私たちの中で刻まれ続けるビート ー三浦春馬の「Night Diver」がくれたプラスの方程式

 ずっと止まっていた腕時計。何気なくもう一回使おうと思い、太陽の光をあてて、針をぐるりと戻した。こうやって時間も戻らないものだろうか。不毛な考えが頭を巡る。

 三浦春馬が旅立って、ひと月以上が過ぎた。
 毎日流れてくる彼の素晴らしい作品を目の当たりにして、一体どれだけの人がその才能を惜しんだのだろう。一流のパフォーマンスを見せてくれたあの人をどれだけ想い、感動や希望を与えてくれたことに感謝をしただろう。色々想像すると、悲しくなって、得体の知れない虚無感におおわれる自分がいた。なかなか人の心は時計の針のように、規則的に先へ進んではいかない。

 そんな感情を抱いて毎日を過ごしていた時、三浦春馬の新しいシングル「Night Diver/三浦春馬」のMVが公開された。日を追うごとに増え続ける再生回数。しかし緋色に包まれ、水しぶきの中にいるCDジャケットの三浦春馬を見た私はどうしても再生ボタンを押すことが出来ない。1秒も作品を聴いていないのに写真から受ける、気高いけれど、どこか物寂しいイメージが自分の心とリンクしてしまいそうで、どうしても避けてしまう。

 聴けない理由は他にもあった。「怖さ」だった。
 彼がこちらに置いていってくれたものが一つ公になるたびに、新しいものを追う楽しみが一つ減る。三浦春馬の一つ一つの足音を追っていくと、ある日突然足音が聞こえなくなるような、そんな怖さを感じていた。

 聴きたいけれど聴けない…世の中で三浦のMVは注目され続ける中、自分だけは一歩進めないまま、CDは発売された。

 「やっぱり聴かないわけにはいかないな」。そう思って、今度はその音楽を1秒も聴き逃したくなくて、静かに目を閉じた。
  
 ・・・え? 想像していたものと全く違う。

 刻まれるビートと澄んだ声に耳を取られ、一瞬にしてその音楽に引き込まれた。リズムをきちんと意識しているのに、力を抜いてふわっとした風のように三浦春馬は歌っていた。そこにはなんとも言えない艶があって、まとわりついて離れていかない不思議な空気が存在した。

 さらによく耳を澄ますと三浦の魅力である高音に、ぴったり寄り添って低音のメロディーがユニゾンで重ねられている。ユニゾンによってメロディーは幅を持ち、細かなビートと相まって音楽は勢いを加速させていく。三浦春馬の多面的な声がコラージュのようにちりばめられる。まるで万華鏡を回して楽しむかのように、音の色と粒が戯れる。それは実に透明感があって美しい。

 心地よさに身をゆだねていると、サビで空気が変わった。4つ打ちのビートに、3連のメロディが乗る。
 
きっと誰も知らない言葉が今僕の中で
渦を巻いてずっとLoop Loop Loop Loopして
吐き出そうと声を出してみてもうまくいかない
My heart beats faster
Night Diver

Night Diver

(「Night Diver/三浦春馬」 より)

 詞は、前に進んでいけないもどかしさを表現しているように思うが、音楽はビートに乗って前へ前へと進んでいく。むしろ詞の裏側に見える、もどかしさから抜け出したい気持ちを、音楽が後押ししていくようだ。三浦春馬は詞の奥にある本音を、細かいリズムを崩さず、大事な言葉にアクセントを付けながら、歌い上げていく。グルーヴに満たされた音楽と三浦春馬の歌声が、詞の中の「僕」に力を与え、かえってポジティブな方へ道筋をつけている、そんな気すらしてきた。

 さすがだと思った。
 リズムや流れの変化が早い音楽だけれど、冷静に奏でていく。特に言葉の置き方が丁寧で美しく、ビートが効いた音楽の中でやわらかな余韻を残す。これが不思議な空気を引き出しているのかもしれない。

 変化し続けるグルーヴと三浦春馬の多面的な声とが見事なコラボレーションを見せ、音楽は絶えず駆け抜けていく。最後は彼の見事な高音でのロングトーンが突き抜け、耳の奥に祈りのような声が残った。それはもどかしさを打破したいような希望の表現に思えた。

 役者の経験に裏打ちされた技術と表現力、それらに満たされた三浦春馬の音楽の世界が広がっている、そう思った。彼にしか描けない世界。また一つ三浦春馬の新しい扉が開いた、そんな気がした。

 一通り聴いた私は迷わず、MVを再生した。
 そこには力強く、ダイナミックな動きと躍動感あふれるステップを踏む三浦春馬がいた。こちらを引き付けて離さない、惚れ惚れするほどの美しいパフォーマンスだった。

 自分は一体何を恐れていたのだろう。
 きっと私は三浦春馬の置いていってくれたものを引き算でしか考えられなくなっていたのだ。残された作品を引き算していって、最後には自分の手元に何も残らなくなる寂しさを感じることを避けていたのだ。そんな陳腐な考えでいた自分が恥ずかしくなった。

 今なら思える。三浦春馬の足音は消えない。むしろ目の前の三浦春馬は確実に、力強くビートを刻んでいる。私たちにその存在感を放ってくる。

 彼は多くの作品を残している。私たちが作品を聴き続ける、見続ける限りは三浦春馬はこの世界で存在していることに等しい。作品の中で刻まれる彼の足音、それを見つけて、感じられたら、その先にはむしろプラスの方程式が待っている。どこに向けて良いか迷っていた心のベクトルは、そこに向ければ良い。
   
 時刻を合わせた腕時計をして、仕事に行こう。車に乗ってエンジンをかける。そこには三浦春馬の音楽がある。そして彼の音楽に包まれて、一つ呼吸をする。いつだって感動は自分から手を伸ばせばそばにある。そこから生まれるプラスの感情。それを携えて、私は前を向いて今日もアクセルを踏む。

(2020年9月4日 音楽文掲載)

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