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信じるってなに

 

 
“ 信じる ”

これを開いてくれたあなたは
この言葉の意味をどう捉えていますか?

 

私は、聞かれてから書くまでに時間がかかりました。
大まかな考えは持っているものの
整理して言語化するのに時間がかかってしまいまして。
で、あくまで個人的な考えなんですけど
信じる信じないについて、書き留めていこうと思います。

もしよければ、これもきっと何かのご縁なので
読みながら一緒に熟考してみてください。

 

 

何をもって、信じる?信じない?

私自身は、信じる・信じないを、そこまで意識することはなくて。
気にするしないというより、そう何か特別思わないといいますか。
って、冷酷ですよね。
もちろん、はじめから思っていたわけではなく
今でこそ、思うようになりましたが
昔は、特に、信じることでさえ壊滅的でした。

 

じゃあ、なんでそう思うようになったか
一言でいうと
『 人間だもん 』
もう既に、都合よくここに集約されてるなと思うんです。
でも、本当、この一言に尽きるといいますか。

何を思ってそうなのか
対象人物が同じであっても
受け手側であるその人や時によって様々だと思うんですよね。

個人的には、信じる・信じないって
コロコロ変わり、常に敏感で神経質になっていることの方が
こわい…というか、行き過ぎてしまうと危ない気がします。

 

 

「 誰 だって、人間だもん 」

誰だって 常に完璧 じゃなくて。そう見える瞬間があるだけ。

いつでも、受け手側は
その人の持つ “ 他者から見た ” 印象(理想像・期待値) と重ね合わせて
都合いい時に、都合いい方に、信じる!
都合悪い時に、都合悪い方に、信じない!
って、思い込んでいるだけ。

けど、不思議と「もう信じられない」と思う前に
不安に思ったり都合が悪くなると、一旦、信じる思考になる。
信じてみよう 」って思う。

聞こえはいいかもしれないけど
それも、自分の都合によって、その人がそうあって欲しいと思うだけで
なるべく傷つきたくなくて、負ったとしても出来るだけ小さく済むように
自分の防御 をしていて、その人への 信用 だとか 愛 ではない

傷つかないように自分を守ろうとする思考が悪いというわけではなくて。
その人の見た、その時の都合で決まる。
感情、状況、背景…そして、印象(理想像・期待値)
いろんなフィルターを通して見えてるもの。

 

歳を重ねていくとフィルターが多くなる、といわれていますが
様々な右往曲折や逆境の経験が、 “ある、多い、大きい ” ほど
余計なフィルターが取れていて、よりクリアに見える。
大事なものは、それほど多くない
と、ゆるすゆるさないではない境地で教えてくれる。
だから、きっと、その人自身の成長を見守れる。
まるで、おばあちゃんのように。

 

 

だからといって、切実に難しい問題

身守る
って、一言でいっても、そう簡単なことではないですよね。

お子さんやお孫さん、ご兄弟がいる場だと
よく言ったり聞いたりすると思う。
つい、転ぶ!危ない!と思った瞬間
「ダメよ!危ないよ!」と、口を出す。
「もう!だから言ったじゃん!」までがセットで。
 
転んでも、それでちょっと怪我しても、それが経験になる
そう頭では分かっていても、思いながら見守るって
実際、相手が大切であればあるほど、関係が近いほど
境が難しいですし、すごく焦ったいですよね。
過保護になりすぎず、でも、何かあれば責任をとる・守るの。

 

見守れる人を見ていると
放任とは違って、気にしていないわけではなく
本当に、ちゃんと見ている。
少し遠くから、危なそうな時も転んだ時も、起き上がるまで見届けて
必要な時こちらに来たらはじめて、助言や手助けをしている。
相手にとっての役割を、真のやさしさを、わきまえている。

決して、その行為を ゆるしているからではなく
だからと言って、ゆるさないわけでもなく。

 

 

ゆるす?

“ 信 ” = “ 人の言うこと ” ?
実際に、発言に対して思うことが、一般的かと思います。
 
ちなみに、漢字の成り立ちや意味では
人+言 ではなく、人+辛+口 からきていて
はっとりと言葉にする、真実とする、証明する
誓いに嘘つくと受刑
という…ちょこっとゾッとする意味があるそうです。

“ 誓う” というキラキラワードで
破られた時のギャップ(世間の目や言葉の意味)に縛られがちですが
いくら誓ったとはいえ…
人の言うことって、変わりません?
変わりますよね、正直な話。

私が特に信じられずにいたのは、矛盾や嘘からでした。
ドラマや漫画でよくある素直な気持ちを言えなくて、嘘つくシーンや
大人の都合や、友だちの付き合いの都合だとかで、言うことが違うとか
本当のことを本人に言えばいいのに!って、余計な波乱に焦ったく思う時ありますよね。

