歌舞伎名作撰『ヤマトタケル』
友人からDVDを借りて鑑賞。その後、2023年の11月にNHKで放送された市川猿翁追悼アンコール放送を録画していたことを思い出し、ノーカットフルバージョン版(*)を高画質で視聴。さらに、梅原猛による原作を図書館で借りてきて、録画のアンコール放送を見ながら進行を確認。要は、痛く感銘を受けた。遅きに失して何を今更と自分でも呆れるのだが、今からどう挽回できるか考えていきたい。
*DVD収録版では公演が一部カットされている!ので、NHKで放送された高画質ノーカットのBlu-ray盤をリリースしてもらえるとありがたい。
三代目市川猿之助(二代目 市川猿翁)
まずは、『ヤマトタケル』の脚本・演出・主演を務めた市川猿之助について、基本情報をおさえておく。
スーパー歌舞伎とは?
訃報にも"歌舞伎界の革命児"とあるが、彼が始めたスーパー歌舞伎とは何なのか、こちらも今更だが確認しておく。
NHKのアンコール放送では番組冒頭にて歌舞伎研究者の方が登場し、初演(1986年)時に「とんでもないことがこれから始まろうとしている」「歌舞伎をどこに連れて行くのか?」と感じたことを回想。その上で、「今振り返ると、これもまた歌舞伎だ」という現在の歌舞伎に対する多大なる影響について語っているのだが、つくづく、自分も同じ時代をリアルタイムに目撃したかった…と感じる。
wikiにはスーパー歌舞伎の成り立ち&『ヤマトタケル』誕生の裏話が、原作者である梅原猛とのエピソードとして紹介されている。
梅原猛による原作「ヤマトタケル」には二代目猿翁と梅原の対談が収録されており、そこにも関連する記述がある。
恐らく、猿之助は守破離の実践者だったのだろう。型無しの革命家ではない。単純に新しいものを取り入れているだけでもない。伝統の本質を掴み、歌舞伎という伝統の枠組さえを更新している。強烈なクリエイティビティだ。
『スーパー歌舞伎 ヤマトタケル』なくしてはコクーン歌舞伎も野田版の歌舞伎も恐らくは存在しなかったのではないか。
そのスーパー歌舞伎がどのようにして作られたか…といったコンセプトの実践に関しては猿之助自身が本にまとめられているようで、こちらも追って目を通したい。
自分はスーパー歌舞伎をことごとく見逃しているが、特に藤山直美を主演に迎えたスーパー喜劇は是非いつかどこかで拝見したい…。
※『ヤマトタケル』の再演については後述。
あらすじ&戯曲のポイント
前述の梅原猛による原作「ヤマトタケル」の対談記事にて、梅原が戯曲のポイントについても語っている。
この戯曲のポイントの1つ目は、征服される側の物語だということだ。これは鈴木忠志「トロイアの女」にも共通しているが、ギリシア悲劇的であり、現在のウクライナ状勢やイスラム国を描いているという点において時代を貫く古典の王道である。
つまり、ヤマトタケルは主役でありながら悪役であるということなのだが、ここを2つ目、3つ目のポイントと共に考えると滋味深い。猿之助・梅原はこの対談の冒頭にて、このようにも話しているのだ。
つまりは、ヤマトタケル=猿之助(&梅原)という点。
私生活において猿之助は浜木綿子とスピード離婚。理由が不倫で、その不倫相手が日本舞踊「藤間流」の宗家・藤間勘十郎の妻で女優の藤間紫。浜木綿子との間に設けた子である香川照之とは親子の縁まで切っていたわけなので、そこに男女の愛の問題や親子の対立といった戯曲のポイントを重ね合わさずに見ろという方が難しい。
ラストのヤマトタケルが白鳥になる場面では、人生を何のために生きてきたのかその答えとして「天翔る心」であるとする語りを、わざわざ猿之助が自身で書き足している。どんなに悪役となろうが、人生をかけて守り貫いてきたのは大空を自由に翔ける生き方。それこそがスーパー歌舞伎であり、不倫・略奪愛であるとも感じられる。
原作と舞台台本との違い
と、このようにラストの構成がまず全く違う(ワカタケルの話もない)のだが、それ以外にも異なる部分が多々ある。
というのも、梅原猛は日本精神史、古代史、文学、宗教等の幅広い分野における研究者であり哲学者であるが、今回の『ヤマトタケル』は初めての戯曲作。ヤマトタケルの伝説を歌舞伎とするために、物語に流れる感情をまず具体化する段階で大きな仕事をしているが、ここに演出を加えて実際の芝居にするには猿之助の手が大きく入っているようだ。
これがただカットするなんてレベルの話ではなかった。原作と比較しながら実際の芝居進行を眺めると、実に見事だ。原作のエッセンスは残しつつ、語るべき内容の取捨選択をしながら手際よく、言い回しはより歌舞伎らしく、役柄のキャラクターも際立つように、発話した際の音の聞こえなども考慮しながら、感情の高まりがデザインされている。
猿之助は梅原へのオーダーをこのように述懐しているが、梅原の原作にシェークスピアを見出し、ワーグナーとして振る舞えるようにオーケストラの配置・楽器選びをやり直す作業をテキストレベルでも行っている。
さらにそれを視覚化する演出作業、感情を表現する役者まで兼ねているわけなので、いやはや、天才的。
何度も観たい名場面
何度も見てしまうのは、中村信二郎(二代目 中村錦之助)演じる熊襲タケル(弟)の断末魔の口上。帝の政に馴染めなかった熊襲兄弟は、西の島に兄弟で力を合わせて素晴らしい国を作ろうとしていただけだったが、帝からの刺客である 小碓命に討たれてしまう。その激しい無念と、その無念さえ飲み込んでの無血開城に至る決意が凄まじい。この役は今でも二代目 中村錦之助が演じているようだが、一度生で観てみたいものだ。
あと、序盤の兄をバラバラに殺した 小碓命の命乞いをする老大臣を演じた市川 欣弥 (初代)も素晴らしかった。(恐れながら!恐れながら!)
市川春猿(2代目)演じる弟橘姫の身投げ場面。ここは弟橘姫が展開するロジックが素晴らしいが、船が去っていく演出もまた素晴らしい。
市川 猿弥 (2代目)はいつでも好きだが、市川段治郎と演じた蝦夷の場面も。お前たちの宝は米と鉄、俺達の宝は心の中にある、としてヤマトタケルの前に倒れていく場面は、タケルのサイコパス感も高まって◎。
見逃してしまったその他の『ヤマトタケル』
もう少し早くに生まれているか、早くに気付けていれば良かったのだが、4代目猿之助のヤマトタケルや、3代目猿之助の孫息子・團子によるヤマトタケルも見逃してしまった。
まあ、嘆いていても仕方がない。4代目については今となってはしばらく難しいとは思うが、團子はまだまだチャンスがあるではないか。未来を臨みつつ、さらに過去も振り返るとするならば、3代目猿之助の関与作品で今も観られるのはこのあたりだろうか。
※4代目の事件の記事はこちらの記事が陰謀論めいていて興味深かった。
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