見出し画像

歌舞伎名作撰『ヤマトタケル』

友人からDVDを借りて鑑賞。その後、2023年の11月にNHKで放送された市川猿翁追悼アンコール放送を録画していたことを思い出し、ノーカットフルバージョン版(*)を高画質で視聴。さらに、梅原猛による原作を図書館で借りてきて、録画のアンコール放送を見ながら進行を確認。要は、痛く感銘を受けた。遅きに失して何を今更と自分でも呆れるのだが、今からどう挽回できるか考えていきたい。

*DVD収録版では公演が一部カットされている!ので、NHKで放送された高画質ノーカットのBlu-ray盤をリリースしてもらえるとありがたい。


三代目市川猿之助(二代目 市川猿翁)

まずは、『ヤマトタケル』の脚本・演出・主演を務めた市川猿之助について、基本情報をおさえておく。

猿翁さんは、三代目市川段四郎の長男。三代目市川團子を経て、三代目市川猿之助となり、「澤瀉屋おもだかや」の看板を背負った。

スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』など、現代に生きる歌舞伎の創出し、ケレンの芸に生涯取り組んだ。2012年に二代目市川猿翁を襲名した。宙乗りは5000回を超え、ギネスブックに登録された。

プライベートでは、1965年に浜と結婚し、同年に長男の俳優・香川照之が誕生。離婚後、香川とは疎遠になったが、自身の猿翁襲名にあわせ、和解。香川は九代目市川中車を名乗り、歌舞伎に進出した。孫は五代目市川團子。

市川猿翁さん死去 元妻・浜木綿子が追悼「澤瀉屋一門をずっとお見守り下さい」
文化功労者顕彰に際して公表された写真

スーパー歌舞伎とは?

訃報にも"歌舞伎界の革命児"とあるが、彼が始めたスーパー歌舞伎とは何なのか、こちらも今更だが確認しておく。

3代目猿之助は、スーパー歌舞伎創作以前から宙乗りや派手な立ち回りなどエンターテイメント要素の強い「猿之助歌舞伎」を得意としたが、歌舞伎ファン以外に話題を広げた一方で、一部の保守的な論客からは酷評された。

スーパー歌舞伎ではさらに古典歌舞伎の踊りや立ち回り、見得、ケレン(観客を驚かせるような演出)、隈取り、下座音楽といった演出法や演技術を意識的に取り入れる一方、中国の古典や日本の古代神話など、従来の歌舞伎の枠にとらわれない題材を脚本化した。猿之助はスーパー歌舞伎の特徴のひとつとして「真に現代人の胸に迫る物語性」を挙げ、壮大で骨太な物語が基調となっている。制作に当たっては現代劇や京劇など多ジャンルの出演者やスタッフを取り入れて創作され、煌びやかな衣装と最新の照明や舞台装置、雄大な劇伴音楽などで世界観を作り込む、現代劇と古典歌舞伎の融合的作品群である。

スーパー歌舞伎(あるいはスーパー歌舞伎に代表される猿之助歌舞伎)は「ストーリー(Story)」「スピード(Speed)」「スペクタクル(Spectacle)」の「3S」を重視することを特徴とした。すなわち、先述の「真に現代人の胸に迫る物語性」、「メリハリのあるテンポ」、「宙乗りや早替りなどの視覚的な見せ方」といった従来の歌舞伎や新歌舞伎作品にはなかった新しい要素を持った歌舞伎作品群である。

スーパー歌舞伎

NHKのアンコール放送では番組冒頭にて歌舞伎研究者の方が登場し、初演(1986年)時に「とんでもないことがこれから始まろうとしている」「歌舞伎をどこに連れて行くのか?」と感じたことを回想。その上で、「今振り返ると、これもまた歌舞伎だ」という現在の歌舞伎に対する多大なる影響について語っているのだが、つくづく、自分も同じ時代をリアルタイムに目撃したかった…と感じる。

wikiにはスーパー歌舞伎の成り立ち&『ヤマトタケル』誕生の裏話が、原作者である梅原猛とのエピソードとして紹介されている。

スーパー歌舞伎の成り立ちについて、創始者である二代目猿翁(三代目猿之助)は、梅原猛とよもやま話に講じる中で出来たアイディアであったとしている。猿之助と梅原はたびたび演劇について討論し、おおむね以下のような結論にたどり着いた。

「江戸時代にできた古典歌舞伎の美意識や発想、演出法や演技術は素晴らしいが、物語は当時の世界観や道徳観による忠君愛国や義理人情的内容で、真に現代人の胸に迫るところが少ない。それに対しテーマ性のある内容を持つ明治以降の新歌舞伎は、近代劇的リアリズムを取り入れたため、歌舞伎本来の魅力であるべき歌(音楽性)と舞(舞踊性)に乏しく楽しくない。両方の長所を兼ね備えた"新・新歌舞伎"を創造すべきだ」

