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3週目 土曜日 メディアで活躍する女性 宮沢りえ

3人目は現在は女優として活躍されている宮沢りえさんです。

宮沢りえさんは1973年4月6日生まれ。東京都ご出身です。日本人の母親と、オランダ人の父親を持つハーフだそうです。

1985年、小学6年生の時に、明星食品「チャルメラ」のCMで芸能活動をスタートされます。

1987年(昭和62年)15歳の時、CM『三井のリハウス』の初代リハウスガール“白鳥麗子”役を務めて注目を集め、トップアイドルの一人となられました。

1988年、映画『ぼくらの七日間戦争』の主演で女優デビューを果たし、日本アカデミー賞新人賞を受賞。

1989年4月、フジテレビ系『青春オーロラ・スピン スワンの涙』で連続ドラマ初主演。同年9月には小室哲哉楽曲提供による『ドリームラッシュ』で歌手デビューし、音楽番組『ザ・ベストテン』の最終回にランクインした(出演はなし)。また、カレンダーでは大胆なふんどしルックが話題を呼びました。

1990年、セカンドシングル『NO TITLIST』がオリコン最高1位を獲得します。同年『第41回NHK紅白歌合戦』に初出場され、「NHKホール外で自由に歌いたい」との本人の希望により、紅白初の中継出演となった。芝浦の倉庫屋上でバスタブに浸かりながら『Game』を歌った姿が話題を呼びました。この頃同年代に活躍していた、宮沢さん、観月ありささん、牧瀬里穂さんは頭文字「M」から「3M」と呼ばれていたそうです。

1991年発売の写真集『Santa Fe』(篠山紀信撮影)は人気絶頂時のヌード写真集で大ヒットし、150万部のベストセラーとなります。新聞に大きな広告が出て話題になりました。東南アジアなどでは、海賊版も出回ったそうです。


1992年11月27日、貴花田(当時関脇、現在の貴乃花親方)氏との婚約を発表。当時、国民的な人気を誇っていた2人の婚約は“世紀のカップル誕生”と大きな話題となりました。しかし、1993年1月27日、「人生最高のパートナーになれなかった」とコメントを発表し、わずか2か月間で婚約解消を発表します。

当時はマネージャーを務めていた母親(通称・りえママ)の存在が注目されていました。1995年、映画『藏』の出演が決まっていましたが、クランクイン直前に突如降板騒動がありました、

そしてこのあたりから拒食症の噂なども出て、芸能マスコミからのバッシング報道が相次ぎ、アメリカサンディエゴへの移住を発表するなど、一時期芸能活動休止状態となられました。

劇痩せから回復されて、芸能界の活動を再開されるのは2000年代です。

まず2001年、香港映画『華の愛〜遊園驚夢』で第23回モスクワ国際映画祭・主演女優賞受賞されます。
そして2003年、『たそがれ清兵衛』で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞されます。
さらに2005年、『父と暮らせば』で第47回ブルーリボン賞・主演女優賞受賞されます。
2009年5月、第一子となる女児を出産され。同年8月に復帰されています。
2013年5月6日、天海祐希さんが舞台『おのれナポレオン』終了後、軽度の心筋梗塞と診断され、1週間から10日の安静治療を要するとしてそのまま入院されます。その時宮沢りえさん、アルヴィーヌ役に起用されます。宮沢は、この突然の代役要望を快諾、わずか2日間の稽古期間を置いたのち、2時間20分、台詞回しの多いアルヴィーヌ役を見事に演じきられたそうです。
2014年、『MIWA』の演技に対して、第39回菊田一夫演劇賞・演劇賞を受賞されます。
2014年、キャリア初となる番組の司会を担当する、タモリさんとの共演番組『ヨルタモリ』が10月からスタート。1年番組を続けられます。
2014年、『紙の月』で7年ぶりに映画主演し、第27回東京国際映画祭・最優秀女優賞を受賞されます。日本人女優では11年ぶりの快挙となりました。

その後も

2016年度 映画『湯を沸かすほどの熱い愛』で
第41回報知映画賞 主演女優賞
第29回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞 主演女優賞
第31回高崎映画祭 最優秀主演女優賞
第90回キネマ旬報ベスト・テン 主演女優賞
第26回東京スポーツ映画大賞 主演女優賞
第40回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞
第26回日本映画批評家大賞 主演女優賞


2019年度『人間失格 太宰治と3人の女たち』で
第43回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞 を 受賞されています。


現在映画・TV・舞台などの女優業以外に尊敬する岡本太郎が書き綴った「生きること、死ぬこと」「夫婦愛」などの詩を朗読する活動も行っておられます。また柔らかなウィスパーボイスの持ち主で、ナレーション業も多く務めておられます。


めぐめぐが宮沢りえさんがすごいと思うところ

1 10代のころマネージャーのお母様と厳しい芸能界で様々なことにチャレンジされたこと。決して皆に好かれることだけではなかったと思いますが

それを全部やって成功させているところがすごいと思います。

2お母様と離れられ新しい宮沢りえとなり、得意だった女優業を益々磨いておられること。ここで他のことをせずとりあえず得意な女優業から始められたのが今の成功を導いたポイントだと思います。

3もう一つの声と言う武器を使って女優業だけでなく、ナレーションなどもなさっていること。自分の良さを上手に出されているのが素晴らしいと思います。


ますますこれからも素晴らしい演技をTVや映画舞台などで見れるのを楽しみです。



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