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親が子どもに与える影響を考えてみる

「毒親」と言う言葉をご存知の方は多いかと思いますが、自分の親が「毒親」だったと気づいている人は少ないのだとか・・。日本は儒教の国なので、「親は存在そのものが尊いのだ」とか、「産んでくれただけで感謝だ」とか、私もよく若いママさんたちに伝えたもんです。ところが、「毒親」の場合、その定義は当てはめてはいけないのだそうです。毒親に支配された子どもは「自分は悪い子だ」と言う刷り込みにより、大きなトラウマを抱えてしまうのだそうです。

「親は大切にしないといけない」という倫理観は毒親にも当てはまるのか


毒親によって苦しめられた子どもたちは成人しても親の影に追いかけられて苦しむという。虐待やネグレクトなど見た目にわかる場合は周りへの助けを求めることもできるかも知れない。しかし、最近特に問題になっているのが、親本人にその自覚がないまま、「過保護・過干渉・放任」などで子どもたちの自由を奪っているケース。親は「あなたのため」という言葉で子どもたちを追い詰める。子どもにとっては親は生活の全てであり、逆らうことはできない。まして、「あなたのため」と言う言葉は子どもにとっては「ありがたいこと」と思わなければならないよう仕向けられるのだ。

人生の中で繰り返し起きること

親からの影響がその人の性格に及ぼす影響は強烈なものがある。まして、「毒親」の場合その影響は絶大なパワーでどこまでも追いかけてくるという

本人は自覚がないままに、「毒親」の影をひきづり、大人になってもその影に怯えるのだそう。

精神科医の岡田尊司さんは、彼の著書の中で「人が繰り返し同じ過ちを犯すことの理由」を次のようにおっしゃっています。

磁石を持たずに砂漠をどこまでも歩いていると、やがて同じところにもどってきてしまうといいます。左右の足の長さの微妙な違いによって、まっすぐ歩いているつもりでも、いつしか巨大な円を描いてしまっているのだそうです。それと同じように、私たちの心と行動の偏りは、私たちが知らないうちに同じような人生航路を歩ませてしまう。何年も経ってから振り返るとまた同じことをしていたと気づくことになるのです。

そしてまっすぐ進んでいくために必要なのは、確かな方位磁石と地図、つまり客観的な指針なのです。あなたの顔色をうかがいながら、あなたをがっかりさせないように与えられた玉虫色のアドバイスでは役に立たない。もっとはっきりと、あなたはこういう方向に曲がっていきやすく、こういう危険に陥りやすいと、客観的に教えてくれる指針が必要なのです。それによって、自分の偏りを認識し、それを修正する術を学んでいけばいいのです。

「精神科医 岡田尊司 著書より」

ひとは意外と自分のことは見えていません。それは私自身にも言えることです。人はそれぞれ固有の認知(受け止め方)感情、行動の様式をもっており、それが18歳でほぼ固まるのだそう。それを精神医学や心理学では、パーソナリティ(人格)というのだそうです。自分のパーソナリティを知れば自分が陥りやすいパターンを知ることで、そこから抜け出すことができるのだそうです。

自分のことを知るのに女性はなぜか占いが好き


女性はみんな占いが大好きです。以前、神戸に住んでいたときには、たまに「占いの館」とか言うところに行って、占ってもらっていました。当たるも八卦当たらんも八卦とか言いながら、良いことは信じて嫌なことはスルーできる性格なので占いは結構楽しめました。

奄美では未だに「ユタガミ様」と言う方が存在します。俗に言うシャーマンみたいなものでしょうか?ユタガミ様の家系の様なものがあるらしく、隔世遺伝とかでユタガミの宿命を背負って生まれてくるのだとか。奄美大島は沖縄とは少し雰囲気が違うのはこの「ユタガミ」をはじめとする「八百万の神々」を祀る信仰が深い島だからかも知れません。