時代の変化によっても、同じことを言っていられなくなる場合もあるし
仕方なしに嘘をつかなくてはいけなくなったり、結果的に矛盾してしまうこともある。
気をつけていても、常にクリアで一度も嘘をつかずに生きられることは
よほど、言い回しに気をつけていられる、言語表現の力と頭の回転のはやさがないと
正直、難しいのではないかなと思います。

 

分かるのは、起きた 事実 、知った部分だけ。
証があるなら、そこを 信じる しかない。
見せている・見えている側面、その一部でしか判断ができない。
けれど、話さないと分かり得ないことで溢れているのも、また事実。

そこで、事実に対してどこまでゆるせるか
ゆるせないなら、ゆるせる範囲まで距離を置くしかない。
我慢しないで居られる場所まで逃げるしかない。

客観的に感情と事実をみてたら「そういうことね」って、分かるけど
当事者同士で、その真っ只中にいたら、分かり合うのには、お互い努力が要る。

大切なのは、分かり合う努力 を怠らないこと
それが、誠意
信じる信じないは、二の次三の次だと思うのです。
相手に限らず、自分に対しても。

誠意があると、たとえ、発言が変わっても
欲望か愛かの区別がつく理性がある
面倒なことほど、順序たてて、向き合い、時間をかけられる
背負う覚悟を持てる、謝りを立て直していける
んですよね。

 

 

言葉も不確か

不安や不確かなことに感情任せの信じるは違うし
その変わる時々で、左右されていたら
知り合う人数が多くなるほど、しんどさは増す。

なので、言葉は言葉として、受けて
もし、ゆるせないことが起きた時
キャパオーバーしないという覚悟がなければ
受け入れ
ることはしなくていい のではないかなと。
断ることも、場合によっては無理せず身を引くことも、誠意だと思うので。

言葉は、コミュニケーションに欠かせないツールの一つ。
けれど、結局は、言葉は言葉。
言葉の力や言霊も存在するだろうけど
たとえ言葉がなくても、行動に勝るものはなくて。

言葉は、すぐに真似や、嘘、誤魔化しはいくらでもできるけど
行動は、言葉より誤魔化しがきない
というより、足りない愛を補うだとか(自身への)愛のために動くことが多く
本音か、その裏側に近いものからきている分、もっと根強くて、正直なんですよね。
行動は、言葉よりも確かであり
言葉がなかったとしても通じる、コミュニケーションツールの一つだと言えます。

 

しかしながら
信じない方がいい、というか、距離を保った方がいい場合もある。

行動が伴わない言葉が多い
裏(見えていないところ)での言動が、愚痴が多いなど不誠実
であった場合。

気をつけたいのは
現状やゆるせないこと、全部が全部、“ 悪いこと ” として、臆病になったり
相手の課題までも背負い、自責しすぎてしまうこと。
すると、また別の問題が起こりうる。
精神に負荷がかかり、立ち直るまでに時間がかかってしまう場合もあるので
無理することなく、自分の許容範囲と相談し
相手と話し合った上、距離を置いた方がいいことは
切り札 の一つとして、覚えていてほしい。

 

 

つまり、本位はどこか

良い時よりも、何か問題が起きた時にどうするか。
つまり
不確かなものや、言葉のもつ意味に縛られることなく
誠意がある 上で
万が一の時の覚悟
ゆるせる範囲を互いに共有する
それが、自分本位ではない 『 真の信じる 』こと。

相手に対しても、自分に対しても。

たとえ、信じられなくても、自信がなくても
裏切られたとしても、傷つけてしまったとしても
何かあった後、素直に 謝る、立て直す。
何かあってもなくても、礼儀を重んじている。

 

実際あった時は、どうしても落ち込むし、立ち直るまでに時間もかかる。
結果的に、嘘や裏切りがあったとしても
落ち込むことも、憎んでしまうこともあったとしても
重要なのは、起きてしまった後、気づいた時に、どうしていけるか

一連の 起きてしまった事、その時思った事
それ自体を、良い悪いで判断することなく
“ 悪い事 ” ではなく、“ 経験 ” にしてしまう。
我が身の在り方はどうなのか、振り返ってみる
その “ 機会 ” にしてしまう。

大事な人のことほど、自分のことは後回しなる。
自分のために がんばる よりも
相手のために どんな自分でいたいか を優先するようになる。
しかし、だからと言って
自分を犠牲にすることはなく
自分を、大事な人の大事な人として、大事な人の思いも、犠牲にしない。

自己犠牲や欲望や空いた穴を、愛だとかと一緒くたにしない。
卑怯なコミュニケーションも取らない、というより、取れなくなる。
好き嫌いだとか、向き不向きでもなく
その “ 機会 ” から逃げずに、目の前のその道を通る覚悟を持っているんです。
その懸命さは、言葉よりも行動に強く表れます。

 

誠意があれば、誠実でいさえすれば
必ず、どこかで道は開かれ、導かれていく。
必ず、救われる瞬間がやってくる。

そう私は思います。

 

 

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
ほんの少しでも、考えるきっかけや、霧から抜ける出口になれたら、幸いです。

 

 

 

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