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継続は力なり。ただし継続する力はなし。
どれほどの大作であっても、書き出しほど難しい瞬間はないでしょう。かくいう私も、何かエッセイでも書いて心を豊かにしようと思いついたのはいいのですが、書いては消し、また書いては消し、ほとんど筆を走らせることなく挫けそうになりました。
私は情けないくらい持続力のない人間でして、やり切った!という経験に乏しい。飽き性なのです。少年期に6年間やってた野球も、義務感と惰性で続けていたようなものですし、学校の勉強だってやる気が3日と保ったことはございません。どうも意志を貫けない質なようです。
そんな私にも高校生のころ、小説家になるといった大きな夢を見たことがございます。
それまで1冊足りとも本を読み切ったことのない私が、なんの間違いか読書を趣味にし出したのです。初めはライトノベルのような簡単なものから入り、ミステリー、現代文学、近代文学と徐々に深めていったのです。本の魅力に囚われた私は、作家になるもんだと思い込んでいたのでした。
飽きやすい性分の一方で、行動力には自信があります。すぐさまノートを開いて空想の世界を描き出しました。しかし1時間もかからず筆を折りました。これまでの人生でまともに文章を書いた経験がなかったので、実力は小学生から変わっていなかったのです。
そのことに気づくや理想とのギャップに落ち込んで、何も書けなくなってしまったのです。そうです、私は飽き性なうえに完璧主義という性格です。思い通りにならないと完璧主義が邪魔をして、もういっや!って放り投げてしまうのです。
私の作家になるという夢は、そこで1度終わりを迎えたのでした。ただ読書は好きなままでしたから、これまで通り読み耽っておりました。すると沸々と作家の夢が湧き出しまして、ひと月後にはまた書こうと思ったのでした。
1度失敗してますから、今度は文章の鍛錬から始めようと思い立ちました。谷崎潤一郎の『文章読本』をはじめ、あらゆる文章上達法を参考に研鑽を積みました。
音読がいいと聞けば谷崎の『春琴抄』をつぶやき、模写がいいと聞けば漱石の『こころ』を全文書き下す。その傍ら自作の小説、たいがいは3000字以内の短文をネットに投稿したり、アクティブに活動しておりました。
半年も過ぎたころには同年代の子よりも上達しており、継続は力なりの意味を初めて理解できたものです。
さあ、本番はここから。今ならnoteやブログに載せることも考えたかもしれませんが、高校生の私は作家になるためには文学賞に通らなくてはと思い込んでおりました。そのためには長編小説を書く必要がある。そう考えておりました。
プロットを練りに練り、キャラ設定に何時間もかけ考案する。さて本編にいくぞ、そう思ったのですが、やはり5000文字を超えたあたりで嫌気がさしてしまう。このあたりからは短文を綺麗に書く力とは別に、構成力や論理力、忍耐力を要するようになるのです。
しかし私にそのような力は備わっておりませんので、挫折してしまいます。何度繰り返したでしょうか。そのうち受験期になり、筆を持つ機会は減りました。
大学に入学した私は、高校ではできなかった挑戦をしました。遊んだりもしました。知らぬ間に作家になる夢は消えていたのでした。
ところが私は、再び筆を持ちました。今は専業の作家になろうとは考えておらず、趣味の範囲で、まあお金をもらえるならラッキーくらいで続けようとしています。でもいつか自分の綴った文章を本に、と密かに考えているのでした。
私は未だ飽き性の完璧主義を脱せずにいます。こうして書いてる今も、自分の不出来さに投げ出したい気持ちでいっぱいです。
ただし執筆活動から離れていた数年で、投げ出したくても投げ出さないようにする工夫を学びました。それから飽き性も使い方によっては強みになるということも知りました。
飽き性な人は積極的にラクをしましょう。ラクをするのはいいことです。人はラクをしようとするから、頭を使って解決しようとするのです。飽き性の人ほど、これが得意です。飽き性はめんどくさがり屋でもありますからね。
私はしばらくエッセイを綴っていくつもりですが(これ自体、さっき思いついたことです)、いつまで続くのか。
継続は力なり、ただし継続する力はなし。完璧主義の飽き性にも身につけられますかね。
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