子どもの頃、虚弱体質だったり、夜泣きや癇癪がひどい子どもたちはユタガミ様のところに定期的に連れていき、指導を仰ぐと言った文化があります。島には色々なユタガミ様がいるのですが、見てもらうときのお礼は封筒に3000円、そして焼酎の四号瓶一本、として清めようの塩のセットです。島では「ユタガミ様セットください」というと大概のお店では扱っているので手に入れることは可能です。


こどもは親の言う通りにはならん

そして子どもの頃、ユタガミ様よりも強烈だったのは祖母(通称うたみばーちゃん)最強の存在で君臨していました。奄美は薩摩からの男尊女卑文化は色濃く残ってはいたものの、母親のことはとても大切にする文化があったのか?おばあちゃんが長生きだからなのか?どこの家でも密かに権力を握っていたような気がします。そして家庭内での地位が高い理由の一つに「大島紬」の製造(機織り)というのがありました。大島紬は着物の中でも高級品として扱われており、高いものだと一反200万とかするのもあるそうです。そんな高級絹織物を島のおばあたちが1ヶ月かけて織ることで、家計を支えていたのはすごいことだと思います。なので、子ども心にも祖母の存在が家庭の中では際立っていました。女系家族だったこともあり、私自身もそのような背景のもと、「女性は生涯働くことができる」と肌で感じていたのも事実でした。

そんなうたみばーちゃんの子育て理論も最強でした。ある意味「毒親」だったようです。これは叔母たちに聞いた話ですが、女の子ばかり七人姉妹だった恵家は、晩御飯のお皿は当番制で洗うシステムになっていたのだとか。でも、そこは姉妹間で「今日はあんたの番でしょ!」などと言って揉めていると、うたみばーちゃんが登場して「そんなに洗いたくないなら、こうしてやる!」と、ちゃぶ台ひっくり返しの刑に会うのだそう。翌日からは我先に洗い出すと言うシステムだったようです。

そして、私が下の子の出産で実家に帰っていた時のこと、いたずら盛りの長男(2歳)に「そんなことしたらだめでしょ?」と、諭している私に対してうたみばーちゃんが言った一言も強烈でした。

「子どもは親の言う通りにはならん!する通りになる!」と、背後からバッサリのひとことでした。

こんな風に人の性格というものは先天的に持って生まれたもの以外に、環境によって大きく左右されるものもあるというのがとても興味深いと思っています。それでは、親がどうしようもない人間だった場合、その子はどうすることもできないのでしょうか?

三重県答志(とうし)島に今でもある「寝屋子制度」が面白い

寝屋子制度は、男子数人を「寝屋親」とよばれる地域の世話役が預かって家の一室で寝泊まりさせ、戸籍上のつながりのない者同士が実の親子や兄弟のように絆を深める風習。寝屋親には、人望が厚く安心して若者を任せられる家を、若者の親たちが相談して選ぶ。寝屋子たちは自宅で夕食をすませると寝屋親の家に集まり、寝屋子同士で語らうなどして過ごし、寝て起きると朝には自宅に帰る。寝屋親は時には相談相手となってアドバイスを送り、叱咤(しった)激励し、寝屋子が成人になれば酒もくみ交わす。こうした日常の中で、若者は島で暮らす心構えやしきたりを覚えていく。

寝屋子たちはお互いを「朋輩(ほうばい)」とよび、青年団の活動や祭りなどの行事をともに手がける。冠婚葬祭も助け合う。寝屋親も生涯、寝屋子をわが子のように支えていく。「アサヒ.comより」

この制度は男子だけなのだけど、ある意味他人に我が子を託すことで、子どもたちの人格形成の一助になるのかも知れないと思うと、なかなか素晴らしい制度なのかも知れない。特に体も大きくなった青年男子は何かと扱いづらかったりする。それを近所の「寝屋子」たちが面倒見てくれるというのは親にとってもありがたい。そんなふうに考えると今の日本の核家族制度はやはりホモサピエンスの子育てにはないのだと改めて思うのです。



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