活上演されました。

筋書より

ということで、團十郎家とは縁の深い演目で、舞踊的要素の強い作品。

前半の「相撲」パートでは相撲の故事来歴が歌われ(インドでは〜、中国では〜)、相撲の起源である垂仁天皇の御前で行われた大和国の當麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)との勝負の様子が語られる。

後半では、河津と股野のその後の話を直接的に描くのではなく、雌鴛鴦の精霊が、股野に殺された雄鴛鴦を思って嘆き、雄鴛鴦が河津の姿を借りて現れて雌と共に股野と一戦交える超展開に。

決着が付かない展開は歌舞伎にはよくあるそうですが、着物を羽に見立てた所作の美しさ、それを際立たせる衣装の美しさが目を引く演目でした。


昼食

1つめの演目が終わったところで25分ほどの休憩が挟まるため、ここで昼食。友人に「一度は食べてみるべき」と薦められ、吉兆 歌舞伎店にて昼食を取る(なんて贅沢な日)。

歌舞伎座の3Fにある吉兆
アヤメでしょうか。屏風状の上蓋を取ると…
そこに季節の膳。茗荷に隠れているが、厚焼き玉子が今まで食べたことのない超密度でびっくり。

自分は少食だが、量も絶妙にちょうどいい按配。こういった見た目の料理は苦手だったはずなのだが、自分も齢を取ってこの域に達したかと思うと感慨深い(ただ単純に吉兆が美味しい)。

帰り際に見かけた価格改定の報…。


二、歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)

茶目っ気あふれる捌き役、粂寺弾正が活躍する人気作
小野小町の子孫、春道の屋敷。家宝である小町の短冊が盗み出されたうえ、姫君錦の前は原因不明の病にかかり床に伏せっています。そこへ、姫君の許嫁である文屋豊秀の家臣、粂寺弾正が様子をうかがいにやって来ます。髪の毛が逆立つ姫の奇病を見た弾正は、手にした毛抜がひとりでに踊り出したことから、姫の奇病の仕掛けを見破り、両家の縁談を破談にしようとする陰謀をも暴き…。
 
四世市川左團次の一年祭追善狂言として、所縁の出演者で名優を偲びます。知性と愛嬌を兼ね備えた弾正が活躍する、歌舞伎らしいおおらかさと喜劇性たっぷりのひと幕をお楽しみください。

https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/874

七世市川團十郎が家の芸である「歌舞伎十八番」を選定した際、そのひとつに加えられましたが、その後長らく上演が途絶えていました。時代を経て、明治42年(1909年)、二世市川左團次が、岡鬼太郎の脚本によって明治座で復活上演。この際、二世左團次が市川宗家に敬意を払うため、敢えて衣装や道具、演出を変更して上演しました。この上演の型は、「團十郎型」に対する「左團次型」と呼ばれるようになりました。

筋書より

明治期に活躍した「劇聖」である九世の功績を顕賞する團菊祭において七世の話まで出てきて、歌舞伎の歴史の厚みにクラクラ。四世左團次の追善興行のため、二世左團次が復活上演させた「毛抜」を、四世の子息が演じるという趣向となっている。

粂寺弾正が豪快且つ色気・茶目っ気・男色の気さえある面白いキャラクターで、当世風に解釈するならば、冴羽獠と名探偵コナンを組み合わせたようなイメージ。「髪の毛が逆立つ姫の奇病」が磁石の働きによるものだと見抜き、槍で天井を一突き、すると忍びの者が落ちてくるというそんなまさか!の展開に微笑みが止まらない。

三、極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)

信念を貫いた俠客の生き様
大勢の客で賑わう江戸村山座。「公平法問諍(きんぴらほうもんあらそい)」が演じられる舞台に酒に酔って乱入した男を、江戸随一の俠客、幡随院長兵衛が追い払います。その様子を桟敷で見ていたのは、旗本の水野十郎左衛門。水野率いる白柄組と長兵衛を親分とする町奴たちはもとより犬猿の仲で、水野が長兵衛を呼び止めると、一触即発の事態に。騒動の後、水野の屋敷に呼ばれた長兵衛は、遺恨を晴らそうという水野の罠と知りながらも誘いを受け入れます。引き留める家族や弟子に頼みを言い残すと、長兵衛は水野の屋敷へ一人で向かい…。
 
江戸時代初期、浅草花川戸に実在し、日本の俠客の元祖と言われた幡随院長兵衛を主人公にした物語のなかでも、本作は九世團十郎に当てて河竹黙阿弥が書いた「極付」とされる傑作。町人の意地と武士の面子を賭けての対決、柔術を組み入れた立廻りなど、江戸の男伊達の生き様を描いた世話物をご堪能ください。

https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/874

序幕は「村山座」(後の市村座)での長兵衛と水野十郎左衛門の対立を描き、後の遺恨への伏線となる場面です。中でも長兵衛が客席から登場する件は、劇場全体を「村山座」に見立てる優れた演出で、九世團十郎が初めて取り入れたとされています。

筋書より

とあるように、冒頭は江戸時代に人気を博した金平浄瑠璃を素材とした「公平法問爭(きんぴらほうもんあらそい)」が劇中劇の形で取り入れられ、その劇の最中に客席の酔っ払いが花道に乱入。舞台番(舞台の下手に座って場内整理にあたった者。明治中期まで存続)が事態の収束をはかって、会場にお詫び及び劇の進行を告げると、2024年現在の歌舞伎座がまるで当時の「村山座」になったかのよう。続く狼藉者が花道に侵入すると、今度は客席から長兵衛=團十郎が登場して場を収め、劇場は主役の登場に歓声が上がった。

二幕目は、長兵衛が水野の罠と知りながら子分や家族の反対を押し切って、水野邸へ向かうことを決心。自分はここまでだったが、三幕目は友人によると「風呂場で立ち廻って死にました」とのことだった。

完全なる私見で、お叱りを受けること承知で申し上げるが、現在の團十郎は悪くはないものの、歌舞伎をやっている感じがあって、役が乗り移っている感じはなかった印象。三幕目を見ていたらその印象は変わっていたのだろうか。あるいは、まだ現在の團十郎は襲名から2年。齢を重ねるにつれ、円熟味を増していくのだろうか。



今回、行って感じたのは自分のような知りたい・学びたいステージにいる観客には音声ガイドはマスト。特にこの昼の部最後の演目で役立った。
※しかも、事前の予習コンテンツまでサイトで公開されている!

二幕目でも長兵衛は「堅気な商売ではない」と語っているが、具体的には参勤交代時の人材派遣サービスのような稼業をしているようだ。各藩邸は普段は暇で、人手は不要だが、参勤交代ともなると地方から一行が大勢上京する。となると、人手が急に必要となるわけで、人材の調達が求められる。参勤交代の情報をキャッチし、あちらの人材をこちらへ、こちらの人材をあちらへと差配することで、市中に失業者が出ないように調整をする仕事というのがあったらしい。そうした人材派遣サービスを仕切る親玉が、子分を想い、メンツを大事にする日本の俠客の元祖というのだから、隔世の感があるではないか。

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