「それならいっそ先生が」という猿之助の言葉に梅原が応じて出来上がったのが、1986年(昭和61年)の『ヤマトタケル』である。

梅原猛による原作「ヤマトタケル」には二代目猿翁と梅原の対談が収録されており、そこにも関連する記述がある。

梅原 どう見ても歌舞伎の歴史はケレンと称せられる早替りや宙乗りなくしては語れないんです。文化文政のころの三代目菊五郎とか、その師匠にあたる養父の松助という人もケレンの芝居をやっていて、松助は水中早替りなんていうこともやってますね。南北の芝居などは、そういう演出なしでは成立しないんですよ。

つまりあの演出は、私は歌舞伎の本質だと思うんです。明治以後西洋の芝居の影響で、歌舞伎がそういう面白さをほとんど捨ててしまった。それを猿之助さんが懸命に復活しようとしていて、ときどき邪道だと言われることもあるみたいだけど、私はそれこそが正道だと思ってるんです。

在来の歌舞伎の脚本だと、早替りや宙乗りの必然性がなかったり、薄かったりする。しかしその技巧を採り入れて、ギリシア悲劇のような深みのあるストーリーを与えたら、その演出はもっと素晴らしくなるし、感動を呼ぶだろうと思ったんです。ヤマトタケルは最後は白鳥となって飛び立つんだから、宙乗りの必然性はものすごくある。宙乗りでなくては表現できないわけですから。

甦るヤマトタケル -スーパー歌舞伎への道-

恐らく、猿之助は守破離の実践者だったのだろう。型無しの革命家ではない。単純に新しいものを取り入れているだけでもない。伝統の本質を掴み、歌舞伎という伝統の枠組さえを更新している。強烈なクリエイティビティだ。

『スーパー歌舞伎 ヤマトタケル』なくしてはコクーン歌舞伎も野田版の歌舞伎も恐らくは存在しなかったのではないか。

そのスーパー歌舞伎がどのようにして作られたか…といったコンセプトの実践に関しては猿之助自身が本にまとめられているようで、こちらも追って目を通したい。


自分はスーパー歌舞伎をことごとく見逃しているが、特に藤山直美を主演に迎えたスーパー喜劇は是非いつかどこかで拝見したい…。
※『ヤマトタケル』の再演については後述。

あらすじ&戯曲のポイント

大和の国の皇子 小碓命おうすのみことは、双子の兄 大碓命おおうすのみことの謀反をいさめようとして誤って殺してしまい、父帝の怒りを買って大和に従わない熊襲の征伐にたった一人で向かわされます。小碓命は父の許しを得たい一心で、見事に熊襲兄弟を討ち果たし、ヤマトタケルと名乗ることとなります。しかし、父帝の怒りは治まらず、新たな戦の命を下されたタケルには次々と試練が訪れます。それでも、父とまだ見ぬ息子ワカタケルに会うために、タケルは故郷を目指すのですが…。

https://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/1751/

前述の梅原猛による原作「ヤマトタケル」の対談記事にて、梅原が戯曲のポイントについても語っている。

梅原 この戯曲にはいくつかのポイントがありますが、一つは大和朝廷の日本統一のドラマ。その基調には私のアイヌ論があるんです。つまり、まず狩猟採取していた縄文族がいて、そこへ農耕民族が入ってきて先住民族を制圧していく。これまでだと、征伐された側は悪だという考え方だった。しかしそうではなく、日本を農業国家として統一するための歴史の必然だった、という見方に立つと、熊襲とか蝦夷とか伊吹山の山神というのが、滅びゆくものの悲劇を代表することになります。そこに一つの歴史観が入りますね。

もう一つのポイントは親と子の対立です。親子でありながら最後まで理解し合えないという悲劇の大きなテーマです。

もう一つは、男女の愛の問題です。兄姫と弟姫とみすず姫という三人の女をからめた愛の話ですね。

甦るヤマトタケル -スーパー歌舞伎への道-

この戯曲のポイントの1つ目は、征服される側の物語だということだ。これは鈴木忠志「トロイアの女」にも共通しているが、ギリシア悲劇的であり、現在のウクライナ状勢やイスラム国を描いているという点において時代を貫く古典の王道である。

つまり、ヤマトタケルは主役でありながら悪役であるということなのだが、ここを2つ目、3つ目のポイントと共に考えると滋味深い。猿之助・梅原はこの対談の冒頭にて、このようにも話しているのだ。

梅原 情熱的でわが道を行って、だから孤独で、世間からはたたかれる。それにずるさとか自己防衛本能とかはない。こういう生き方が共通しているから、タケルに自己投影できるんですね。

