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自信についてと。謝罪と。

自分を信じる…とはいかに難しいものだろうか…

自信についても多くのステップがあり
様々なプロセスがあると感じています

相談の中でもよく登場する内容であり
自信がないことで「できない」と思い込む
自分を信じると書く、自信

いったい自分を信じるとはどのようなことだろうか
本当に信じることで何もかも可能となるのだろうか
自信のステップ
そしてそれのあるなしはどこで判断される?


まず、自信は誰がくれるものなのだろうか…
くれるものではなくまず持っているものか…
それとも、、、


記憶のある今回の人生の段階で言うなら、まず親
親の接し方、親の在り方、親自身のそれ、
親の接し方によって、自信がつく、つかない


もし親が
「あなたは大丈夫。なんでもやりたいことができるよ。安心して」
いつでもこのようであるなら、その子供は安心してしたいことができ、その中で失敗も安心してできるだろう
それでもなお、そうでないのなら、、
今回を遡るほどの浄化の案件のあるものかもしれない

もし親が
「それはダメだ。お前には難しい」
「そんなものでは食べていけない」
「お前にそれができるわけがない」
それが例えば親の子供を思う、心配や将来への気持ちがあったからこそであっても、
この積み上げがあることで、子供は自分の選択に不安しか持てないだろう…
また本心では親の在り方が真実ではないと思っていたくても、
積み上げる失敗の度に親の言葉を思い出し、疑うようになるかもしれない

その繊細さは、
たとえ言葉で「大丈夫」と伝えられたところで、
本当はエネルギー的に心配を含むものであるのなら…
子供に積み上がるのは安心の方ではない
それほど、子供はよく親を見ていて細部に感じているものだ
その不安がいつも自身のうちにある
この状態であることは何かの変化のタイミングの度に訪れる
それは幸せに至るほど、想定外の幸せほど恐ろしく思うものはない

しかし、いつしか気づいていく
親のそれは親の問題であったことを。

想像していた幸せの先にいこうというとき
潜在的にブロックするもので、その先の不安を最も強く感じるであろう

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