猿之助 だから読んでいていちいち共感することばかりでした。自分がふだんしゃべっているようなことを、ちゃんとヤマトタケルがいうんです。

甦るヤマトタケル -スーパー歌舞伎への道-

つまりは、ヤマトタケル=猿之助(&梅原)という点。

私生活において猿之助は浜木綿子とスピード離婚。理由が不倫で、その不倫相手が日本舞踊「藤間流」の宗家・藤間勘十郎の妻で女優の藤間紫。浜木綿子との間に設けた子である香川照之とは親子の縁まで切っていたわけなので、そこに男女の愛の問題や親子の対立といった戯曲のポイントを重ね合わさずに見ろという方が難しい。

ラストのヤマトタケルが白鳥になる場面では、人生を何のために生きてきたのかその答えとして「天翔る心」であるとする語りを、わざわざ猿之助が自身で書き足している。どんなに悪役となろうが、人生をかけて守り貫いてきたのは大空を自由に翔ける生き方。それこそがスーパー歌舞伎であり、不倫・略奪愛であるとも感じられる。

原作と舞台台本との違い

と、このようにラストの構成がまず全く違う(ワカタケルの話もない)のだが、それ以外にも異なる部分が多々ある。

というのも、梅原猛は日本精神史、古代史、文学、宗教等の幅広い分野における研究者であり哲学者であるが、今回の『ヤマトタケル』は初めての戯曲作。ヤマトタケルの伝説を歌舞伎とするために、物語に流れる感情をまず具体化する段階で大きな仕事をしているが、ここに演出を加えて実際の芝居にするには猿之助の手が大きく入っているようだ。

猿之助 はじめ先生の第一稿をいただいて、実に面白かったんですが、あれをそのまま上演したら九時間かかりますよ(笑い)。それを半分にカットするのに苦労しました。どこも惜しくて捨て難いんです。

甦るヤマトタケル -スーパー歌舞伎への道-

これがただカットするなんてレベルの話ではなかった。原作と比較しながら実際の芝居進行を眺めると、実に見事だ。原作のエッセンスは残しつつ、語るべき内容の取捨選択をしながら手際よく、言い回しはより歌舞伎らしく、役柄のキャラクターも際立つように、発話した際の音の聞こえなども考慮しながら、感情の高まりがデザインされている。

猿之助 今回、先生に脚本を書いていただくときに、シェークスピアのような深みのある台詞で、ワーグナーのような大きなスケールに歌舞伎本来の面白さを生かしてください(笑い)と、欲張ったことをお願いしたんですが、それをちゃんとかなえてくださった。

それでこの新しい芝居をジャンルとして何と呼ぼうか、新歌舞伎という言葉は昔からあるし、それじゃ弱いから、スーパー歌舞伎とでもしようかと。

甦るヤマトタケル -スーパー歌舞伎への道-

猿之助は梅原へのオーダーをこのように述懐しているが、梅原の原作にシェークスピアを見出し、ワーグナーとして振る舞えるようにオーケストラの配置・楽器選びをやり直す作業をテキストレベルでも行っている。

さらにそれを視覚化する演出作業、感情を表現する役者まで兼ねているわけなので、いやはや、天才的。

何度も観たい名場面

何度も見てしまうのは、中村信二郎(二代目 中村錦之助)演じる熊襲タケル(弟)の断末魔の口上。帝のまつりごとに馴染めなかった熊襲兄弟は、西の島に兄弟で力を合わせて素晴らしい国を作ろうとしていただけだったが、帝からの刺客である 小碓命おうすのみことに討たれてしまう。その激しい無念と、その無念さえ飲み込んでの無血開城に至る決意が凄まじい。この役は今でも二代目 中村錦之助が演じているようだが、一度生で観てみたいものだ。

まさにこの場面

あと、序盤の兄をバラバラに殺した 小碓命おうすのみことの命乞いをする老大臣を演じた市川 欣弥 (初代)も素晴らしかった。(恐れながら!恐れながら!)

市川春猿(2代目)演じる弟橘姫の身投げ場面。ここは弟橘姫が展開するロジックが素晴らしいが、船が去っていく演出もまた素晴らしい。

市川 猿弥 (2代目)はいつでも好きだが、市川段治郎と演じた蝦夷の場面も。お前たちの宝は米と鉄、俺達の宝は心の中にある、としてヤマトタケルの前に倒れていく場面は、タケルのサイコパス感も高まって◎。

見逃してしまったその他の『ヤマトタケル』

もう少し早くに生まれているか、早くに気付けていれば良かったのだが、4代目猿之助のヤマトタケルや、3代目猿之助の孫息子・團子によるヤマトタケルも見逃してしまった。


まあ、嘆いていても仕方がない。4代目については今となってはしばらく難しいとは思うが、團子はまだまだチャンスがあるではないか。未来を臨みつつ、さらに過去も振り返るとするならば、3代目猿之助の関与作品で今も観られるのはこのあたりだろうか。

※4代目の事件の記事はこちらの記事が陰謀論めいていて興味深かった。

澤瀉屋家系図

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?